2013年05月

恋の味

 図書館へ返却本、2冊。「山上宗二記」(神津朝夫)は、茶の秘伝書といいつつ「名物」の紹介を中心にしているが、当時の数寄者がこうした道具の拝見を通じて養われる目利(めきき)を茶の道の必修技能としていたことがよくわかる内容だった。もう1冊、「ヘンな日本美術史」(山口晃)のほうは読んで目からうろこ状態を私が体験した著者の私的日本美術論だ。全般にわたって読みやすく、理解しやすい。とくに今までよくわからずに不可解のまま、わかったつもりで過ごしてきた雪舟や狩野永徳の洛中洛外図屏風に対する認識を深めてくれた参考になる一冊だ。なので、アマゾンに発注するつもりだ。著者の見解と自分の見解を比べたりしながら感じたことを自由に書き込みしたり、気になる個所にマーカーを引いたりしてこの本、徹底的に汚したい。

 ところで昨日から今日にかけてプリンターが大活躍をしている。A4約200枚のコピーをサクサクとこなしてくれて大正解。しかも、途中で切れたインクを買いにいったK's電気でふと、販売員に私がつめかえ用のインクってないのかねぇ、の言葉に反応してくれて売り場を教えてくれる。なんだ、あるじゃないか。パッケージをみると〈お得な7回分1,596円〉と書いてある。さっそく買ってつめかえてみると、ご機嫌によく働いてくれるのでいまのところ文句はない。

 昼過ぎ、なに気なくTVをつけたらBSプレミアムで映画、「アイス・カチャンは恋の味」を放映していた。途中からみたのでどこの国の映画なのかわからない。出演者の顔だけみると昔の日本人の顔にも少し似ているが、ベトナム映画だろうか、中国映画だろうか?それにしては言葉の発音がイマイチよくわからない。が、どことなく懐かしい背景や登場人物のものごしに掴まれてしまう。いかにも人のよさそうなボーっとした主人公ボタック(阿牛アニュウの初監督・主演作品)に好感を感じる。この主に華人の住む小さな町の喫茶店の次男坊のボタックが密かに想いを寄せるのが闘魚とあだ名のある幼馴染(アンジェリカ・リー)だ。男勝りで喧嘩では敵なしだが、父への思慕が断ち切れないでいる。

photo_01photo_02





 アイス・カチャン(小豆のかき氷〉は父との想い出の味だ。口に入れると歯にしみて、味わう前に溶けてしまう。そんな痛みを伴う淡い思いを阿牛は自身の初恋に重ね合わせたという。切ない恋物語を明るく、コミカルに描いている。音楽がとてもいい。サウンドトラックがでているようなので後日買いたい。主人公ボタックが描いたという設定の水彩画もいい。私のリビングにぜひ欲しいと思わせる。私のなかから失われて久しい大切なものが描かれていて、眺めていたら日々瑞々しさを感じて胸がキュンとするだろう。派手なアクションシーンや、拳銃ぶっ飛ばすなんてシーンは皆無の仄々とした気持ちにひたれて、ワンカット、ワンカットに監督の慈しみが込められているのを感じる。ラストの撮り方もふたりの明るい未来を感じさせて秀逸。久しぶりのおススメ映画です(マレーシア映画だった)。

MG3230

 結局買ったね、プリンターのことだが。午前中、K's電気に行っていろいろ見たがどうやら私の使用目的の多くは本をコピーしたり、仕事でつかう資料作りがメインなのでそれにあった機種を選択した。もちろん、MP640の修理代よりも安くね。で、選んだのがPIXUS MG3230という機種だが、なんとたったの5,980円だった。さっそく家にもどり、スターターガイドを手引きにセットしてみた。テストペーパーなる用紙をつかって印刷してみるときれいに印刷ができたので大いに満足した。

