2013年06月

三角点

 昼から昨日買った4枚の地図を貼り付けて、じっくりと眺めてみた。お気に入りの散策コ-スにはマーカーをして周辺を調べた。いくつか三角点が目についたので、赤いマークを付けてみたが、4枚すべての三角点をチェックするのに2時間はかかった。PC開けて国土地理院のHPで調べたら、日本全国の三角点が簡単に地図上で検索できる仕組みになっていた。日本には一等三角点が977か所、千葉県には26か所となっている。設置間隔が約40kmとあるから持っている4枚の範囲の中にはひとつもないことになる。しかし、二等三角点はいくつか見つかった。

 これは日本のなかには5056か所、千葉県は97か所あって、設置間隔が8kmとなっている。夢中で地図と睨めっこしてたら疲れた。買い物ついでに一番近い三角点に行ってみようと思いたった。過去に三角点はいくつか見ている。ハイキングや登山、釣りの途中だったりしたが、今まであまり関心をもって眺めるようなことはなかった。ここから一番近い三角点はK'sデンキのある大膳野町だが、車で5分とかからない。しかもここはK'sデンキが移転の際に土地造成をして大膳野南貝塚という遺跡が発掘されたところだ。縄文時代前期集落、縄文時代後期貝層、縄文時代後期集落の埋設土器、埋葬人骨などが多数発掘された。

 小高いところなので、一番高い所にたって周辺を眺めてみればなるほど、縄文時代は前方の村田川をふくめてすぐ近くまで海が入りこんでいたのだろうと容易に想像がつく。雨上がりのチョイとした晴れ間に車で向かったが、あいにく三角点のある場所は千葉県農業研究センター内にあるようで、立ち入り禁止の札がたっている。この場所の三角点はJPSによる場所情報コード(ucode)が埋め込まれているので見てみたかったのだ。では次に向うぞと、ちはら台一丁目付近の三角点へ地図をたよりにいってみる。着いてみると、ここはときどき散歩するかずさの道コースにある水の江公園だった。

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 さっそく公園内の小高い場所を探してみるが、三角点らしきものは見つからない。眼を皿のようにして地図と首っ引きで公園内をうろうろする。日曜日とあって子どもを遊ばせていた親たちはヘンなオヤジがうろついていると警戒をしただろうか。整備された公園の柵の外に竹やぶにまみれた小高い茂みがあった。「マムシに注意」と看板がたっているので、恐る恐る竹藪の奥へ続く小道に入り込んでみた。すると見つかった、一番高いと思われる場所に写真のように柱石が埋まっていた。小さな達成感(笑)を感じた。柱石の横側には三角としか読めなかったが、ちゃんと彫られていた。

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 デジに収めてから、公園から東南方面をながめてみた。48,2と地図上で表示されているこの三角点のある高台の公園からの眺めはやはり縄文時代は目の前が海だったのだろうとおもわせるに十分な眺望がひろがっていた。

外出効果

 ウォールデン湖の森に住んだ、H・D・ソローが書いている。〈ぼくは一日に少なくとも四時間―普通それ以上だが―あらゆる俗事から完全に解放されて、森の中や、丘、野を越えてさまよわなければ健康と生気を保つことはできない〉そして自然の静寂と野生は、自分の知性にとって一種の薬用植物なのだ、とも書いている。野生の存在は少しあやしいが、急にそとに出かけたくなって森ではなく千葉に向った。デパートの書店で、住んでいる近辺の国土地理院発行の2万5千分の1の地図を買いたいと思ったからだ。

 千葉東部、蘇我、八街、東金の4枚を三省堂で入手した。余白をカットして4枚つなげて1枚に仕上げる予定だ。ボーイスカウトだったからだが、読図はお手のものだ。これで近辺の散策のガイドには困らない。ちょいとしたアースダイバー気取りで徹底的に地図を読みこんでみるつもりになって、わくわくする。地図に記されたさまざまな記号や等高線を読み解きながら、地形を想像する。あるいは古代人の暮らしに思いをはせてみる。そして気分がよくて、天気のいいある日、コンパスと地図を片手に想像していたコースを実際に歩いてみる。いや、ちょとまてよ。ディバックに弁当と飲み物、そしていつものデジカメと図鑑も忘れないように放りこんでおこう。一日が長くなりそうだから。

 森に入り、立ち止まって深呼吸をする。野の花の香りがただよってくる。樹木の枝葉がにおっている。落ち葉の上を昆虫が歩いていて、クモの巣が光っている。水音がして鳥の声が聞こえてくる。そして樹間から午後の陽射しが降りそそいでいる。こころが静かになっていくのがわかる。縛ばられていたものからときはなたれる感覚だ。だから森に入るときは、抱かれるようにゆるゆると歩こう。苔の匂いを嗅ぎ、樹肌をやさしくなでて、野の花に思い切り顔を近づけて唇でふれてみよう。そうすれば自然はソローのいうように、こころに効く薬用植物になってくれることだろう。

41iK2Nyu0jL__AA160_ さて、書店という名の森の散策も忘れない。いくつかの新刊本をチェックする。手にしたのが開高さんの、「直筆原稿版 オーパ!」だ。見慣れたカギ文字が直接原稿用紙に書き込まれている。ほとんど訂正個所のない正確さだったというから校正する側は楽だっただろう。あの漢語を連ねて次から次へとイメージを言葉に置き換えて、開高語とでもいうべき形容詞を駆使する作業は一体どんな頭脳からあふれ出るのだろう。読みたい!35年前、月刊PLAYBOY誌に連載中から待ちかねて読みふけった覚えがあるのだが、久しぶりに読みたい!ページを開く。冒頭、こんな文章にでくわした、〈何かの都合があって野外に出られない人、海外へいけない人、鳥獣虫魚の話が好きな人、人間や議論に絶望した人、雨の日の釣り師・・・。すべて書斎にいるときの私に似た人たちのために。〉と、不覚にも一読して開高さんの言葉に涙してしまった。おおっ、なんとこれは私へ向けた言葉ではないのかと、こころにしみた。函入りで3150円、カウンターに持っていこうとしたがページに折れた個所があり、汚れもあったので購入はしなかった。書架を買ったら新たに購入したい。

 「オーパ!」はアマゾン河で釣りをする紀行文だが、国中の釣り師を狂喜させた。なにより釣りに言葉をあたえてくれたからだ。開高さんは船でアマゾンを遡上する際に、「シャーロック・ホームズの帰還」の短編を4冊持ってきたが、読みかえすのはじつに30年ぶりのことである、といっている。そして〈これからサンタレンまで三晩四日の航海だが、たっぷりと少年時代の回想に浸るつもりである。友達と奪いあいをしてむさぼり読んだ遠い夏の日の木陰やハチの羽音などをこの人間嫌いの名探偵は次々と思いださせてくれる〉と書いているが、そう思いながら三省堂の書架の裏を廻ると、「絹の家 シャーロック・ホームズ」(アンソニー・ホロヴィッツ)という背表紙が目にとまった。装丁が美しい。

201112000594 帯にはこう書かれている。〈ある理由から、当時は公表するのがはばかれた「ハンチング帽の男と絹の家」の事件。これを記録し、ホームズ正典を完成させなくてはならなかった…。ついに書かれたコナン・ドイル財団公認のホームズ新作長編〉と。うーん面白そうだ、装丁といい惹句といい、うまいよねぇ。で、これも読みたい手許におきたいと迷うこと迷うこと。熟考の末、さらにもう一冊別の本を手にとった。新潮社からの「精選女性随筆集第一巻 幸田文」だが、このシリーズは装丁も女性作家の作品を収めただけあって優しげなデザインで手許におきたいくらい好ましいし、選択されている作家の方々も皆好きな人たちばかりだ。迷うよねぇ。で結局、一冊だけと決めていたので今回は「開高健 ポトフをもう一度」(山野博史・編)に決めた。選択の決め手はとにかく今すぐに読みたい、という理由からだ。さっそく、階下のスタバでアイス抹茶ラテをテーブルに運んで、一時間読みふけった。

 時計をみるとまだ時間も早い。ならのんびり歩いて中央図書館へ行こうときめた。途中、道端に咲く野草をデジに収めた。

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千葉駅の西口の工事現場でたくさん見かけた。





DSC05572 ヘクソカズラ(屁糞葛)
図書館で調べた。姿かたちから別名サオトメバナ(早乙女花)という綺麗な名前もあるそうだが、可哀そうに匂いが臭いらしい。嗅いだことはないのだが、美人でも臭いのはちょっとね、それとも少しの間がまんしますか屁と糞の臭い(笑)。

DSC05573 エノコログサ(狗尾草)
日本中、どこにでも見かける雑草の代名詞みたいな植物だが、犬の尻尾に似ているのでこの名がついた。この草で猫をじゃらして遊ぶので、猫じゃらしとも呼ぶ。確かによくじゃれるよね。


DSC05575 さて、久しぶりの中央図書館だ。さすがにこの図書館は蔵書も多く、雑誌も種類が豊富だ。千葉公園に隣接しているので便利なことこのうえない。気に入って近くのマンションを買おうと真剣に購入を検討した時期もあった。終日、館内にいても飽きない。


 やはりここでも一時間ほどをついやしてから千葉公園に降りる。ちょうど蓮の花が開花の時期でこれを目当てに来場者も多い。むかしはよくここに来て、池の周囲をジョギングで4周、30分を走ったりしたことを思い出した。息子もよく釣りをしてたしね。

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アースダイバー

 昼過ぎ、散髪にいく。先客が帰って私ひとりになって、店主との会話の中身はタバコの禁煙話から、病気の話へとひろがっていく。訊けば先週94歳の父親がガンでなくなって葬儀をしたとのこと。近いのに気がつかなかった。まッ、年齢的には大往生といえばそうかもしれないが、遺族としてはまだ落ち着いた気持ちにはなっていないのだろうと察して散髪を終えてから長居をせずに店をでた。

 家にもどると、FHから伊勢神宮に来ているというメールが届いた。私はまだ伊勢神宮には行ったことがない。志摩半島だったら鳥羽水族館やミキモトパール、英虞湾の賢島で海女さんの実演をみたり、志摩観光ホテルで食事を楽しんだりはしたが、近かったのに伊勢神宮には行かなかった。いつでもいけるという気持ちだったのかもしれないが、これから訪れるかどうかはまだわからない。FHはメールで友達がなにげなく撮った私の写真見る?といってきたので「見る見る」と応えたがまだ送られてこない。

 夕方、「アースダイバー」(中沢新一)を読了する。表紙にこう書かれている、〈縄文地図を持って東京を散策すると、見慣れたはずのこの都市の相貌が一変していくように感じられるから不思議だった。どうして渋谷や秋葉原はこんなにラジカルな人間性の変容を許容するような街に成長してしまったのか、猥雑な部分を抱えながら新宿がこれほどのバランス感覚を保ちつづけていられるのはなぜか、銀座と新橋はひとつながりの場所にあるのに、それぞれが受け入れようとしている人びとの欲望の性質がこんなにもちがうのはなぜか、などなど、東京に暮らしながら日頃抱きつづけてきた疑問の多くが、手製のこの地図をながめていると、するすると氷解していくように感じられるのだから、ますます不思議な思いがしたものである〉と。

 本文のなかで、〈地質学の研究によって、いま東京のある場所が、縄文海進期と呼ばれる時代に、どんな地形をしていたのか、詳しいことまでわかっている。洪積層というのは堅い土でできている地層で、これが地表に露出しているところは、縄文時代に海水の浸入が奥まで進んでいたときにも、陸地のままだった。この陸地だったところをえぐって水が浸入してきたところには、沖積層という砂地の多い別の地層がみつかる。この二つの地層の分布をていねいに追っていくと、その時代にどの辺りまで海や川が入りこんいたのかわかってくる。中略

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 どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間のなかに散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の浸入を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間のなかに、時間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている〉と都内の各地(新宿~四谷、渋谷~明治神宮、東京タワー、麻布~赤坂、坂と崖下、三田、早稲田、青山、銀座~新橋、浅草~上野~秋葉原、下町、皇居)を主人公として、現在までの意識と無意識がループ状につながった作品として描いている。

 私が自宅周辺の地形と遺された貝塚や古墳などから、本と同様に縄文時代の地形を頭に描いて現在までの変化を意識、無意識にかかわらずつなげることには多少ムリがある。しかし東京という都市においては附属の地図を眺め、縄文時代から現在まで(約5000年)をひょいと考察してしまうと不思議と腑に落ちてしまう。ぜひ、東京散策の折に携帯したいガイド本だ。見慣れていたはずの東京で隠された物語を新たに発見できるかもしれない。その学習を活かして自宅の周辺をなんとかミニアースダイバーと化して探ってみれば、いつもの散歩に別の楽しみがひとつ加わりそうな気がする。

