最初に泊ったロンドンのジョージ・ホテルからは大英博物館が近かったので、歩いていった。ホテルはカートライトガーデンズというちいさな広場に面していて、クレッセント(三日月型)な建物のなかにあった。ロンドン大学がちかいので、大学の建物の傍を歩いていると、半地下の窓から学生たちの勉強姿が垣間見えたりして静かで落ち着いた地域だと感じた。ちかくを通るブルームズベリーストリートを北に向ってしばらく行けば、フイッツロイ・スクエアそばにあの美しい小説〈ダロウェイ夫人〉を書いたヴァージニア・ウルフが1907年から4年間住んだ住居もある(ニコール・キッドマンがヴァージニア・ウルフを演じた2002年公開の、「めぐりあう時間たち」も私の好きな映画だ)。

 昨日、図書館で読んだ雑誌、〈芸術新潮〉によると、その大英博物館で大規模な日本の春画展が開催されていることを知った。10月3日のWEBニュースに、〈ロンドンの大英博物館で3日、江戸時代などの性生活を描いた春画の初の特別展「春画-日本美術における性とたのしみ」が始まった。来年1月5日まで。
春画を集めた展示としては日本国内を含め過去最大規模で、16歳未満の入場は保護者の同伴が必要。大英博物館がこうした年齢制限を設けるのは初めてで、異例の展示として注目を集めている。大英博物館の所蔵品のほか、日本などから借りた浮世絵や書籍など江戸時代の作品を中心に計約170点を展示。葛飾北斎や喜多川歌麿の作品も含まれており、当時の遊郭の様子や庶民の性生活が描かれている。春画は18世紀前半に公式には禁止されたが、貸本屋を通じて広く流通。明治時代以降、近代化に伴って廃れ、日本では「わいせつ画」としてタブー視されてきたが、欧米では芸術として再評価する動きが出ている〉とあった。

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 いままで〈芸術新潮〉は何度かの浮世絵の特集を組んでいるが、今回の大英博物館特別展「春画-日本美術における性とたのしみ」のページも展覧会の魅力をあますことなく伝えていて、ながめていたらムリとは知りつつおもわずロンドンへ飛んでいきたくなってしまった。日本へ来ないかな、と期待した。今回の展覧会のプロジェクトリーダー、アンドリュー・ガーストル氏は、「日本への巡回も当初からの目標ですが、日本側の受け入れ会場がいまも決まらないままです」と発言をしているが、こうも言っている。

 「日本政府は、明治以来ずっと春画を否定してきましたが、これは当時のヴィクトリア朝の英国の基準に合わせた面もある。英国にしても、18世紀には性風俗も19世紀に比べておおらかだったし、特にロンドンの演劇はエロの要素を含んでにぎやかなものだったらしい。それが、これはどこの国もそうですが、近代化する過程でモラルが硬化し、社会が潔癖化してゆく。日本は1904~05年の日露戦争に勝利して列強として認められますが、まさにその時、春画への締め付けが一段と強化されます。ヨーロッパと同じになったんだから、いよいよヨーロッパの上流社会を真似しなくてはいけない、春画なんて古い淫靡な文化は無くさなくてはならないと、エリートたちが決意を強めるわけです。しかし、世界も歴史も常に変わっていきます。今度は、ロンドンの側から、春画を見直してみませんかと日本に呼びかけているのは、ちょっと皮肉なような面白いような光景ではないでしょうか」と。

20131104230429ac0喜多川歌麿「歌満くら」(1788年)

images葛飾北斎「蛸と海女」(1820年)

無題

19bb3a0c78d85a957da93e3c81e72ba898e722a1西川祐信(1711-16年)

 2003年の芸術新潮1月号にリチャード・レイン氏は「歌麿と浮世絵エロチカ黄金時代」のなかでこう書いている。〈芸術の魔法がかけられていなければ、エロチカは単に猥雑なもの、欲求不満の男子学生たちを愉しませるだけのものになってしまうだろう。しかし、本物の芸術家がひとたび作品のテーマとして「性」-人間の最も自然な営みである-を選ぶならば、エロチカはたちまちにして無限の生命の輝きをおびはじめる。

 そのような素晴らしい可能性を秘めたジャンルであるにもかかわらず、春画は洋の東西を問わず、法的にも宗教的にも禁じられることが多かった。そのため、多くの画家たちはセミ・エロティックな作品に甘んじなければならなかったのである。古今東西の人類の歴史のなかで、真にすぐれた文化が、はたしてどれだけあっただろうか。私の脳裏にはっきりと浮かぶのは4つだけ-古代ギリシャ、古代ローマ、中世インド、そして鎌倉時代から近世にかけての日本である。なかでも17世紀初めから19世紀初めにかけての日本は、質・量ともに特筆にあたいする。残された春画作品は膨大な数にのぼり、しかもその最良の部分は世界美術史の最高蜂に連なるものである〉

 この「春画ルネッサンス」と題した特集では、絵師列伝として年代別に以下のように6つに分類している。1760年代、鈴木春信と錦絵革命。1770年代、磯田湖龍斎の肉体主義。1780年代、鳥居清長と八頭身美人たち。1790年代、喜多川歌麿 究極の色香。1800年代、歌麿ふたたび。1810年代、葛飾北斎と黄金時代の終焉。そしてリチャード・レイン氏はこう結んでいる。〈世界美術に対する浮世絵春画の貢献は正真正銘、偉大なものなのである。日本の美術史家やコレクター、美術館が春画を無視することは、まさにスキャンダルだといっていい。それは明治初期の日本が伝統的な美術を無視し、ときには破壊さえしたのとそっくり同じことだ。しかし哀しいことに、アーネスト・フェノロサや岡倉天心の衣鉢をついで、この国の偉大なる遺産を復活させて保存しようと図る献身的な美術史家はひとりもいないのだ。じつのところ、自分たちの文化の明々白々たる重要さに気づいているのは、ほんの一握りの日本人だけなのである。その文化は次第に、灰色のコンクリートのなかに葬られようとしている。かのアンコール・ワット遺跡が、何世紀ものあいだ熱帯林に覆い隠されることになったように〉と。

 この文を読むかぎりにおいては、10年後の現在もまったく変わらない文化状況にガッカリさせられる。はたして今回の大英博物館の春画展の巡回が日本で開催されることは可能なのか? 年齢制限を条件にぜひ開催してほしい、とココロから願うのは私一人だけではないはずだ。そしてもし、願いがかなって日本の勇気と見識あるいずこかの美術館で開催されたならぜひ見てみたい作品がある。月岡雪鼎の伝説の火除け春画、四季画巻のなかの「冬図」だ。眉を落とし、お歯黒をつけた中年の人妻が、どうにも受け身の若い男に比べて深く快を貪るその表情がなんともいえずに素晴らしい。白濁した胡粉による性交後の愛液の滴る描写も凄い。この燃えるがごとき愛欲画は、防火に効験ありともてはやされたというがそのせいばかりではないだろう。事後の女の表情に言うに言わぬ感情が宿っていてそれが視ているこちらの胸を打ち、そして込み上げてくる衝動に突き動かされるからなのだとおもう。