 修理代より安かったとはいえ買い替えをしたことには変わりがない。同じメーカーなので故障して新機種を買わされた気分だが、諦めるほかないのだろうか。K's電気の発行する保証書は1万円以下の買い上げの場合は保証期間が1年だが、1万円以上ならば3年間の保証が付きますとのことだった。3年過ぎたころに同じように故障したらやっぱりメーカーの謀略だと声にだして叫ぶことにする。ところで今まで使っていたUSBケーブル5mサイズだとうまく接続しないのかコピー機が反応しない。試しに付属のUSB1,5mケーブルだとちゃんと反応するので、我がスモールスペース内でのプリンターの置き場所を変更した。おかげで溜まっていたファイルの整理だとか、書棚の移動だとかにかなりの時間とエネルギーを削いだ気がした。今現在でまだファイルの整理は終わっていないが、いい加減疲れたし厭きもしたので続きは明日にする。

OUTLETS

 午前中、幕張の顧客宅で商用を終えての帰り道に稲毛海浜公園によってみた。駐車場の周辺に猫がたくさんいるのでチョイびっくりする。野良猫だろうが、餌はどうしているのだろう。谷中の夕焼けだんだんの猫なら観光客も多いので喰うに困ることはないのだろうが、このあたりではそうそう観光客もいないだろうに、ちょっと気になる。

DSC05142DSC05143






 浜にでてみる。シーズン中は海水浴客たちで混雑するここもいまは森閑としていて、波の音だけが際だつ静けさだ。砂浜を歩きながらついシーグラスを捜してしまうが、海流のせいなのかビーチコーミングには不向きな海岸で漂流物も少ない。数片拾ってポケットにそっと入れた。

DSC05209DSC05146







DSC05150DSC05153







DSC05156DSC05158






 この浜にある千葉市花の美術館へ行こうと思ったのだが、今年の4月1日より〈三陽メディアフラワーミュージアム〉という施設に名称が変わっていた。気にせず、入館料300円払ってなかに入ったが、思ったより内容も充実していてちょうど季節も花の見ごろだったようで楽しめた。館内に入場しなくても庭は開放しているので、レストラン裏のローズガーデンなどの見どころは外せない。花好きな人や、デートにもってこいの場所だ。初めてだったが、ちかくへくる機会があったらこれからも立ち寄りたいと感じた。昼を過ぎていたので併設のレストランでオムライスとコーヒーを注文したが、イマイチ。自分でつくるオムライスのほうが美味しい。

DSC05173DSC05179







DSC05178DSC05177







DSC05176DSC05175







DSC05171DSC05170







DSC05169DSC05164







DSC05162DSC05161







DSC05160DSC05159






 食事の途中で携帯が鳴った。八街市の顧客からだったが、いまからこれますか?と訊くので、モチロン伺いますと即返。そそくさと食事を終えて八街市に向ったが、3時に着いた。仕事はすぐに終わり、さてどうしようかと小考の末、先月開業したすぐ近くの大規模商業施設、酒々井プレミアム・アウトレットに車をむけた。4時を過ぎていたが平日のせいか、ほどほどの客の入りか。それでもちかくに成田山新勝寺や成田空港があるぶんだけ木更津のアウトレットにくらべたら少しはましかもしれない。121店舗、3500台の駐車スペースがあるという。日本初、もしくは関東初のブランド出店も数多くて話題だ。

DSC05182DSC05184







DSC05202DSC05195







DSC05192DSC05187






 左の行列は〈Garrett Popcorn Shops ギャレット・ポップコーン・ショップス〉のポップコーンを買うための行列だ。最後尾で1時間30分待ちと表示のプレートがTDLよろしく掲示されていたが、それだけ並んでも食べたいポップコーンってナンだ、チョイ気にはなるけど。写真右の客に自由に味見させているのが、〈St.Cousait サンクゼール〉というジャムとかソーセージを売る店だが、アプローチは成功だ。私もマンゴーのジャムと信州味噌の味付瓶詰めに食指が動いた。買いはしなかったが、次回は買いたいと思った。服飾品にもそそられるいくつかがあったが、ウインドウに写る我がメタボ体型をみるたびに買い食いなどしている場合か、と自分を責めたい気分だ。とはいえ、小腹が減った(笑)ので隣の〈カルフォルニア・ピザ・キッチン〉で下の写真のようにマッシュルーム&ペパロニのピザを注文して喰らいついてしまった。焼けたマッシュルームのいい香りとたっぷりのとろりとしたチーズがたまらない。満ち足りたが、下右のヘインヅの赤いパンツを穿けるような体型にはもう戻れない(涙)。