写真は自己肯定

 梅雨の合間の晴れ間。夕方、図書館へ届いていた本、「銀の水」(エイミー・ブルーム)を受けとってから高田調整池へデジ片手にでかける。いつもの散歩道も草の丈が一段と伸びて、夏を感じさせてくれる。さっそく目についた植物をデジに収める。

DSC05525 キイチゴの実 
木になる苺を総称してそう呼んだが、葉の形からもう少し詳しい名前がわかるはずだ。今はまだ分からないのだが、こういうことを続けていくともっと詳しくなっていくだろうと思っている。つまんで口に入れたらほのかに甘く、ノスタルジックな気分にひたれる。


DSC05528 ナワシロイチゴの実
苗代のころに赤い実が熟すためにこの名がついた。一粒つまんで口に入れたら、甘酸っぱい味がした。ジャムにするときは砂糖を加えると美味しいというが、そこまではしたくない。 



DSC05531 ミントの葉
ご存じシソ科のハッカ属のハーブだが、野生化していて種類も多そうで詳しい名前は不明だ。以前、サンフランシスコからモントレーに向う途中、ペブルビーチゴルフ場近くの海岸沿いを歩いてたら、森の開けた場所にこのミントが群生していたのを思いだした。



DSC05534 コマツヨイグサ(小待宵草)
夕暮れになると径2cmほどの淡黄色の花が咲き、翌朝しぼむと橙色になる、と図鑑には説明されている。とはいえ、朝見たことはないので橙色になるかはわからない。むかしキャンプ場でよく見かけた。


DSC05535 田んぼ
あっという間に前回と違う光景。すでに苗が成長して水面が見えなくなっている。





DSC05536 ハマスゲ(浜菅)
海岸に多いのでこの名があるが、畑地や公園などでもみられるカヤツリヅサの多年草。





DSC05541 イヌガラシ
6日にみたときよりも濃く、太く、成長しているようだ。






DSC05545 ヤマドリタケモドキ(イグチ科)
イグチ科のキノコは傘の下がスポンジ状なのですぐにわかる。針葉樹林に生えるのがヤマドリタケ。このキノコは広葉樹林の暗い森のなかに数本が生えていた。図鑑には食べられると書いてあったが、道路沿いで目立ったが誰も採ってない。ダンゴ虫がくっついている。


DSC05547 ノアザミ
アザミの種類は多くて、葉の形をよく観察しても図鑑におなじ葉の形をしたものがない。なので、いまのところ詳しい名前はまだ不明だが、総称してアザミで一向に構わない。モチロン、学者になるわけでもない私にとってだが。なのでこの時期に咲くノアザミとした。



DSC05559 アレチマツヨイグサ
待つ宵草には間違いがないのだが、詳しくはわからない。太宰治が言った、〈富士山には月見草がよく似合う〉の花はこの花のことらしい。





DSC05562 キアゲハ
上のマツヨイグサをデジに収めようとして斜面を登っていったら、ヒメジオンの花にとまっていたキアゲハを見つけた。夕方の6時を過ぎていたので眠っていたのかもしれない。ちかよっても動かなかった。


DSC05567 シバザクラ
調整池の周遊路を造成するときに植えこまれたものが繁殖したのだろう。緑のなかに鮮やかなピンク色がひと際、光彩を放っているが、なんとなく人工的なパステルカラーに感じてしまう。



DSC05568 チガヤ(茅)
5月のころとはちがって背丈も1m以上に成長している。





 6時半に家にもどるが、汗をかいたのでシャワーを浴びてから、夕食の支度。途中で買った生の鰯二匹を刺身にして(下)炊き立てのご飯で食べた。鰯は今が旬、なので脂がのっておいしい。インゲンのお浸しと味噌汁の具はニラ。漬物はキュウリと大根。ごちそうさまでした。上のほうにチョイとみえるガラスの器はラリックの香水瓶だが、スポイトの部分が欠損しているので食卓用の花挿しとして使っている。以前、甲府のアンティーク店で買ったものだが、1万円以下で入手したのでお買い得だったと思っている。

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 食後、少し本を読んでから10時になったので、いつも見ているBS朝日の番組、〈フォトラバーズ〉という番組にリモコンを合わせた。安めぐみと写真家の横木安良夫が品川宿をテーマにカメラを構えてシャッターを切っている。写真家がいう、「写真はセラピーだ。自己肯定そのものだから、自分の好きなものを好きなように撮ればいい」と。そして「窓でもあり、鏡でもある」ともいう。なるほど、カメラは被写体を捕える窓であり、撮った写真は自分を反映する鏡でもあるのだと。現在の写真ブームの理由の一端がわかった気がした。私もデジ構えて納得のいく自己肯定をしよう、と思った。

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存在感

 「坂本龍馬と明治維新」(マリアス・ジャンセン)によると土佐藩主の山内容堂について、〈彼は徳川支配最後の十年間に全国の政治に影響を与えた、五指をもって数える有能な大名の一人で、臣下の性格と能力を見分ける鋭敏な判断力をもつとともに、歴史を読み、また吉田東洋のような参政を信頼することによって、自分の生きている時代の重要性を感じ取っていた。彼はまた音に聞こえた酒豪で―土佐人の酒好きは全国に知られている―、人間的にもすぐれた魅力と吸引力をそなえていた。性格は活力にみちた外向型で、形式主義をきらい、虚礼を軽蔑し、そこからして接触する範囲も自分より遥かに下位のものにまでおよび、彼らを自分と対等に遇して、これには彼らの方で驚くほどであった。

 一例をあげれば、彼が土佐藩主となったのち、幕府の老中阿部正弘に初めて会ったときのことである。容堂は、阿部が幕府の要職にあって、責任の重さにさぞ心労のことであろうといったようなお座なり言葉を二、三もごもごいったかと思うと、だしぬけに胸中をさらけ出してこういった―『本心をいえば、あなたはさぞ気楽で、ばか大名どもを相手におもしろがっているんじゃないですか。しかし、私には気をつけられた方がいい。』 容堂はその場の状況に応じて、ときには強く、ときにはユーモラスに、ときには荒っぽく、ときにはもの静かに、人に接した。彼は自分で藩政をしっかり掌握し、可能なときにはいつでも発展をはかりうるような形で、藩内の派閥や個人のバランスをとった。彼は家中の全員から全面的な尊敬を受け、彼と意見のあわないものも彼を尊敬した。〉と説明している。

 ドラマに描かれた容堂像とだいぶ違う印象だ。そう、今日も昼から大河ドラマ「竜馬がゆく」を16話~27話までONしていた。山内容堂を演じているのが、近藤正臣だがじつに存在感があって個性的なキレ者をベテランらしく演じていたのに感心した。とくに容堂がなにかを決断するときの顔のアップに独特のクセというか凄味というようなものを感じて、福山雅治のノーブルさと真逆の効果を生んでいたように思う。

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 もう一人、見つけた。吉田東洋を演じた舞踊家の田中泯という人だ。東洋に関しては前出の本は、〈土佐の武士階級のうち官僚制度の支柱をなしていたのは最上位よりも下で、しかし「上士」と総称される五階級のうちに入る武士たちであった。とくに馬廻りと小姓組のなかに、容堂はもっとも有能な役人を探そうとし、見つけもしたのであった。吉田東洋自身も、二百石の俸禄をうける比較的下級の馬廻りで、先祖は山内氏に仕えた長曾我部の遺臣であった。彼の信奉者や門人も、後藤象二郎、板垣退助、福岡孝弟などのように上士の中流に属するもので、そのなかから、徳川末期の藩政を指導し、さらに進んで明治時代の政治史に大きな足跡を残す人たちが出てきたのであった。〉とふれている。

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 ドラマのなかで田中泯の演じる東洋の身の動きにユニークさを感じたのは、舞踊家だったからだと腑に落ちた。雨のなかの暗殺シーンも不思議なリアルさを感じたしね。ところでWEBをみると、2012年の朝日新聞に掲載されたいじめ問題に対する田中泯さんの記事、《いじめを見ている君へ》「今の自分、カッコいいか」と題したものがあったのでここに紹介。
 

 【最初に断っておくが、いじめは子どもの責任じゃない。大人の責任だ。子どもはきょろきょろ大人を眺め、大人のまねをしているに過ぎない。

 大津の問題では、自殺から9カ月が過ぎたというのに、今ごろ大人たちはバタバタしている。学校も教育委員会も警察も自分に都合のいいことばかり言う。

 君は、大人の「見せかけの本音」を見抜いているだろう。言い訳で身の回りを固めた大人たちの姿をカッコ悪いと思うだろう。

 でもね、大人だって、かつては子どもだったんだ。君だって大人になるんだよ。ある日突然、子どもを卒業して大人になるわけじゃない。今の君の生き方が大人の君をつくるんだ。

 今、君がいじめを見て見ぬふりをしているなら、大人になった君もきっと傍観者だ。面倒な問題とは無関係な安全地帯に身を潜めるだろう。それでいいのか。

 僕も小学校時代、散々いじめられた。背が低く、どもりもあったから。土に埋められ、砂も食わされた。誰も助けちゃくれない。でも逃げ場はあった。川や森に逃げ、独りで過ごした。そこで孤独の素晴らしさを知った。

 協調性ばかりが求められる世の中だけど、僕は孤独が大事だと思う。誰にも見られていないときにこそ、本当の自分がいるんだ。

 君は親や先生や友達の前ではカッコよくふるまうだろう。でも、周囲に知人がいない孤独なときにこそ、カッコよく生きてほしい。僕が思う「カッコいい」の意味は、自分の生きている理由を自分で考え、自分の意思で行動できることだ。

 孤独なときに考えてごらん。今の自分がカッコいいかどうか。どんな大人になりたいのか。進学先や就職といったちっちゃな話じゃないぜ。いじめられている友達の顔も思い浮かべてごらん。そこで考えた結論が、「大人の君」を決定づけるかもしれない。(たなか・みん=舞踊家)】

 24話で武市半平太を演じる大森南明が捉われている牢屋へ妻、武市富(奥貫薫)から蛍が内緒に持ちこまれる。牢獄のなかを弱々しく飛ぶ蛍の儚い明るさがこの夫婦の行く末を暗示しているようで印象的なシーンだ。このあたりの演出に好感を感じたし、奥貫薫のキャスティングにも舌を巻いた。この人の女優活動や、プライベートを考えるとその絶妙さにおもわず唸ってしまう。

 さて、しばらく本と録画番組の消化に追われそうだが、季節は梅雨だ。読書には外出しないですむこんな日々はちょうどいい。

菜の花忌

 BSプレミアムの昼の番組、「にっぽん横断こころ旅」で農家のおばちゃんが畑でじゃがいもを収穫している光景をみて、火野正平さんが「じゃがいもおいしそ」とつぶやいたので、私もじゃがいもを食べたくなった。で、ポテトサラダにしようと決めたのだが、冷蔵庫にキュウリがない。スーパーでキュウリを買ってきて、茹でたじゃがいもと人参に玉ネギのスライスをくわえて、マヨネーズで和えればおいしいポテトサラダの出来上がりだ。ハムのサンドイッチをつくり、コーヒーを自分用だが4杯分淹れた。

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 たまにだが、テレビをみながら昼を食べることがある。今日はそのパターンで、ひかりテレビに録画しておいたNHKで2010年1月3日から11月28日まで放送した、「龍馬伝」をチョイス。いまさらだが、あの福山雅治主演の大河ドラマです。というのも、先日のNHKのEテレ、TVシンポジウム「出版50年記念"竜馬がゆく"」をみたせいかもしれない。司馬遼太郎(1923-1996)が好きだったという菜の花にちなんでその命日の2月12日を菜の花忌として毎年シンポジウムが行われているのだが、今年は「竜馬がゆく」をテーマに幕末を駆けぬけた坂本龍馬を描くことで、司馬さんが現代にどんなメッセージを遺したのかを4人のゲストがさまざまな視点から話しあっている。

 出席者は建築家の安藤忠雄、女優の真野響子、東京大学名誉教授の芳賀徹、神戸女学院大学名誉教授の内田樹というメンバー。私も本、「竜馬がゆく」はもっているだが、いまだに未読だ。なにしろ文庫で8巻という結構な量なので、いつか読みたいと思っていたのだが、ちょうどこのシンポジウムの番組をみたことをきっかけに読んでみようかなと考えた。とても参考になった番組だった。自分がパネリストだっらと想定してみたが、みなさんさすがに読みこんでいて参考になる意見が多かった。とくに芳賀さんの紹介されたプリンストン大学教授のマリアス・ジャンセン著、「坂本龍馬と明治維新」は1961年の春に同大学から出版されていて、司馬さんも参考にされているとおもうのでぜひ読みたい。