DSC05207DSC05208








仏像半島

 房総の仏像に逢いにでかけた。〈太陽と森と海に抱かれし百余体。その野趣と洗練にふれる至福。〉とパンフレットにある。千葉市美術館で開催中(4月16日~6月16日)の〈仏像半島〉と題した展示会だ。解説にこうある。〈房総の地に仏教文化が及んだのは7世紀後半といわれています。以来豊かな大地と海とを背景に多くの寺院が建立され、多彩な造形活動が展開されてきました。本展は、近年見いだされた諸仏や最新の研究成果を視野に入れ、改めて房総の仏教文化の本質を探ろうとするものです。

 展示会に集うのは、房総半島各地から選りすぐられた仏像たち。関東の白鳳仏としてきわめて重要な龍角寺の薬師如来坐像に始まり、平安前期の森厳な作例を経て、定朝様式や鎌倉様式を受容してゆく流れを追う一方で、「七仏薬師と妙見菩薩」、「房総の鋳造仏と上総鋳物師」といったこの地ならではのテーマも検証します。また造立当初の雰囲気を再現すべく、小松寺や東明寺、真野寺の諸尊を立体的に配置。いつもの千葉市美術館とはひと味違った、劇的な展示空間を体感していただきます。〉

DSC05133DSC05134






 〈日蓮宗の祖である日蓮は安房国(現在の鴨川市小湊)の出身。以来房総の地は法華の傑僧を数多く輩出しています。本展では「法華の傑僧たち」の一章を設け、日蓮をはじめ日郎や日像、日親らにゆかりの彫刻や絵画を多数紹介。その多くは県外からのお里帰りです。また房総の仏像が一堂に会するこの機会に、波を彫らせたら天下一と謳われた江戸時代の彫物大工、初代伊八こと武志伊八郎信由(1751-1824)の作品を特別展示。石堂寺多宝塔の脇間彫刻16面(ほか)をご覧いただきます。

 房総を代表する諸仏のほか、長らく非公開であった秘仏や新出の仏像を数多く含み、房総画の優品もあわせた、まさに決定版といってよい内容です。燦々と降り注ぐ陽光と緑深き森、そして豊饒な海―。恵まれた自然に守られ、東国らしい大らかな野趣と意外なほどの洗練を示す房総の仏像たち。その魅力にふれるまたとない機会を、どうぞお見逃しなく!〉

 久しぶりに千葉市美術館へいった。35年前、M社の転勤命令でそれまで住んでいた渋谷区幡ヶ谷から市川市の田尻、そして千葉市に転入した際に届を出したのがこの建物だった。現在の建物を象徴するのは1-2階のさや堂ホール(右上の写真)で、昭和2年に建てられた旧川崎銀行千葉支店の建物を保存・修復、さらに現代の文化活動に対応できるスペースとして改修し、この市内に残る数少ない戦前の建物を包み込むように建てられた美術館は、平成6年に竣工、翌年の開館時より新旧の建物が一体となってユニークな文化創造の場を提供している。転入届の手続きをしたのが市役所として使われていた現在のさや堂ホールで、そのときのことはいまでもはっきりと覚えている。いつか元の町田市にもどるつもりでいたので、まさかこれほど長い年月を千葉市で暮らすとは当時想像もしていなかった。

DSC05136DSC05138






 都内の美術展などと違ってさほど混雑もしていない館内に、房総各地からの仏像が数多く展示されていたが、それらは35年も房総に暮らしながら、初めて出逢った仏像ばかりだった。なるほど、まだまだ知らないことばかりだと、知っているつもりだった房総という土地の奥深さを感じさせられた。展示仏の一部をパンフレットから以下に掲載しておきます。