 図書館にリクエストしておいたので、邦訳版(1965年)が私の手もとにすでに届いている。ところで、みてから読むか、読んでからみるかはじつに悩ましい問題だ。テレビのほうは司馬さんの原作とはちがう個所もあるというが、まずは予備知識編としてドラマの11話から15話までの5本を今日みた。みながら思った、みてから読めばイメージが広がりやすいではないか。なので並行してまず、マリアス・ジャンセンの「坂本龍馬と明治維新」を読みすすめていきたいと。読了後、司馬さんの「竜馬がゆく」を読み始めたい。そう思っている。

キハダカノコ

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 朝から雨模様の一日。さっそく昨日の宿題であるヒメジオンの蜜を吸う昆虫の同定をしようと図書館の図鑑を調べる。昼間活動をするコトラガか、キハダカノコのどちらかにちがいない、と見当をつける。家にもどってWEBも参考にしようとPCを開くと、八ヶ岳の喫茶店オーナーのMさんから画像付きのメールが届いていた。以前は自宅裏の川での釣り情報が多かったが、最近は植物や、動物などを含めていろいろと八ヶ岳歳時記風な写真映像をコメント付きで送ってくる。

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 上は送られてきた画像3枚だが、コメントも紹介する。〈
おはようございます、この間、とうとう見つけました、初めて見たとき直感でアツモリソウ!とわかりました。それから、30分ほど周りを調べて見ましたがアマドコロが一本生えていただけです、後は笹原だけです。良く見ると、蕾らしきものが見えます、舞い上がっている自分にこれがどうしてアツモリソウだといえるのか?という疑問が湧き出てきました、それがアツモリソウというのは、図鑑の写真を何千回と見ていて花がなくても、それがアツモリソウと言うのはわかると思っていました、人間で言えば憧れのスターに直接会ったなら、それまで写真で見ている人を見間違いすることがないように、99%間違いがないと思っても後1%もしかしたら・・・と疑問が出てきます、そこで、ふたりの友人にメールを送って本物かどうか聞いて見ました。二人とも本物と言い切ることが出来ないとの返事でした。後は、花が咲く頃にもう一度写真を撮ろうと思います〉と、興奮冷めやらぬ様子が伝わるようで微笑ましい(真ん中のピンクの花はサクラソウか?)。

 では私もよく調べようじゃないの、とWEBを眺めると〈昆虫写真図鑑〉なるHPに、こう紹介されていた。それがトップの写真だが、昨日私が撮ったヒメジオンの花の蜜を吸うキハダカノコと構図もそっくりでまんざらでもない。〈ガの一種、同じグループのカノコガに似ているが、腹部の黄色いバンドが2本なのはカノコガ、たくさんあるのはキハダカノコである。ドロバチに擬態している〉

羅漢さん

 午後、近所のスーパーに食品の買い物に行くついでに足をチョイと伸ばして、市原市の村田川へいってみた。といったって家から車で10分たらずのところだが、福田洋さんの本、「守ろう千葉の植物」のなかのヤマエンゴサクの項でこう述べている。〈千葉市誉田から市原市高田へぬける観察コースは面白い。その終点付近でヤマエンゴサクがきれいな薄紫色の花を咲かせていた。エンゴサクという名前は「延胡索」で、この類一般の漢名である。本州、四国、九州に分布し、湿った林などに生える多年草。本県内では北向きの斜面の下部に稀に見られ、県の「重要保護植物」である。〉とあった。そこでコースだけでも知っておこうと思ったのだ。

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 こんなちかいところにいかにも田園といった光景が広がっている。仕事でなんどか車で通ったことはあるのだが、関心があるとないとでは目線がこうもちがうとはチョイとした愕きだ。車を止めて図鑑片手に歩きはじめたが、木陰は涼しくても陽のあたる場所にでると汗をかいてしまう。本日の収穫は以下のとおりだ。ここに載せなかったが、ほかにも数種の見知らぬ植物を撮った。しかし暑いので図鑑を開かないでデジに収めるだけにして先にすすんだ結果、家にもどり図鑑と首っぴきで調べたが名前のわからない植物も多かった。人っ子一人いない農道を植物さがしてぶらぶら歩く気分は爽快だ。しかも風景もそうだが、匂いも子ども時代の田舎で過ごした夏休みを思いださせれてくれてタイムスリップ気分を楽しんだ。

DSC05475 ムラサキハタバミ
黄色のカタバミも目立ったが緑のなかに薄いピンク色したこの花をみると清楚な可憐さを感じる。女性タレントにたとえたいのだが、きっと笑われるのでここには書かない。



DSC05478 コマツナギ(駒繋ぎ)
図鑑をながめながらそうとう時間をかけて調べた結果、出した答えがコマツナギだ。茎は馬がつなげるほど丈夫なことからついた。やはり、現場で図鑑を調べたほうが早いし正確だ。一つ勉強した。



DSC05479 アマカエル
まだ1cm位の大きさだったが、たくさんいた。粘膜からは体を細菌などから守るため毒が分泌されている。手で触る分には問題ないが、傷ついた手で触ったり、触った手で目や口を擦ったりすると、激しい痛みを感じ、目に入った場合は失明することもある、と説明されているので触らないようにしよう。


DSC05480 ホタルブクロ
ガクのところが反り返らないのはヤマホタルブクロでめずらしい。これはよくあるホタルブクロ。花のなかに蛍を入れて遊ぶところから名がついたという。父親の田舎ではシーズンになるとホタルがたくさん輪舞していたのを思いだしたが、ホタルを入れて遊んだ気もするがはっきりとは覚えていない。



DSC05481 ケキツネノボタン 
5月にみたときよりも力強く成長している。果実の棘の尖端はキツネノボタンより曲がらない。






DSC05484 ネジバナ
今回目立ったのが、先ほどのアマガエルとこのベニシジミだ。これなど、一本のネジバナに3匹も群れている。







DSC05488 ヤブヘビイチゴ
葉の色が濃緑色で果実につやがあるのでヘビイチゴでなく、ヤブヘビイチゴとした。





DSC05489 ヒメジオンの蜜を吸う
見るとお腹がたっぷりとして元気そうだ。よく見るのだが、名前がわからない。後ほど昆虫図鑑で調べておきます。こうなると昆虫図鑑も手許に必要になるかも。(翌日、キハダカノコと図書館の図鑑とWEBで判明した)




DSC05496 ヤマブキソウ(山吹草)
花弁が4枚のや5枚のものもあるという。これは5枚のヤマブキソウだ。鮮やかな黄色だった。(と書いたが、福田さんの本にはヤマブキはバラ科で花弁が5枚とあったのでヤマブキが正解)ヤマブキソウだったら千葉県では稀な存在で、県の「重要保護植物」だそうだ。ここに追記して訂正します。


 さて、農道を歩き回って少々お疲れ気味だ。車に乗り、3分ほどのところにある寺、「光徳寺」に行って今が見ごろの紫陽花と、この寺の名物の五百羅漢を拝見させていただこう。私はこの寺は初めてだったが、山門をくぐると仁王門までの両側に大きな十八体の羅漢さんが屹立していて迎えてくれる。表情が実に豊かで一体づつ眺めているときりがない。

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 羅漢とは「阿羅漢」の略称で、 「釈迦の十大弟子」のような、悟りの境地に達した修行者の称号をいうらしい。十二の干支を引き連れた羅漢さんの他に架空の生き物を引き連れた羅漢さんとで合計18体になるのだが、足元に名前を彫った石碑があるのでわかりやすい。ちなみに今年の干支を覚えてますか。巳年ですよ(笑)。巳を引き連れた羅漢さんのところに、「今年の干支です」と表示してあったので親切。羅漢さんを囲むようにして紫陽花が満開だ。さらに奥にすすむと370体の羅漢さんが勢ぞろいしている。わが家から車で10分走ればこんなにちがう世界が広がっているのは、ちょっと楽しい。

 ちなみに釈迦の十大弟子は以下の通りです。
「舎利弗(しゃりほつ)」、 釈迦の教えをよく理解したことから「智慧第一」と称されました。
「目連(もくれん)」、母親を餓鬼道の苦しみから救ったことから「お盆」の行事が始まったといわれ、「神通第一」と称せられました。
「摩訶迦葉(まかかしょう)」、「頭陀行」(衣食住に執着しない行)に優れ、「頭陀第一」と称せられました。
「阿那律(あなりつ)」、釈迦の前では決して眠らないという不眠の行を行い失明をしてしまいましたが、かわりに天眼(智慧の眼)を得たので「天眼第一」と称せられました。
「須菩提(すぼだい)」、「空」を理解すること第一で「解空第一」称せられました。また物に対する執着、心の争いがないことから「無諍第一」と称せられました。
「富楼那(ふるな)」、釈迦の教えを体得することが第一であったことから「説法第一」と称せられました。「富楼那の弁」という言葉はここから来ています。
「迦旃延(かせんねん)」、他宗教との対論や、聖典の中で哲学的論議を多くしていることから「論議第一」と称せられました。
「優波離(うばり)」、釈迦が決めた戒律を実践することが第一だったことから「持律第一」と称せられました。
「羅喉羅(らごら)」、釈迦の実の子で、釈迦の教えや戒めを綿密に怠ることなく精進し、解脱したことから「密行第一」と称せられました。
「阿難(あなん)」、約二十五年もの間、釈迦の身の周りの世話をし、説法を聞く機会が第一であったことから「多聞第一」と称せられました。 

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子ども

 午前中、Mが自分の子どもとAYの女児をつれてきた。AYの母親が乳がんの手術で入院しているので病院へ行っているAYに代わって子どもを2時まで預かっているのだという。天気がいいので買い物ついでに3人を大百池に連れだし、池に住む大きな鯉にパン屑をやったり、遊具で遊ばせたりした。しばらくしてから、ちかくのショッピングセンターに移動してマクドナルドで昼にした。AYの女児がまだ1歳のころに家に来て以来だったので、あっという間に3歳半に成長した姿を見て、ときの過ぎる速さを実感したりした。

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 ショッピングセンターで買い物をすませ私の家に4人でもどった。子ども同士、二人のよくしゃべること。聞いているとときどき大人じみた会話を交わしたりするので、笑ってしまう。ふたりとも親はとっくに離婚しているのだが、たくましく無邪気に育っていく姿をみると、ホッとするやら感心するやら。こういうときのために録画しておいた子どもの番組をONしたりして、AYが迎えにきた2時過ぎまで私と一緒になって遊んだ。Mは眠い眠いの連発でソファの毛布かぶって眠っていたし、こういうときは当然というべきか私は子どもたちにもなつかれてしまう。年齢差でいえば孫にあたる年頃の子どもと一緒になって遊ぶのが楽しくないわけはない、疲れはするけど(笑)。

 母親の看護からもどったAYをハグで迎えて少しおしゃべり。がんばり屋なのでそんなことはない、といっていたが気のせいか、痩せてうすくなったと感じた胸のあたりにただよう寂寥感が痛々しい。4人が帰ってから、しばらくして今度は夕方にAが来訪した。いつものようにふくらはぎを揉みながら、さっきまでいたMやAYの子どもたちのことに話の花が咲く。穏やかな頬笑みの時間がゆっくりと過ぎていく。Aが帰ってから録画しておいたドラマ、「キャッスル」を2本続けてみた。シーズン4からぐっと面白くなったこのドラマの女刑事のケイト・ベケットとAの顔がどうしてもだぶってみえてしまう。

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キンラン

 午後、借りていた本を返却に図書館へいく。すると昨日図書館のHPにリクエストしておいた本、「うつくし世に女と生まれて 原阿佐緒」(秋山佐和子)と、冊子「房総の郷土史第38号」(秋山佐和子による歌人・原阿佐緒の生涯についての講演録が掲載)の2冊がもう届いていた。アマゾンで注文して買うよりもはるかに速い。そのまま館内でページを開き、読みこんでしまうが阿佐緒の歌集「涙痕」から数首を秋山さんの解説をつけて紹介します。

 〈この涙つひにわが身を沈むべき海とならむを思ひぬはじめ
 
 これは与謝野晶子が天賞に採った歌です。そしてこれが阿佐緒の出発点です。この歌を読みますと、涙がうねっているような感じがします。自分のなかから溢れて来る涙、それが自分の身を沈める海となる。「思ひはじめ」-思ひぬ-と言いきっているところが、しっかりしていて独特の表現だと思います。