0416_20416_10416_3









0416_40416_50416_6








 上左から薬師如来像、平安後期(銚子・常灯寺)。薬師如来立像、平安後期・十二神将立像、鎌倉前期(富津市・東明寺)。四天王立像のうち広目天、鎌倉後期(山武市・勝覚寺)。下左から薬師如来坐像、飛鳥時代後期(栄町龍角寺)。妙見菩薩立像、鎌倉後期(東庄町)。聖観音立像、平安後期(館山市・小網寺)などなどだ。とくに33年に一度の公開が今回の美術展という千葉市東光院の秘仏・伝七仏薬師如来座像などをみると、なにやらありがたい後光が射しているようでおもわず心のなかで手を合わせてしまう。普段あまり拝見できない仏像たちをこうして一堂にながめる機会なんてないことなので、じつに見応え充分だった。仕事で房総のなかを車で移動する際に、機会さえあればこれらの仏像の置かれている寺院に立寄ってみたいと思った。

 美術館をでて時計をみたら4時だった。元妻のところへ寄ったら息子もいたので7時までおしゃべりを楽しんだ。元妻は元気そうだったが、前よりも一回り痩せたようだ。逆に私には「あんた、だいぶ太ったでしょ」といわれてしまった。そうだよね、気にはしているのだが最近どんどん太るんだよね(トホホ)、と笑ってお茶を濁した。

 

プリンター

 バチがあたったのか、プリンターが前触れもなく壊れてしまった。本をコピーしていたら、いきなり電源が切れてしまい、エラーメッセージが表示された。〈プリンタートラブルが発生しました。電源プラグを抜いて修理受付窓口へ修理をご依頼ください〉と。買ってから3年半、とくに乱暴に扱ったわけでもなく、ときどき使用するだけのPIXUS MP640 だが、使用できないとなれば不便だ。先日のこのブログでインクが高すぎる、メーカーにしてやられた感がすると書いたのが原因か?保証書を手に、お客様相談センターに連絡をしたが、担当の女性は保証期間の一年を過ぎているので無効ですといい、修理をする場合は9450円と宅配料が別途1575円かかりますという。ここでカチンとくる。マニュアル通りの仕事をこなしている担当の女性に文句を言っても始まらないのだが、メーカーに改善を要求したい気分だ。

 しかしそれも無効だろうと無力感に打ちのめされる。消費者を明らかにバカにしていると思う。普通に使用して壊れたのに修理するのに買った価格の30%ちかくをとられる(盗られると書いてもいいが)のは納得がいかない。どこに相談をすればいいのか、公的な機関はないのだろうか。訊けば修理するか、新品と買い替えるかという二者択一の選択肢しかお客様にはございませんといわれてしまう。先日の日経新聞には、キャノンの2012年12月期は本業のもうけを示す営業利益が前期比2割増の4,600億円近くに達する公算が大きいとでていたが、さもありなん。修理費が2,3千円くらいなら納得もいくのだが、どうにもやりきれない気分だ。

DSC05131DSC05130






 午後、大宮台の宅配業者に用事があったついでに義母の墓に久しぶりによってみた。気持ちがなごんで落ち着く。墓石の周囲の雑草をとり、水をかけてからあれこれ祈る。除去はしたが、墓地内に生えていたキツネアザミの桃色が鮮やかだった。図鑑では〈田畑の縁などに生える越年草。茎は直立し上方で枝を分ける。葉は羽状に切れ込み葉裏は白い毛が多く棘はない。花は筒状花のみで枝先に上向きにつく。アザミに似ているが別種で、キツネにだまされたようだということからこの名がある〉と説明されていた。