 吾がために死なむと云ひし男らのみなながらへぬおもしろきかな
 
 凄いですね。二十二、三歳で、このような歌を詠むのですから。恋愛をしているときに、「あなたの為なら命を捧げます」と云った男たちが、みな長生きしているじゃないか、面白いことだ。と、ちょっと皮肉を込めた歌です。阿佐緒はなぜ歌を詠んだかというと、自分の悲しみを満たすためもあったけれども、自分は男性よりも上になりたい、男性に屈服したくない、そのためにはどうしたらよいか。自分はもっと勉強するんだ。すぐれた歌を詠むんだと自伝「黒い絵の具」の中で告白していますが、誇りの強い人でした。だから「面白きかな」と云いきってしまうのです。

 生きながら針に貫かれし蝶のごと悶へつつなほ飛ばむとぞする

 生きている蝶を針で刺す。蝶が翅をバタバタさせる。その姿を自分になぞらえている。自虐的、かつ意志的な、青鞜風の表現です。〉

 そういえば平塚らいてうの自伝にも阿佐緒と青鞜のかかわりが描かれていたが、与謝野晶子の下で阿佐緒の歌の才能は大きく開花していき、「スバル」「青鞜」にも歌を発表するようになる。大正二年三月には「アララギ」に入社し、五月に、歌集「涙痕」を上梓する。

 〈房州出身で「アララギ」編集人の小泉千樫も阿佐緒と文通をしていて、「涙痕」を出版する時も手助けをし、恋愛関係に陥るのです。大正二年十二月、二人は稲毛海岸の旅館に宿泊します。このとき詠んだ歌が千樫の代表歌といわれているもので、

 夜は深し燭を継ぐとて起きし子のほのかに冷えし肌のかなしさ

 「起きし子」はもちろん阿佐緒です。燭を継いだ恋人の肌がほのかに冷えている。それが悲しい。

 うつつなく眠るおもわも見むものを相嘆きつつ一夜明けにけり

 阿佐緒が眠っている顔を見たいと思っている。しかし互いに一睡もしなかった。お互いを嘆きながら夜が明けてしまった。

 朝なればさやらさやらに君が帯結ぶ響きの悲しけり

 朝になって、阿佐緒が着物の帯を結ぶシュッシュッという音の響きが悲しいというのです。

 二人の恋はその後どうなったでしょうか。稲毛に同宿したことが千樫の妻の知るところとなり、乳が涸れて、赤子だった次女は死んでしまいました。この時千樫は「柩を抱きて」五十首を発表しました。その中に、

 をんなに我が逢ひし時かなし子のたらちねの母の乳は涸れにけり

 と歌い、二人は別れました。ですが千樫は最後まで兄のように阿佐緒を庇った人です。〉

 そして講演の中で、秋山さんはこう結ぶ。〈女性にとって多くの障壁のあった明治・大正・昭和という時代を、「生きながら針に貫かれし蝶のごと悶えつつなほ飛ばむとぞする」の歌のとおりに、もがきつつ飛ぼうとしていたその姿を歌で刻印しました。もっと深くその歌を読んでいきたいと思います。ご清聴ありがとうございました〉と。

 もう一冊は明日からゆっくりと読んでみたい。ところで館内の書架をチェックしていたら、「失われゆく千葉の植物」(福田洋)なる100種以上の植物の美しい写真が掲載された本を発見。さっそく手に取り内容を見てみると房総の植物が的確なコメントもそえられていて、さいきん野草にハマっている身としては見逃せない。さっそく借りて眺めてみるが、続編もあるそうなのでこれなら二冊手許においておきたい。で、アマゾンに注文したという次第。以前、大百池の周辺でキンランをみつけたが、この本には〈キンランはラン科の花としては珍しく黄金色で、総状花序の花は全開しないため、独特の気品をもっている。群落はつくらないが、林や藪の中などに草丈30~50cmになり、花の時期には大変目立つ存在である。

250px-Cephalanthera_falcata_1 このため、根ごと堀り取られてしまう事が多く、この辺ではほとんどみられなくなってしまった。また、最近は宅地やゴルフ場の造成などでキンランの生育する雑木林が急激に減少しており・・・〉と紹介している。私は近くの森にこのキンランがたくさん生育している場所を知っているが、もしかすると近隣の住民たちによる保護活動によるものかもしれない。とまれ、環境省のレッドリストに、1997年絶滅危惧Ⅱ種として掲載されたとある。同属の白い花のギンランも同じような場所で同時期に開花するというが、まだ見たことはない。並んで咲いているのを見てみたい気がする。

 著者はこの近辺の学校(土気中学はAやMが通った学校だ)に29年間勤務し、私の観察フィールド(泉自然公園、昭和の森、成東・東金食虫縮物群、千葉市内)などがその舞台になっているのでじつに好都合だ。この本を参考にして周辺の植物観察に習熟すれば、エコロジカルな視点や観察力も育つにちがいない。戸外にでるだけでも気晴らしにもなり、健康にもいい。しかもお金はかからないので定年過ぎの趣味にするにはもってこいだ。

本日の収穫

 午前中、蓮沼で商用が終わり、昼はちかくの「金沢食堂」でイワシの刺身定食。3時過ぎから八街市の予定なのでまだ時間がある。食後、伊藤左千夫(1864-1913)の生家に隣接した、〈山武市歴史民俗資料館〉へよってみた。企画展、〈左千夫のてがみ〉を開催中だったが、弟子で物理学者・歌人・東北大学教授の石原純(あつし1881-1947)にあてた手紙が多く展示してあった。

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 この石原純なる人を私は知らなかったが、WEBによると、〈歌人としては、一高時代に伊藤左千夫に入門し、『アララギ』の発刊に参加。初期の主要同人となった。妻子を持つ身ながら7歳年下の美貌の歌人・原阿佐緒と恋愛事件を起こし、大学を辞職。以後は著作活動をおこなう。島木赤彦や斎藤茂吉の説得を受け付けず阿佐緒との同棲を続け、このスキャンダルによりアララギを脱会に至る。1924年、北原白秋らが創刊した歌誌『日光』に阿佐緒や千樫らとともに参加した。唯一の歌集『靉日』では分かち書きや句読点を取り入れた作品を発表。『日光』以降は自由律短歌の理論的推進者となった〉と説明されていた。下の写真は東北帝国大学助教授時代にヨーロッパ留学し、アインシュタインらのもとで学んだ縁で、1922年アインシュタイン来日講演の通訳をした際のもの(左が石原純)。

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 資料館に展示されている家族の写真をみると、妻と5人の子どもに囲まれた実直そうな面影が見てとれる。一緒に写っている妻いつの顔つきも純朴な大人しい表情で、これら家族を捨て職を賭してまで走った阿佐緒なる女とはいったいどんな顔をしてるのか、とミーハーな関心のみで眼を移すと、少し離れたところにふたりの逃避所として建てた保田の家の柱に寄りかかる彼女の写真が展示してあった。なるほど、これなら石原純がストーカーまがいに追いかけ回し、執拗に口説きまくった相貌として納得がいく気もしたが、アインシュタインの相対性理論の研究者としても有名な東北大学物理学教授のキャリアを放り出してまでって・・・どうよ。以下に仙台にある、「原阿佐緒記念館」からの阿佐緒の写真と、WEBからの記事をチョイ転載しておく。

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〈原阿佐緒。「恋多き女」はたまた「魔性の女」。この人はそう呼ばれる。
 深窓の令女、でもって、評判の美人。両親の寵愛を受けること、世間の何事も知らない。そんなお嬢様が大人になる。そして恋をする。そうすると如何なる事態になるものか。

 明治二十一年、宮城県の片田舎に素封家の一人娘に生まれる。三十七年、日本女子美術学校に入学。日本画を学ぶ一方、短歌に興味を持つ。

 ここで最初の問題がある。英語と美術史の教師小原要逸。彼は教壇に立つかたわら、新進の翻訳家として数多く英詩を訳出している。要逸は阿佐緒に目をかけ、下宿を訪ね英書を講じたりしている。するうちに事が起こっている。阿佐緒の自伝にある。「無耻な行為が彼女の処女性を真黒に塗り潰してしまつた」。なんと突然の陵辱だった。そして妊娠の宣告である。ところがきくと妻と三児があるときた。絶望した彼女は自殺を図るも未遂。四十年、長男を出生。これを機に帰郷、歌作に励むのだ。

 大正二年、処女歌集『涙痕』を上梓。これに「序文」を寄せた与謝野晶子は書いている。「あなたのやうな純粋の叙情詩を作る人があるのを私は嬉しく思つて居ます」

  捨てられて山にかくれて歌よみて泣きて子とのみ生くるわれはも
  黒髪もこの両乳もうつし身の人にはもはや触れざるならん

 もうぜったい男などこりごり。「子とのみ生くる」「もはや触れざるならん」。そうはいうも男が放っておかない。そしてそれを拒み通せないという。だとするとこれらの歌はなんだっていうのか。なんともこのときまたも恋にうつつをぬかしている。相手は「アララギ」同人の古泉千樫。
 三年、千樫との関係を絶ち、その昔の恋人、画家志望の庄子勇と結婚。翌年、次男が生まれる。だけども長続きしない。八年、離婚。むろんこれで沙汰止みではない。そうでは全然なくてその後もまだまだ色々とあった。そして彼女をジャーナリズムの好餌とするスキャンダラスな事件である。

 石原純。相対性理論の研究で日本を代表する理論物理学者、東北大学教授。歌人としても著名で、「アララギ」の重鎮であった。はじめは歌の師であったが、だんだんに男と女をおぼえる。なにしろ象牙の塔のほか知らない学究の徒ではある。そうなると妖艶な色香に抵抗できっこない。四十一歳で妻と五人の子。相手は三十四歳で二児の親。それに名声も地位もある。だが燃え上がる恋心を止め得ない。曲折はあった、ものの遮二無二もいい、出奔となった。

 「恋ゆゑの此の処決/歌人原阿佐緒女史との巷の噂が真実となつて/石原博士辞職す」(「東京日日新聞」大正10・7・30)
 この一件は新聞に大きく報じられ、世間の好奇の目を引く一大ニュースとなる。非難と嘲笑。わけても博士の家庭の破壊者たる阿佐緒への指弾は執拗をきわめた。二人にはしかし世間はあってない。千葉県保田の海辺に「靉日荘」なる愛の巣を構える。十二年九月、関東一円を大震災が見舞った。その折の歌にある。

  夫ごころ貴くもあるか土に寝しわれの辺の蚊を追い給ふかも

 純の夫ごころに阿佐緒は満ち足りていた。靉日荘の愛の日々は静かに続いた。些事は書生と女中の仕事。純は『相対性原理』『アインスタイン全集』他の著作に精を出し、あきれば阿佐緒をモデルに絵筆をとった。

  たまたまのいとまを夫のモデルとなり椅子にくつろぐわれにあるかも

 日々は夢のようにして永遠に続くかにみえた。だが夢はやがて覚める。純に女ができたとか、阿佐緒が嫌になったとか。ここに掲げる歌をみよ。いつか間に隙間風が吹きだす。沈黙が妬心になり、口論が面罵となる。だいたいはじめから無理無体もいいのである。愛の生活七年余り。またしても新聞ダネである。でかでか躍っている。
 「歌人原阿佐緒女史愛の巣を飛び出す/生ける人形の悩み/はじめから無理な生活/さびしき旅路にゆふべ出発」(「東京日日新聞」昭和3・9・28)

 そうしてそれから小町の行方いかがなったやら。やっぱり引く手はあまた。四年、歌舞伎座近くのバー「ラパン」にマネキン・ガールとして勤める。翌年、大阪は数寄屋橋畔に酒場「蕭々園阿佐緒の家」を開く。さらにまた女優としても声が掛かり、ドイツ映画の名作翻案物「嘆きの天使」に名優デートリッヒの役で出演してもいる。だけどこんなのはみな阿佐緒のジャーナリスチックな艶名をあてこんでのこと。ただもう徒花でしかない。やがてその名も人々の記憶から消えている。そして歌も断つのだ。しかしなんというお嬢様の変転ぶりではあったろう。

 十年、帰郷。これ以降、苦しい戦争期を挟み、最期まで、同じ人物と考えられない、二人の成人した子供とその家族に暖かく迎えられ、幸せな生活を送ったそうな。だがはたしてその胸の内はどんなものやら。晩年の句にある。

  冬庭のわがまへばかりかげり居り

 四十四年、長逝。享年八十一。
 いっぽう純はどうか。八年、妻子の許に戻るも、十年後、自動車事故で脳障害を患う。二十二年、死去。享年六十七〉

 とまあ、かいつまんで紹介すれば結末も含めて今の私ならおおよその見当はついてしまうが、もしこれがそのころの自分だったらと思うと判断に迷うところだ。あなただったら妻と5人の子どもをおいて、いくら気も狂わんばかりに惚れた女とはいえ一緒に出奔できます?そんなことできないよねぇ、たぶん(笑)。しかも純は阿佐緒と別れてから妻子のもとにちゃっかりもどるのだから、ひととき男の欲望を叶えられただけでも幸せだっただろう。現代の目から見ればメチャ自己チュー勝手男だが。ふたりのこともう少し、詳しく知りたい。なので後日、参考になる本を読んでみたいと思った。

 さて資料館の外は雨、隣接の伊藤左千夫の生家の庭でピンク色したねじ花が濡れている。庭の奥で一本だけ咲いていたキク科(たぶん)の白い花は名前がわからない。そうだ、例の成東・東金食虫植物群落へ行ってみようと思い車をむけた。

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 途中、ちかくの本因寺をデジに収める。ここ、伊藤左千夫が小学校として通った寺だ。当時ここで学んだ小学生(といっても今のように無償ではなく、有償だが)の教科書が資料館に展示してあったが、現在の大人が見たって漢書が多くてとうてい読みこなせるもんじゃない。てっことはこの頃の子どもの学力レベルはハンパではない、明治の日本は今の我々からは想像もつかないほど凄かったということなのだ。

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 管理小屋へ行くとボランティアの人が一緒に木道を歩いてくれて、一つ一つ丁寧に教えてくれた。ここにきたのは4月以来だが植生がまったく違うので、なかなか楽しめる。HP:〈成東・東金食虫植物群FAN〉をご覧になると美しい写真とともに活動の様子が詳しく掲載されています。

DSC05395 キバナノマツバニンジン
アメリカ原産の帰化植物だが、教えてもらわなければわからない植物名だ。持っている図鑑には掲載されていない。葉が松葉の形をしているのでそう呼ばれたと説明される。


DSC05396 タカトウダイ(多年草)
高燈台と書くが、トウダイグサより背が高いためにそう呼ばれるが、4月にここで観察したときとはちがって大きくなっている。



DSC05397 ノハナショウブ(野花菖蒲)
公園などに咲いているハナショウブは本種から改良された園芸用だ。




DSC05398 オトギリソウ(弟切草)
花は夕方にはしぼむ一日花だが、開花するのは7月ころという。古くから薬草として知られ、名も薬効を他人にもらした弟を切ったという伝説によるという。



DSC05400 イチモチソウ(石持草)
4月にはまだ白い花が咲いていなかったが、今日は雨にぬれた白い可憐な花をつけていて、これが虫を食べる草とは意外な気がした。




DSC05401 コモウセンゴケ(小毛氈苔)
モウセンゴケのような白花がついていなかったが、こちらはピンクの小さな花が咲くそうだ。





DSC05402 ヒメヤブラン(姫藪蘭)
ユリ科なのに蘭の名がついている多年草。






DSC05405 ヤマアザミ(山薊)
アザミの種類は多い。ボランティアの人がそういったのでデジを接写モードにして撮ったが、くっきりと美しく撮れた。〈失われゆく千葉の植物〉(福田洋)という本では春から初夏にかけて咲いているアザミは、ほぼノアザミであると書いているが、どっちなんだろう。


DSC05403 ネジバナ(蘭科)
伊藤左千夫の生家の庭でも咲いていたが、ここはかなり多く咲いていて、紫色の可憐さが目立った。茎が捻っているのでネジバナというそうだが、右巻きと左巻きの両方があるという。



DSC05406 ヤマザキソウ
そう説明されたが、持っている図鑑には掲載がないのでWEBを調べてみたら希少性とでていた。





DSC05407 ノテンツキ
そう聞いたが、図鑑に掲載がない。WEBで調べたら千葉県ではレッドデータに準絶滅危惧種として指定されている。カヤツリグサの種類。




DSC05408 ゴウソ(カヤツリグサ科スゲ属)
湿地に生える多年草






DSC05409 ナガバノイチモチソウ(長葉石持草)
ウイキペディアには千葉県の東金・成東食虫植物群が代表的自生地と紹介されている。





DSC05411 コオニユリ(小鬼百合)
開花するのは7月頃だという。またそのころに来ますと告げてきたが、がらりと変わる植生の変化は楽しい。





DSC05412 管理小屋の壁に貼られた今日見られる花の紹介欄。HPにも時々更新して紹介しているので、見てから来るか、来てから見るかはあなた次第だ。とはいえ、ボランティアの人がいるときに説明を受けながらの観察が正解。そうでなかったら本日の収穫なんて2,3種類に限定されてしまうはず。

 6月の雨にしっぽりと濡れた花弁が雨滴にキラキラ輝いてじつにうつくしく、おもわず誘いこまれてしまいそうだ。なので雨降っていても楽しめますよ。


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 雨の一日、外出しないで午前中を読書で過ごした。「アースダイバー」(中沢新一)を読み始めたら面白くて興味をひいた個所に付せんを貼っていったら付せんだらけになってしまった。こんな場合、必要最小限のページをコピーするのがいつものスタイルなのだが、絞り込めるだろうか。読了してから考えたい。付せんの数が多かったのは「吉田神道の四百年」も同様なのだが、数ページをコピーして載せておきたい。

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 夕方、ひかりTVをONしたら映画、「パーフェクトゲッタウェイ」を上映していたのでそのままみてしまった。解説に、〈 世界一美しいリゾート地として人気のハワイを舞台に、ハネムーンで訪れた男女が、殺人事件に巻き込まれていくアクション・サスペンス。『ピッチブラック』『ビロウ』などのデヴィッド・トゥーヒー監督が、『バイオハザード』シリーズのミラ・ジョヴォヴィッチを主演に迎え、犯人も動機も不明の殺人事件に翻弄される人間の心理を、ハワイの解放的な景観と対比して描く。予測不可能な展開の果てに待ち受ける衝撃のラストに絶句する〉とあったが、その予測不可能なドラマの展開についドキドキしながら見入ってしまった。

 ハワイと一口にいっても19の島と環礁からなる総称を指してそう呼んでいるが、日本人にもなじみのある主要な島は、ワイキキビーチのあるオアフ島、火山のハワイ島、ホエールウオッチングで知られるマウイ島、シダの洞窟で有名なカウアイ島、モロカイ島などだろうか。映画はカウアイ島のトレッキングコースやビーチが舞台となっているので自然の美しい風景も一緒に楽しめる。映画のなかで脚本についての会話が交わされるが、脚本の占める重要性も感じさせる映画のできだった。

 思いだしたのは、以前マウイ島でゴルフを楽しんだ時のことだ。滞在中、早朝から夕暮れのボールが見えなくなる時間までツーラウンドをツーサムで夢中になってプレーした。ある日、ゴルフ場が混んだので、リタイアしたアメリカ人の老人夫婦と一緒に4人でコースを回ることとなった。穏やかないい日だった。紺碧の海原の向こうにはモロカイ島が真近に見え隠れする夢のようなコースだった。グリーンの上でパターを構えると、老人は「モロカーイ」と唱えながらホールをめがけてヒットした。ナンのことかと訊いたら、島に吹く風はいつも一定方向からなのでグリーンの芝目があのモロカイ島の方向に向いてるのだ、という。それを忘れないようにパターを打つときには、「モロカーイ」と念じて唱えるのさ、と教えてくれた。さっそく我々も真似してモロカーイと唱えながらパターを打った。グリーンの上は4人の唱えるモロカーイの大合唱になり、笑い声の絶えないゴルフ体験だった。これっ、「私の楽しかった思い出」というチェストにしまってある、たくさんある(笑)ファイルのなかの一つだ。

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 さて、「吉田神道の四百年」から以下の部分を参考のために転載。

 "神使い"の遺産

 慶応三(
1867)年、征夷大将軍徳川慶喜が、朝廷に政権を返還した。いわゆる大政奉還として知られるこの行為によって、徳川将軍は自ら天下人の座を下りた。これ以降、天皇と中心とした近代国家が形成されてゆくことは、皆さんご存じのとおりだ。

 長らく、江戸時代の天皇はまったく無力であり、その権威は幕末に急速に上昇し、明治維新を迎えた、という認識が共有されていた。むべなるかな。全国各地への行幸など、明治維新後も天皇を認知させようとする試みが繰り返されたことは、まだ明治維新の時点では全国に天皇の権威どころか、その存在すらが充分に認知されていなかったことを裏付けている。

 だが、権威が急に上昇するためには、それを受け入れる側にも一定程度の準備ができていなければならない。全くゼロのところに、いきなりエライ天皇陛下が出御されましたよ、と言ってみたって、誰、それ、で終わってしまう。天皇陛下は知らなくても、天皇を認識するための素地は、江戸時代を通じて形成されていたとみなければならない。

 その素地形成を、江戸時代に飛躍的に発展した出版文化の隆盛に見る向きもあろう。あるいは古代の天皇を主人公にして上演された、芝居や浄瑠璃などの芸能に求めることもできよう。ただ、次の告論を参観したした場合、本書で見てきた"神使い"もまたそこに一枚噛んでいたことを諒解してもらえると思う。

 

 〈天皇陛下は天照大神様の御子孫で、この世の始めより日本の主におわします。皆の地域にも正一位の位をもった神様がいらっしゃるであろう。実はこれはすべて、天皇陛下から御許しになられたものなのだ。だから天皇陛下は、皆の地域の神様より尊い御方なのである。〉

 これは、明治二(
1869)年、東北地方に出された告論の冒頭部分だ。東北地方といえば、京都から遠く離れている上に、幕末・維新の激動期には"奥羽列藩同盟"を結成して、最後まで天皇を戴く西南雄藩に対抗した大名たちの旧領地だ。そんな地域に天皇の存在を思い知らせるために、明治新政府が最初に切ったカードが、神様の正一位の位だった。地元の神様に位を与えた方こそが天皇陛下なのだ。つまり天皇とは、普段は意識することはないが、京都という遠いところにおわします。地元の神様よりエライ存在なのだ、という。なるほどわかりやすい。

 そこで考えてみよう。江戸時代に諸国の神様に位を与えたのが誰だったのかを。天皇が直接与える場合は、非常に高額で、なかなか一般の村が手を出せるものではなかった。むしろ、十八世紀の半ばに意義を失うまで、比較的廉価な価格で神様に位を与えていたのは、神使い吉田家だった。吉田家による、地元の神社への多数の宗源宣旨の発給がなかったら、この告論は意味をなさなかったはずだ。美しい錦の箱に入った宗宣源旨は、下北半島の先端部にある神社まで行き渡り、今でも大切に保管されている。

 諸社璽宣神主法度の発布に伴う、諸国神職への神道裁許状の発給も見逃しがたい。これによって、諸国の多くの神職が、吉田家、つまり朝廷の公家と直接にうながることになったのである。そして、その後に続く白川家との門人争奪戦は、専門の神職だけでなく、神社や神様に関わる人のほとんどを朝廷につなげてしまうところに帰結した。周く神社・神道に関わる人が、吉田家・白川家という公家を通して、朝廷、ひいては天皇という権威につながっていったということだ。
"神使い"吉田家の活動は、神社を通じて、各地にそのような遺産を残し、明治の国家形成を円滑ならしめることに一役買っていたのである。

 それまでは、御神体や祭神が何かわからない神社もたくさんあった。だが、それらは吉田家とつながることで、天皇を中心とした記紀神話の体系に組こまれていったこともつけ加えておこう。 


 江戸時代の人たちは、天皇を意識することはほとんどなかっただろうが、そこにつながるための端末は、江戸時代の神社を通じて確実に各地に埋め込まれていた。そして明治維新によって、電源が入り、末端が作動した。近代日本において、神社が地元と天皇をつなぐために少なからぬ役割を果たしたことはいうまでもないが、そのようなことを可能にしたのは、ひとえに
"神使い"の活動に負うところが大きい。

  "欠陥王権の末路"

 比叡山の徹底的な殲滅や、一向一揆との長きにわたる対決を経て誕生した近世日本の武家権力は、危険で恐ろしい仏教勢力の芽を摘むことには大きな努力を払った。しかし、仏教に比べて、武家との対立が少なかった神社に対しては、それほど強い統制を加えることはなかった。加えて、天皇と密接に結びつく神道・神社は、神国思想というエスノセントリズムによって支えられている。十七世紀中頃の国際情勢の激変の中で、国際規範である儒教と、自国優越意識である神国思想の両者を充たすことで政権の正当性を弁証しようとした義直や羅山ら徳川政権側の人間ですら、神社祭祀と天皇を直結しなければならなかったのだ。武家がどれほど宗教を牛耳ろうとしても、神道だけは最後まで天皇・朝廷に掌握された
"聖域"だった。しかも重用した吉田家が、結果的に朝廷と各地を結ぶパイプ役として活動したことで、天皇につながる要素が、諸国に普及してしまった。神国・神社・神道。これが徳川政権の泣き所であった。