 帰りに図書館にリクエストしていた「吉田神道の四百年」(井上智勝)を受けとって家にもどった。アマゾンで調べたら、一年前のインクジェット・プリンターが5,6千円で売っていたので修理にだすより安い。買い替えようかと考慮中だ。そういえば今日は千葉市長選挙の投票日だったが、図書館の下の投票所はシーンと静かだったので投票率は低かっただろうと思った。Aにいわせるとビニールのゴミ袋にごみ処理費用を上乗せするかしないかが争点だそうで、しない方の候補に投票すると言っていたが、投票所に足は運んだのだろうか。私はイマイチ対立する候補者の情報もほとんどないことから今回投票はパスした。

カメラ

 近所の小学校の運動会が始まったようで、スピーカーから開会式の様子が伝わってきた。数日前からの練習の成果が今日、問われるのだ。Aのふたりの子どもたちもわくわくしながら開会式の列に並んでいるにちがいない。昼前に酒々井の顧客宅へ行く予定があったので、出かける前にチョイと学校をのぞいてみた。すでに父兄たちを含めて多くの人が我が子の活躍する姿をみようと集まっている。Aが目ざとく私をみつけて手を振っている。4,5人のママ友たちとビニールシートをひろげて席をつくっている最中だった。いまから客のところに行くのでその前にちょこっと寄っただけ、とことわってから数枚写真を撮った。

DSC05101DSC05105






 車で一時間、10時半には顧客宅に到着して商談。犬用のパンパースを装着した白い老犬が一緒に私を迎えた。顧客に訊くと飼ってから13年ほどになるという。人間でいえばよぼよぼの老人に近い年齢だそうなのでパンパースをしないとアチコチ汚されてしまうということだった。途中から63歳の定年退職したご主人も話にくわわり、ゴルフ談議で大いに盛り上がった。一番よかったスコアを訊くと、ハーフで35かなと謙遜しつつ、自慢げにしかしさり気なく告げた。

 商談を無事に終え、帰り道にみかけた佐倉の「天丼の深川」の看板につられて店に入ってみた。店内有名ゴルファーの色紙がいっぱい貼ってあるが、だったらおいしいのだろうか。蕎麦と天丼のセットをたのんだが、下の写真のようにミニミニタイプでご飯の量がメチャ少なく感じた。蕎麦は手打だし、エビもぷりぷりと美味しかったが1500円には割高感が残った。

DSC05107DSC05108






 店をでて、時計をみたらまだ一時にもなっていないので、寄り道しようと考えた。そこでちかくの撮り鉄たちの名所、亀崎踏切に行ってみようと車を佐倉方面にむけた。撮り鉄(とりてつ)とはご存じ鉄道マニアのなかでも鉄道撮影が趣味の人たちのことだ。私は鉄道写真のプロカメラマン、中井精也さんの「一日一鉄!」というブログでこの踏切のことを最近知ったのだが、せっかく近くにいるのだから立寄ってどんなところか見てみたいと思った。ブログ、「一日一鉄!」にアップしている写真はプロの写真家が撮ったのだから当然と考えるでしょうが、作品を見れば見るほどその美しさや、構図の取り方や、光の加減などに驚いてしまう。私などが適当にデジカメラを被写体に向け、なにも考えずにカメラまかせにシャッターを押すのとはわけが違い、一枚一枚が実に美しい。

 4,5分も車を走らせればJR総武本線、物井駅につく。ここから佐倉駅までの田園のなかを走る区間を撮り鉄の人たちはモノサクと呼んでいて、まさに鉄道写真撮影の聖地といっても過言ではない有名ポイントらしいのだ。上右の川は鉄道に沿って流れる鹿島川だ。この川、土気にある昭和の森の池から流れだして印旛沼に流れ込んでいるという。車を佐倉方面に向けて線路沿いの農道を走らせると、いくつかの踏切にであう。なるほど、いかにも長閑などこか懐かしい田園風景が広がるなかを鉄道が走っている。先方にポツンと女性がカメラを構えて立っている踏切があったが、そこが亀崎踏切だった。

DSC05113DSC05116







DSC05114DSC05118







DSC05120DSC05126






 ファンというよりマニア、こういう人たちを総称して鉄ちゃんと呼ぶらしいのだが、そのなかでも分類すればいろいろあるという。たとえば車両鉄〈鉄道の車両を研究している人たちでもっともコアなファンだという〉、録り鉄〈鉄道の音を録音する趣味の人〉、音鉄〈車両の音響を研究している〉、乗り鉄〈乗車マニアのことで国内の鉄道全制覇を目指している人もいる〉、募集鉄〈切符などをコレクション〉、駅鉄〈時刻表・駅研究〉などなど。先客の女性と電車を待つ間にチョイとおしゃべりをして過ごす。アラフォー世代だろうか、訊けば東京から来たという。平日は事務員として働いているが休日はこうしてカメラ片手に鉄道やら自然やらを撮影して楽しんでいるという。ご覧のように構えたカメラはキャノンのEOS 5Dという結構なカメラで、私のようにデジ片手にノープラン・シャッター男とは気合の入れ方が違う。

 何回となくこの場所には通っているといい、朝はもっとカメラマンの数も多くてみなさん電車が近ずくとピリピリムードがいっぱいだという。場所取りも大変で、しかも撮り鉄の女性はめずらしくて、肩身が狭いという。それでも都内にはこんなのどかな風景のなかで電車を撮れるところなどはないので、休日となるとつい足を運んでしまうらしい。30分ほどおしゃべりをしたり一緒に電車を撮ったりして過ごしたが、やがて撮り鉄オジサンも現れたので〈頑張っていい写真撮ってください〉と私は声かけて亀崎踏切を去った。たしかに頻繁といっていいほどいろいろなタイプの車両が通りすぎるので、絶好の撮影アングルやポジションがとりやすい。とはいえ私が撮ったのは上の写真のように作品というより記録と呼ぶ方がふさわしく、性格と同じようにテキトーなものばかりだ。帰り道の途中、都賀にあるカフェ「コペ」によってコーヒーを飲んで一服した。この店、カメラマンの中井精也さんも立寄るそうで、ハワイアン音楽の流れる居心地のいいカフェだ。となり客の注文したハンバーグの載ったプレートをみたら美味しそうだったので次回は私も同じものを注文したいと思った。

DSC05129







 

黒猫

 朝の9時にMから電話で、子どもがTさんと近所の公園で遊びたいと言ってるんだけど、という。知るかそんなこと、と思ったが陽気もよさそうなのでついOKしてしまう。アパートのちかくで2Fの窓を見上げるとなかから子どもが私の姿を待ちわびているかのように下の通りを凝視している。チョイと不憫な気もして部屋から連れだした。公園の砂場には女児と若い母親がいて、ほかにはだれもいなかったが訊いたら7月で2歳になるという。最初Mの子どもは人見知りなのか、女児におずおずといった態度だったが、やがて女児の無頓着なリードで遊具をつかいだし二人で仲良く遊びだした。私はちかくのベンチでその様子をぼんやりと眺めながら、頭上に覆い被さるかのような豊かなケヤキの葉の繁りを見上げた。空気が美味しいと感じる。

DSC05099DSC05098  







 やがて若い母親は二人をつれて公園の周囲を歩かせて、なにくれなく世話を焼いている模様だ。その様子をみていて母親の愛情あふれる態度に感心する。まるで幸福を絵にかいたような仄々としたオーラがただよっている。1時間ちかくをその公園で過ごしてから、その母親に心からお礼を告げて子どもをMのアパートに連れて帰った。しかし、それだけのことでチョッピリ疲れた気がしたので部屋にいたMに子どもをわたすと、私は自宅にもどった。その途中、路地からヒョイと真っ黒な猫が飛び出してきて、さっと生垣の中に消えた。一瞬猫と目があったが、ヌメッと光った黒猫の毛並みが妙に美しく感じて関係はないのだがエドガー・アラン・ポーの小説「黒猫」を思いだした。