糠漬けとトマト

 NHKの料理番組で大原千鶴さんが糠味噌を美味しくつけるコツとして糠床に混ぜるいくつかの素材(唐辛子、昆布、干し椎茸など)を紹介していた。番組を参考にして買ってきた唐辛子と干し椎茸を、冷蔵庫から取りだした糠漬けの容器に混ぜてみた。モチロン、日々おいしく自家製糠漬けを楽しんでいるのだが、もっと美味しくしたいという向上心は人間だったら誰でももっている資質だ。一昨日一緒にカブを漬け込んでおいたので、今日の昼食に糠床から取りだして下のように用意した。一口食べてみたが、うん、美味しい。格段に味が向上しているのには驚いた。そんなこととっくに知っているわよ、と主婦の方々に笑われそうだが、私のようなオヤジのテキトー料理にはチョイとした発見だった。左下の皿に載ったのはチキンロールなる名称のレトルト惣菜だ。パックを温めるだけなので簡単でしかもおいしい。右上は塩鮭の切り身を焼いたもの。ご飯は炊き立て。

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 大原さんは京都の奥座敷・花背の料理旅館「美山荘」の次女だそうで、以前(2005年5月5日のブログ参照)に私がこの美山荘を訪れた際に挨拶に来られた方だろうか、物腰といい使われた京言葉といいはんなりとした艶やかさを感じた美しい人だった。糠漬け、続けますよ。

 食後、ベランダにでてわが家の紫陽花をチェック。疎らに咲いてはいるが、そのうち満開になるのだろうか。例のトマトの苗は80cmに育っているが、先日の雨に打たれて上の部分が折れ曲がっていた。ヒモで縛って支え補強したがこの先育つのだろうか、チョイ心配だ。中ほどにまだ青いが小さな実もつけている。糠漬けとトマト、今の私のささやかな楽しみだ。

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杳子・妻隠

 ショッピングセンターに行ったついでに書店によっていつものようにブックハンティング。ふと目についた新潮文庫のコーナーで、〈ピース又吉がむさぼり読む20冊〉と帯にキャッチコピーのついた平積みの文庫群のなかから、数冊を手にとってパラパラとページをめくる。又吉がむさぼり読んだなかの上位3冊は、「杳子・妻隠」(古井由吉)、「沈黙」(遠藤周作)、「一千一秒物語」(稲垣足穂)だったが、私の3冊のなかの未読の一冊は「杳子・妻隠」だ。この本の帯にはこう書いてある、〈脳が揺れ、比喩ではなく実際にめまいを感じました。身体に直接影響を及ぼす小説があることに驚きました〉と。

 タレントとコラボした販促キャンペーンが効果的だというのは、新潮社のマーケティングで調査・実証ずみなんだろう。おもわず手にした、「杳子・妻隠」の一冊(514円)をカウンターに差し出していた。「沈黙」と「一千一秒物語」と同レベルにおもしろいというのなら、絶対おもしろいはずだと思うからなのだ。ほかの17冊のなかからも未読の小説を読んでみたい。こうして私の興味と読書体験は際限なく広がり、もっと時間を!と叫びたくなってしまう。こうなったらいつか〈T氏がむさぼり読む20冊〉なる本の紹介リストを発表しようじゃあないの(笑)。

 又吉がむさぼり読んだ他の17冊を以下に紹介。
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)
 「エロ事師たち」〈野坂昭如)
 「夫婦茶碗」(町田康)
 「アメリカン・スクール」(小島信夫)
 「文鳥・夢十夜」(夏目漱石)
 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(村上春樹)
 「きりぎりす」(太宰治)
 「春琴抄」(谷崎潤一郎)
 「遮光」(中村文則)
 「錦繍」(宮本輝)
 「阿部一族・舞姫」(森鴎外)
 「トリツカレ男」(いしいしんじ)
 「死者の奢り・飼育」(大江健三郎)
 「想い出トランプ」(向田邦子)
 「雪沼とその周辺」(堀江敏幸)
 「午後の曳航」(三島由紀夫)
 「放課後の音符(キイノート)」(山田詠美)

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紫陽花

 酒々井の顧客宅からもどる際に、ちかくの宗吾霊堂によってみた。ちょうど紫陽花が見ごろを迎えていて、境内は日曜日とあって花見客もちらほらと見かける。ここを訪れるのは5年ぶりだ(2008年9月9日のブログ参照)。本堂裏の境内には手入れの行き届いた、色とりどりの紫陽花が見事なまでに咲き誇っているので、狂乱的な混雑で賑わう鎌倉の明月院まででかけなくても充分楽しめる。そういえばFHは友達と一緒に鎌倉の長谷寺へ先日行って紫陽花祭りを観てきたといっていたが、宗吾霊堂の客は仲睦まじそうなカップルも多い。

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 紫陽花を眺めていたら、なつかしい女のことを思い出した。20年以上も前のことだが、M社の本部役員たちとのゴルフ帰りの晩、当時は千葉市内でもトップクラスだったクラブで飲むことになった。私の席についたホステスがGTだった。GTのほうは私のことを知らなかったが、私はたまに会社の近くで見かけていたGTのことを、なんてきれいな女なんだと見惚れるおもいで覚えていたのだ。そのことはもちろん話さなかったが、それからしばらくして会社近くで偶然に出会ってからお互いに知り合いという程度の関係になった。共通の知人もいたりしてさらに関係は深まり、GTの仕事終わりに誘われて居酒屋で身の上話を訊いたりした。そして知らず知らずのうちに・・・って宇崎竜童の歌ではないが、一緒に箱根にいって〈佳松〉という旅館に泊まるような関係にまで発展した。その帰り道の途中で寄った鎌倉の明月院で紫陽花を鑑賞した。1992年の7月5日、小雨に濡れた紫陽花の前でビニール傘を手に寂しそうにほほ笑むGTを撮った写真が一枚残っている。

 やがて彼女は銀座の有名クラブに勤めるようになり、四谷に借りたマンションに引っ越しをした。部屋に呼ばれて数回泊ったが、千葉と四谷は近いようで遠い。実家は神戸の北野坂の途中にあると言っていたが、20代の女性の東京ひとり暮らしはなにかとたいへんだ。実家にもどりたいと悩みを打ち明けられたが力にはなれなかった。知らず知らずのうちに・・・、疎遠になってしまったが今ごろどうしているのだろう。紫陽花をみたら寂しがり屋のGTを思いだしてなつかしかった。

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 遅い朝食だったが、時計を見ると2時を過ぎている。お腹が減ったので門前の蕎麦屋「甚平衛」で昼にしようと信号を渡ったら、店頭に山野草を店先にならべたギャラリー風のショップ〈teramae〉なる小さな店をみつけた。20代のころに盆栽にハマり、40代は山野草にハマり、50代には多肉植物にハマった。そんな私なので侘びた山野草の佇まいにチョイ惹かれて立寄ったが、ボードのランチと書かれたメニューに蕎麦をパスしてこちらを昼に決めた。

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 店内のBGMはアン・サリーの〈星影の小径〉が静かに流れて雰囲気はいい。が、ハーブティ(ローズ、カモミールジャーマン、レモングラス)とセットのランチ(900円)にしたが、紙のプレートに乗せられてきた、ままごとのようにチマチマとしたランチなるものは明らかに量が不足。左下の紙の器に入ったくすくすは味はいいのだが、スプーンというよりプラスティックな小匙で3回すくったらなくなってしまう。素材にもこだわっているのだろうが、それにしても素人風のこのコンセプト、一考の余地ありですよオーナー。

 この店で教えてもらったのだが、店頭の山野草は近くの住宅街のなかにある〈Calmr〉からの持ち込み商材という。気になったのでちょっと寄ってみることにした。行ってみると自宅なのだろうか、あいにくドアは閉まっていたので、ドア前の空きスペースに展開していた植物をデジに収めさせてもらったが、私的には好みのスタイルで気に入った。

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 〈知らず知らずのうちに〉  作詞作曲:宇崎竜童
  知らず知らずのうちに 君を好きになって
  知らず知らずのうちに 夢を見ていた
  知らず知らずのうちに 君の名前おぼえて
  知らず知らずのうちに 街を歩いていた
  知らず知らずのうちに 電話帖をひらいた
  知らず知らずのうちに 君と歩きはじめて
  知らず知らずのうちに 時も流れた
  知らず知らずのうちに 君と暮しはじめて
  知らず知らずのうちに 離れられなくなった

 

映画の感想

 借りてきたDVDを2本みた。初めにみた韓国映画、「秘密のオブジェクト」(18禁)は途中でパスしたが、SEXシーンは秀逸だ。欧米や日本の見慣れた映画のSEXシーンとは違うキレ味を感じる演出で、新鋭女性監督イ・ヨンミのデビュー作だというが、お見事。ほかの場面は冗長にすぎたし、説明的でだらだらといった印象を受けた。2本目に、「ドリームハウス」をトレイに乗せたが、TSUTAYAの棚からこの作品をピックアップしたのは出演者に、ダニエル・グレッグ、レイチェル・ワイズ、ナオミ・ワッツが名を連ねていたからだ。通常はホラータッチな作品に手をだすことはない。評判もよく、評価の決まった名作、たとえば「エクソシスト」、「オーメン」などは劇場で楽しんだけどね。そうそう、動物や子どもが主人公の映画もたいていはパスする。理由は、おもしろいと感じたためしがないからだ。

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 いくつかのどんでん返しがあって、意外な結末だった。解説では、〈「マイ・レフトフット」「父の祈りを」など人間ドラマの秀作で知られるジム・シェリダン監督が初めて挑んだサイコスリラー。主演はダニエル・クレイグ、レイチェル・ワイズ。家族との時間を大切にするため仕事を辞め、郊外の家に引越したウィル。しかし、その家ではかつて、父親を除く家族全員が惨殺された忌まわしい事件が起こっていた。最初は気にしていなかったウィルだが、子どもたちが幽霊のようなものを目撃したり、不審な男が家の周囲に現れたりと、不気味な出来事が相次ぐ。やがて、過去の事件の犯人がまだ捕まっていないことを知ったウィルは、独自に調査を始めるのだが……。ナオミ・ワッツが共演。〉とあったが、こけおどしのドッキリを仕掛けられることもなく、楽しめた作品だった。

 この映画を一緒にみた相手に、「どうだった?」と感想を訊いて、返ってきた応えの内容によってはその相手のもっている観察力や人生観を知るヒントにもなる映画だと感じた。訊きかたにもよるが、映画を誰かと一緒に観たときに会話を弾ませるのは、楽しい。相手のインテリジェンスを知るいい機会だからだ。

貴婦人と一角獣

 用事があって千葉駅を降りると、駅前で青森のキャンペーンだろうか、名前はわからないのだが、ゆるキャラらしき着ぐるみが立っていた。最近どこの自治体でもこのようなゆるキャラがそろっていて一体全国にどれほどの数があるやら知れない。千葉県だと、ちーば君やコミカルな動きで有名になったフナッシーなどが知られているが、この傾向一体どこまで続くのだろう。

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 そごうデパートのレストラン街で昼(藪蕎麦で鴨せいろ)にした。離れたところで知り合いのFHを見かけたような気がして、声をかけようとしたのだが見失ってしまった。ピンクのワンピースに薄手のニットをはおっていたが、いかにも軽やかな足取りでウインドウショッピングをしていた。気になったので、「いま、そごうにいる?」とメールをしたら即返で「いない」と応えてきた。「あまりに可愛い様子だったので」と送ったら、「私はそんなにかわいくない」と返事してきた。そうだよね、2003年の12月に一緒に京都に行ったのが最後だったから10年は経っているのだ。お互い様だが、あちこち経年劣化しているのはムリもない。メールでお互いの近状を少しやりとりした。

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 そごうをでると正面入口前広場で千葉県警察音楽隊のコンサートに出くわした。明日の県民の日の賛同行事としてとアナウンスがあったが、千葉県ゆかりの曲メドレーで月の砂漠~里の秋~証城寺の狸囃子を聴いたときになにやら哀愁を感じてこころがチョイ揺れた。やっぱり、ナマ音をじかに聴くっていいよね。

 帰りの電車のなかで読んだ本、「渋澤龍彦 西欧芸術論集成」の〈一角獣と貴婦人の物語〉がおもしろかった。ちょうど今、国立新美術館で開催中の「貴婦人と一角獣展」を観る前の予備知識を学ぶ気分だ。少々長いが、抜粋して以下に掲載しておきたい(もちろん、自分のためにも)。

 〈「ここにつづれ織がある。アベローネ、有名な壁掛けのゴブラン織だ。僕はお前がここにいると想像しよう。ゴブラン織は六枚ある。さあ、これから一緒に、ひとつひとつゆっくり見てゆこう。まず一歩下がって、一度に全体を眺めてごらん。しんと非常にしずかな感じだね。ほとんど変化らしい変化もない。目立たぬ虹色の地には、いっぱいに草花が咲きみだれ、小さな動物が思い思いの格好で散らばっている。ほのかに楕円形をした藍色の島が、そこから浮かび出ているところは、六枚ともみんなおなじだ。」

 これは、リルケの『マルテの手記』のなかの文章である。孤独なパリ生活を送っていた頃の若きリルケは、クリュニイ美術館にしばしば足を運んで、そこに陳列されている、あの有名な十六世紀初頭のゴブラン織の傑作『一角獣と貴婦人』の図を眺め、恍惚とした詩的な夢想にひたっていたらしい。詩人の手ごろな解説によって、わたしたちは、六枚のゴブラン織りの構図をほぼ正確に知ることができる。もう少し引用してみよう。

 「島のなかには、きまったように一人の女が見える。衣装はそれぞれ違っているが、みんな同じ女にちがいない。ときに、侍女らしいいくらか小柄な女のすがたが、傍らに添えられていたりする。そして必ず島の上には、紋章を支えた動物が大きく織り出されているのだ。左側にはライオン、右側には明るい色調の一角獣。」ヨーロッパの伝説に古くから登場する一角獣は、森のなかで無敵の強さを誇っているが、ただ処女にだけは弱い、といわれている。というのは、この神話的な生き物は、純潔と無垢とに惹きつけられるからである。猟師たちは、このふしぎな獣を捕えるために、囮として、一糸まとわぬ処女を森の奥につれてゆく。ふだんは凶暴な動物も、処女のすがたを認めるや、たちまち魅惑され、惹きつけられて、処女の膝にその頭をのせ、すっかり従順になって、うとうとと眠ってしまう。物かげで窺がっていた猟師たちは、難なくこれを捕えることができるという。―パリのクリュニイ美術館のゴブラン織も、むろん、この伝説に基づいたものであろう。(中略)

 一角獣の伝説や迷信は消えて行ったが、純潔と無垢を愛するこの架空の獣の神秘な魅力は、なお現代人の精神につよく訴えかける要素を失っていないようである。わたしたちは、ジャン・コクトオのロマンティックな舞踊劇『貴婦人と一角獣』を知っているし、また『わが運命の一角獣にまたがった子供のガラ』と題された、サルバトール・ダリの愛すべきデッサンをも知っている。これにトマス・ブカナン、シオドア・スタージョの小説、ガルシア・ロルカの詩をつけ加えれば、この二十世紀の一角獣の目録はさらに完璧にちかくなるだろう。(ディクスン・カーの推理小説もつけ加えるべきか。)

 一角獣について語るべきことは、まだまだたくさんある。レオナルド・ダ・ビンチの『手帳』には、次のように書かれている。「一角獣は淫奔なため、自己を制することができない。だから美しい乙女を見ると、自分の凶暴さもすっかり忘れてしまい、恐ろしさも捨ててしまって、乙女の腰かけているところにやってきて、その膝を枕に眠ってしまう。そこを猟師たちが捕えるのだ」と。前にも述べたように、処女の魅力にふらふらと迷い、処女に裏切られ、猟師たちの妖計に落ちるという一角獣の伝説は、さまざまなアレゴリカルな解釈を生むのである。たとえば、ルネッサンス期のすぐれた抒情詩人で、ダンテの親友であったグィド・カヴァルカンティは、みすからを「一角獣」と称しているが、これは自分がひとりの夫人の色香に迷い、そのために一生を台なしにしてしまった、という意味合いをこめて使っているわけである。

 これとはやや角度を異にして、宗教的な解釈も昔から行われてきたようである。聖アンブロシウスは、一角獣をキリストになぞらえているし、また聖バシリウスは、「神の不屈の性格は一角獣のそれのごとし」といっている。最も妥当なキリスト教的解釈は、処女を聖母マリアに、一角獣をキリストになぞらえる解釈であろう。この場合、処女の膝の上の獣を屠る猟師たちは、神の子を十字架にかける野蛮な民衆に比較されよう。聖グレゴリウスの解釈では、一角獣の捕獲は、聖母の処女受胎をあらわす。この場合、猟師たちは精霊であって、神の子である一角獣は、精霊の働きによって人間の肉体に宿り、人間の苦悩を引き受けるのである。

 一方、初期キリスト教の教父たちの解釈によれば、孤独を好み、森の奥に棲む一角獣は、現世を捨てた禁欲の隠者の象徴である。ブルージュ本寺のステンド・グラスや、カーンの聖ペテロ教会の柱の上や、多くの中世の象牙細工や細密画に、この一角獣と聖処女の図像学的表現を見ることができる。しかし、宗教的な解釈を離れて、エロティックな人獣交婚のイメージをさらに敷衍しようとする学者の説もある。たとえば、『マニエリズム』の著者ルネ・ホッケの意見がそれだ。この場合、一角獣の角は、端的にファリック・シンボル(男根の象徴)となる。すでに処女受胎のキリスト教的解釈のうちに、この汎性欲論的な象徴は萌芽として含まれていたというべきだろう。

 ロオマにある旧ハドリアヌス帝の霊廟で、現在、サン・タンジェロ城と呼ばれる円形の建物の壁画には、この昔ながらの一角獣の主題が、ルネッサンスの画家たちの手によって、ヘレニズム的に全くデフォルメ(変形)されているのを見ることができる。すなわち、まるで白鳥とたわむれるレダのような、裸体の妖艶な婦人が、一角獣の額の器官を手で愛撫しているのである。このエロティックに変形された一角獣神話は、さらに時代をはるかに超えて、世紀末の画家たちを悩ませることになった。とくに神経症的気質の画家であるギュスタ-ヴ・モロオが、一角獣と貴婦人の伝統的なモチーフを何度も描いている。ここでは、貴婦人はサロメやガラテアとほとんど等しい魔性の女である。

 同じく世紀末の頽唐趣味の繊細な画家であるビアズレエが、その未完の小説『丘の麓で』のなかに、ウェヌスベルクの貴婦人に飼われている、アドルフという名の一角獣を登場させている。この一角獣は女主人を熱烈に恋していて、毎朝、彼女の手から葡萄パンの朝食を食べさせてもらい、女主人の乳房を吸い、それから芝生の上に横になって、彼女に自分の男性器官を愛撫してもらう。世紀末の芸術家の手によって、一角獣はその本来の純潔、凶暴性を完全に失い、もっぱら淫蕩な貴婦人のお相手をつとめる、柔弱なエロティックな獣にされてしまった。

 さて、ふたたびクリュニイ美術館のタペストリ(壁織物)に話をもどそう。この織物は、十六世紀のごく初め、中部フランスのアルシイの領主であるル・ヴィスト家の娘クロオドの結婚式の折に、新郎であるジャン・ド・シャバンヌの注文によって制作されたものである。最近の研究によると、花嫁のクロオドは、ジョフロワ・ド・バルザックという者の未亡人で、この結婚は二度目のそれであったらしいことが明らかになっている。織物は十九世紀の末まで、ブーサック(クルウズ県)の城に所蔵されていて、メリメやジョルジュ・サンドがこれを初めて世に知らせたといわれているが、現在はクリュニイ美術館で一般に公開されている。〉

The_lady_and_the_unicorn_Taste 「味覚」
このタペストリでは、貴婦人は侍女から差し出される皿からキャンディを手に取っている。彼女の視線は、上に上げた左手に乗ったオウムに注がれている。向かって左側にいる獅子と向かって右側にいる一角獣は、二頭とも後脚で立ち上がり、貴婦人をはさむように旗を掲げている。猿は足元にいてキャンディを食べている。



250px-The_Lady_and_the_unicorn_Touch 「触覚」
このタペストリでは、貴婦人は立って自ら旗を掲げており、片手は一角獣の角に触れている。一角獣と獅子は彼女の掲げる旗を見上げている。








250px-The_Lady_and_the_unicorn_Smell 「嗅覚」
このタペストリでは貴婦人は立ち上がり、花輪を作っている。侍女は花が入った籠を貴婦人に向かってささげ持っている。獅子と一角獣は貴婦人の両側で旗を掲げている。猿は貴婦人の後ろにある籠から花を取り出して匂いをかいでいる







250px-The_Lady_and_the_unicorn_Sight 「視覚」
このタペストリでは、貴婦人は腰掛け、右手に手鏡を持っている。一角獣はおとなしく地面に伏せ、前脚を貴婦人のひざに乗せ、彼女の持つ鏡に映った自分の顔を見ている。左側にいる獅子は旗を掲げている






250px-The_Lady_and_the_unicorn_Hearing 「聴覚」
このタペストリで貴婦人は、トルコ製のじゅうたんを掛けたテーブルの上に載せられたポジティブオルガン(小型のパイプオルガン)を弾いている。侍女は机の反対側に立ちオルガンのふいごを動かしている。獅子と一角獣は「味覚」と同じく貴婦人をはさむように旗を掲げているが、今度は二頭の体は外側を向いており、二頭の位置は逆である






The_Lady_and_the_unicorn_Desire 「我が唯一の望み」
人間のもつ五感については周知のとおりだが、この6番目の青いテントの上に書かれた言葉はいったい何を意味しているのか。不可解なことにこの貴婦人だけが他の貴婦人が身につけていた宝石をただ手にしているだけで身につけていない。この一点がわからないから全体での意味が不明なのだ。


 NHKの番組、「日曜美術館」で作家、原田マハさんはこの謎こそが私を惹きつける、という。が、しかし、そもそも「誰が一体何のためにつくったのか」。番組ではその謎を解き明かすヒントになるのが、フランス国王の専用の礼拝堂だったサントシャペル(1248年)にあるという。じつは、ここに貴婦人と一角獣の下絵を描いた画家の作品が発見されている。全面にめぐらされたステンドグラスは建設当時のもので、その画家が活躍した時代より250年古いのだが、正面の薔薇窓だけは国王の命令で1500年ころに造りなおされた。中世のころは描いた画家の名はどこにも記さないだが、共通する描きかたのなので同じ画家のものだと推測されている。しかし、このタペストリの発注者は誰なのか。よく見るとどの絵のなかにも3つの三日月の紋章が織り込まれている。

 三日月といえばトルコだ。そこで19世紀末、オスマントルコから亡命していた王子が恋した女性に贈ったという説がいまでもフランスでは語られているが、しかし根拠はない。ではいったい誰なのか?紋章の主について3年前に新たな説がでた。ルーブル美術館の前のサン=ジェルマン=ローセロワ教会からタペストリとまったく同じ紋章がみつかり、持ち主がわかったのだ。アントワーヌ・ル・ヴィストという人物で、代々法律を司ってきた名家で、タピストりがつくられた1500年ころ、アントワーヌはちょうど当主に就任、その記念に発注した可能性があった。謎の6番目のタペストリ〈我が唯一の望み〉はアントワーヌが発注者ならばその頭文字Aと妻の頭文字であるIが両脇に織り込まれていて当然だ。貴婦人と一角獣は夫婦の屋敷を飾るために発注したと考えられる。

 では最大の謎、「我が唯一の望み」の意味とは?そもそもすべてのモチーフとして描かれている貴婦人と一角獣には中世においてどんな意味があったのか。すべては神が中心だった中世、貴婦人と一角獣にも聖なるイメージが込められていたとみるべきだろう。ではテーマとした「五感」とはキリスト教ではどう考えられていたのだろうか。そのころの絵をみてみると中世では人が外界を知るすべの五感を次元の低い感覚と考えられていた。さらに五感には序列があったという。

 触覚は身体に直接ふれなければならないところから一番低い感覚と考えられていた。味覚、嗅覚と続いて、序列は外界との接触の多さで決まり、聖書を眼で読む視覚はもっとも高度な感覚とおもわれていた。そしてこれらの五感を上回るものとしてもう一つの感覚を第六感の心に相当するものとして考えていたという。外界とつながっていた五感をコントロールする謎の〈我が唯一の望み〉は五感を取りまとめる心を表していたということだ。だから
貴婦人は首飾りをはずし、宝石箱に入れていると解釈できる。外界と接触する五感を断つ強い自制の心を描いているというわけなのだ。

 原田マハさんはジョルジュ・サンドを主人公にしてそのなかにこの貴婦人と一角獣を描いた小説を執筆中だというので、刊行されたら読んでみたい。国立新美術館の、「貴婦人と一角獣展」は7月15日まで。

二本立て

 やっと梅雨らしい空模様になって、終日ガラス屋根に雨滴があたる音がしてた。部屋のなかで雨音をきくのは大好きだ。それでも午前中は荷物を受け取ったり、宅配業者に持ち込んだりして過ごした。昼は以前使って半分残したままになっていたルーを使ってクリームシチューにしたが、美味しすぎてカフェオレボールに二杯もお代わりをしてしまった。食後にDVDを二本みた。最初の一本は、リーアム・ニーソン主演、リュック・ベッソン製作・脚本で全米ヒットを記録したアクションサスペンス「96時間」の続編で、「96時間リベンジ」だ。前作もみて面白かったので期待したが、裏切ることなくテンポアップしたスピードと手に汗握るアクションの連続で、ドキドキしながら楽しんだ。

img9 解説では、〈失われた家族の絆を修復するため、元妻レノーアと娘キムの3人でイスタンブールを訪れたブライアンだったが、以前の事件でブライアンに息子を殺されたアルバニア系犯罪組織のボス、ムラドが復讐のため一家を襲撃。レノーアを人質にとられたブライアンは、自らも一味に捕えられてしまう。そして、ひとり取り残された娘のキムにも危機が迫り……。〉とあるが、映画の舞台となったイスタンブールではいま、まさに再開発計画をきっかけに、エルドアン政権に対して若者などが各地で抗議デモを続けており、11日朝、警察はデモ隊が集まるイスタンブール中心部の広場に放水車などを使って突入し、一部のデモ隊と衝突したと新聞の記事にもでている。見出しには〈トルコのデモ、事態収束の見通し立たず〉とあって日々変化する情勢をテレビニュースでも中継して映してる。

 映画のように見事解決というわけには現実はいかないのだろうが、父親と娘と一緒にみたあとに感想を述べ合ったら、思春期の娘とぎくしゃくしだした親子関係の改善に役立つかもしれない。もっともこんな凄腕の父親は存在しないので逆に幻滅を娘に味わせてしまう結果になるかもしれない。だったら逆効果か?まっ、娘にしたところでこんな機転のきく娘は現実には存在しないだろうし、どっちにしても子どもは親のいうことをきかなくなるものです。大人になるってそういうことなのでしょう。

 つづいて二本目は、「時の重さなる女」をチョイス。物語は、〈ホテルでメイドとして働くソニアと郊外の邸宅で警備員として働く元刑事グイド。二人はスピードデートで出会い、すぐに惹かれあっていった。お互いを深く知るようになり、ある日グイドは働いている邸宅にソニアを招待する。しかしそこで突然、強盗団に襲われグイドが撃たれてしまう。大怪我を負ったものの一命は取り留めたソニア。しかし、事件の際の記憶を失っていた。一人悲嘆に暮れながら、ソニアは疲れ果てていた。彼女はグイドの幻覚を見続けているのだ。もしかしたら本物のグイドを見ているのか…、それとも正気を失ってしまったのか…。これは彼女にもう一度与えられたチャンスなのか…。なぜ今、過去が蘇ってくるのか…。すべての答えは、次々に展開していく物語の中で明かされていく〉とあった。

515nc8kISJL__SL160_ イタリアの新鋭ジュゼッペ・カポトンディの長編デビュー作で、主演のクセニア・ラパポルトが2009年・第66回ベネチア国際映画祭で女優賞を受賞したミステリードラマ。「イタリア映画祭2010」にて、「重なりあう時」のタイトルで上映。12年、カンヌ、ベルリン、ベネチアの3大映画祭受賞作を中心に、日本未公開だった作品を一挙上映する「三大映画祭週間2012」で公開。こちらの方は観終わって会話の題材にするのならカップル向きだ。伏線があったり、意外性があったりと会話のネタには困らない。映画のなかの主人公が選んだ選択肢に私は異存がないのだが、ごらんになったかたはどう感じただろうか。雨の昼下がり、久しぶりに場末の映画館で洋画の二本立てを観たいい気分だ。

豪姫

 「吉田神道の四百年」(井上智勝)によると、天下人の泣き所として〈豊臣秀吉・足利義満・徳川家光。日本の歴史を代表する天下人ともいえども、こと神様にかかわることについては、「吉田の神主」を大いに頼りにしていた。つまり彼等は、神様がらみの問題について、自分たちでは処理できなかったのである。天上におわします神様は、文字どおり天下人の管轄の外にある泣き所だった。だから、「吉田の神主」という神様の専門家に、アウトソーシングしなければならなったのだ。このことから彼らの政権がともに当時の国家権力として共通の欠陥を抱えていたことを示している。そう、室町政権も、豊臣政権も、江戸幕府も、いずれも宗教をつかさどる部局を自前で持ち合わせていなかった。

 これらの政権が宗教専管部局を所有していないことは、考えてみれば当然かもしれない。そもそも"幕府"とは、出征先に設けられた陣幕で囲まれた臨時の司令部(府)を意味する。つまり、彼らはもとをただせば軍隊だった。江戸幕府は、確かに日本の歴史上もっとも洗練され、安定した支配を続けた武家政権だったけれど、その組織構造は"庄屋仕立て"といわれる単純なものとみなされていた。三河国(愛知県東部)の土豪松平家が、小さな領地を守り、治めるための機構が、そのまま天下を治める政権にスライドしたに過ぎない、というのだ。〉と書いている。

 一読、おもしろくて夢中になって読みすすめた。2007年11月17日の京都で訪れた吉田神社を思いだした。小説「鴨川ホルモー」にも登場するので、そうブログには書いたが、日本神道を担った神社とはこの本を読むまで知らなかった。豪姫の狐憑き、と題した個所では〈戦国の乱世を平定し、無双の権勢を誇った豊臣秀吉の息女が、あるとき病に冒された。この息女とは、子宝に恵まれなかった秀吉夫妻が、親友前田利家から貰い受けた初めての娘、豪姫だ。秀吉の溺愛ぶりはよく知られるところで、彼は最も見込んでいた武将の一人、宇喜多秀家に輿入れさせている。

 さて、病身の愛娘の姿に心を痛めた秀吉は、急いで京都から大阪に当代一流の名医養安院を呼んで診断させた。病因は狐憑き、というのが養安院の診断結果だった、秀吉は、愛嬢を苦しめる狐に激昂する。しかし、いかに権謀術数に長け、戦に数々の勝利を収めた秀吉といえども、相手が狐、しかも目に見える狐ではなく、人に取り憑く妖魅とあっては如何ともしがたい。だが、そこはやはり天下人。なんと狐を統括する神、稲荷大明神に対して命令を下すのだ。〉と、そして命令書に詳しくは吉田の神主に伝えさせると付記する。このことは強力な武力を擁して全国に君臨する豊臣政権が、こと神に関する点においては、政権外に協力者を求めることなしには処理できなかったことを物語っている。

 半分ほど読んでから、映画「豪姫」をTSUTAYAでレンタルしようと途中で思いたち出かけた。読み物とビジュアルな映像の双方から理解を深めればより楽しいと考えるからだが、カウンターで訊けば17日まで他の人にレンタル中とのこと。そのまま引きあげようと思ったが、そのまえに店内をぶらっと一回りしたら、「秘密のオブジェクト」、「ドリームハウス」、「96時間/リベンジ」、「時の重なる女」の新作DVD4本をつい手にしてた。買い物をすませ、家にもどるなり緑茶を淹れてからトレーにDVDをセットした。すると、ONした画面にひかりTVのムービープラスで「ウルトラI Love you」の上映がスタートしたばかりのようで、主演のサンドラ・ブロックが大写しになる。で、お察しのとおりDVDは後回しにしてサンドラ・ブロックをみることにした。

thCAKR3MXP 解説では、〈真っ赤なブーツがお気に入りの独身女性メアリー。大人になったら大抵は両親とは別居することの多いアメリカでいまだに両親と同居しているクロスワード作家の彼女。職業柄、人より知識が豊富で頭が良い。反面、知識をひけらかすのが好きでとてもおしゃべり。そして素直で純真な彼女。ある日親が薦めるブラインドデートを嫌々承諾するメアリー。しかし家にやってきたのはスティーブというメアリーのタイプの超イケメンだった。最初のデートで理性を抑えきれず暴走するメアリー。そんなメアリーに驚いたスティーブはニュースカメラマンという職業を理由に遠くへ逃げる。しかし何を感ちがいしたのか両想いだと確信するメアリーはスティーブを追い求めて彼の行く先々追いかけていく〉と紹介されていたが、ご存じサンドラブロックお得意のラブコメで楽しませてもらった。トレイにセットしたDVDは「96時間/リベンジ」だったが、明日みることにした。朝から雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気だったが、私の一日も同じようなものだった。

終わりの感覚

51wLf1tt-IL__SL500_AA300_ 昼過ぎから本を読むことに決めて、「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ)を我がスモールスぺースに持ち込んだ。天井の三分の一が斜傾したガラス屋根になっていて、そこからあかるい陽光が射しこんで読書にはもってこいの場所なのだ。ハーマンミラー社のオフィスチェアに腰かけて、足をもう一つの椅子に預けてページをめくるのが私のお気に入りスタイルだ。表紙の裏でこの作品をこう紹介してる。〈穏やかな引退生活を送る男のもとに、見知らぬ弁護士から手紙が届く。日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると。記憶をたどるうち、その人が学生時代の恋人ベロニカの母親だったことを思い出す。託されたのは、高校時代の親友でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンの日記。別れたあとベロニカは、彼の恋人となっていた。だがなぜ、その日記が母親のところに?―ウイットあふれる優美な文章。衝撃的エンディング。記憶と時間をめぐるサスペンスフルな中編小説。2011年度ブッカー賞受賞作〉

 読み始めてからしばらくするとガラス屋根に雨滴が落ちてきた。夕方、それまでのぽつんぽつんからしとしとという雨音にかわり、空も少し暗くなってきた。キッチンで熱いコーヒーを淹れて、明りをつけたリビングのソファに移動して読書を続けた。中ほどでこんな文章に出会った。〈人生も残り少なくなれば、誰でも少しは休めると思う。休む権利があるとさえ思う。私もそうだった。だが、そんなとき、人生に褒美が用意されていると思ったら大間違いだとわかりはじめる。

 老いがどんな痛みや惨めさをもたらすものか、若いころはわかった気でいる。孤独、離別、死別―想像できる。子供たちが成長して去り、友人たちも次々に死んでいき、社会的な地位は下がり、欲望は減退し、欲望の対象からもはずれていく―それも想像できる。もう少し先へ進んで、間近に迫る死を見つめる若者もいるかもしれない。残る仲間をいくら呼び集めようが、死には独りで立ち向かうしかない。そこまでは若くても想像できる。だが、結局、それは先を見ているにすぎない。先を見て、その地点から過去を振り返ること―それが若者にはできない。

 時間が新しい感覚をもたらすことも知りえない。たとえば人生の証人がしだいに減っていき、記憶の補強がおぼつかなくなり、自分が何者であり、何者であったかがしだいに不確かになっていく。それがどんな感じのものなのか、若者にはわからない。いかに熱心に記録しつづけ、言葉と音声と写真を山のように積み上げても、結局は役立たずの記録になるかもしれないということに思い至らない。エイドリアンの引用どおり、「歴史とは、不完全な記憶が文章の不備と出会うところに生まれる確信」だから。〉

 読み終わると窓のそとはすっかり暗くなっていたので、カーテンを閉めた。いまの自分の年齢にジャストフィットする本の内容だった気がしたが、先を見て、その地点から過去を振り返るまでにはまだ少し時間の余裕はあるのだろうと緩く考えることにした。まだ終わりの感覚を迎えたくはないし、過去だって反芻し、咀嚼して、紗ぶりつき、もっと味わいたい。口のなかで噛み続けていてもなかなか味と香りの消えない流行りのガムのような豊かな人生を送ってきたはずなのだ。本の裏に川本三郎さんがこう書いている、〈生きることは過去を思い出すことなのかもしれない。年齢を重ねるほど過ぎ去った時がよみがえる。とりわけ多感な青春時代が。決して懐かしいのではない。長く忘れていた、いわば「音信不通」だった過去はあくまでも苦く重い。リタイアした六十代をなかばの主人公が青春時代を思いだしてゆく。はじめての恋人。若くして自殺した頭のいい友人。そして隠された謎が明らかになってゆく。思い出すとは悔恨に向き合うことなのだろう。〉ちょっぴり同感だ。


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