 小説は1843年に発表された短編で、酒乱によって可愛がっていた黒猫を殺した男が、それとそっくりな猫によって次第に追い詰められていく様子を描いた恐怖小説だが、ポーの代表的な短編の一つだ。黒猫はなにかを私に告げにきた?っなわけはないのだが、つい頭のなかでいろいろな人の顔を浮かべてしまった。明後日、予定してた母親のいつもの食事会に仕事の都合で行けなくなったのだが、そのこととなにか関係でもあるのだろうか。ふと、そんなことを思ったりした。

200px-Aubrey_Beardsley_-_Edgar_Poe_2










おゆみ野日枝神社

 西千葉から現在の場所に越してきて3年3か月が経った。それ以前の数年間、ちかくで会社を経営していたのでトータルすればかなりの年数をこの周辺で過ごしてきたことになる。実際に暮らし始めて買い物や散歩にでかけると周辺の歴史とか文化とかをもっと知りたくなってくるのは人情だ。ときどき散歩するコースの途中に遺跡や神社などをみつけると由来や、いわれなど(草花だったらその名前だとか)をつい調べたくなる。図書館へ行って「おゆみ野風土記」(A4サイズで228ページ)なる地域冊子を借りた。そのままおゆみ野中央5丁目の日枝神社によってみた。散歩コースの途中なのに今まで知らなかった神社だ。

DSC05082DSC05088






 冊子にはこの神社をこう説明している。〈おゆみ野中央5丁目の有吉貝塚公園の一角に位置し、当社は縄文時代の馬蹄形貝塚の上に鎮座し、境内には貝殻や土器片、石器などの遺物が散在しています。舌状台地の基部で、標高が45m。もとは南側に水田が広がり、水田まで約30mもあった高台に位置していました。水田には大清水という湧水があり、泉谷用水の水源の一つでした。開発前、有吉村の集落は尾根状の台地上にあり、山林に囲まれた場所で農業の生産性が低かったため、特に農耕神である山王神社を崇拝したといわれています。境内には明治43年(1910)4月28日に村内にあった子安神社、第六天社、道祖神を本社に合祀し、また出羽三山供養塔が、当社の北側に移転しました。境内一体が有吉南貝塚で、遺跡公園(有吉貝塚公園)になっています。〉

 出羽三山の供養塔(下の写真中右)については、〈山形県の羽黒山、月山、湯殿山の登拝信仰は、15~6世紀頃から人々の関心を呼び、江戸時代には東日本、特に出羽・越後・関東一円に広まりました。これは、三山に登拝することにより、直接その霊験にあやかりたいと願い、息災延命・無為招福を求めて、山中での修行によって養われた山伏を先達と仰いで山に登りました。25~40歳前後の男性グループを組み、30日間ほどかけて出向き、戻ってくると参拝者たちは記念として石碑を建てました。村によっては、この三山参りが済まないうちは若者組の仲間入りが許されないといい、若者の成年の儀式とされました〉とある。

 境内の芝生はキチンと刈られいて、無人の神社にしては行き届いている。高台だからなのか、貝塚の上だからなのか、なに気に清涼な空気が流れているようで気持ちがいい。寄せの練習だろうかゴルフクラブのウエッジでスイングの練習に余念がないオジサンや、犬と散歩する人、ベンチでイチャつく高校生カップルなどもこの場所を気に入っているようだ。遠くに目をやれば鎌取駅前のショッピングセンター〈イオン〉がみえるし、反対側には大百池のMr.MAXもみえる。その先にはイオンおゆみ野店や、ちはら台のunimoもあって、周辺は大型ショッピングセンターの激戦区でもあるのだ。商圏としてはおゆみ野の人口が4万5千人、ちはら台が2万2千人で約7万人が主なるターゲットだと思うが、私的にもこの4か所を均等に利用している。

 とはいうもののイオンとジャスコの関係などよくわからない。PBブランド(TOPVALU トップバリュー)の商品は品質の割には価格がリーズナブルに感じるのでカーゴに放り込む機会が多いので、信頼感が育ちつつあるのだろう。waonカードもってるし(笑)。家電はK'sデンキで買うことにしているが、コジマデンキよりも好感度が高い。そうだね、こうしてみると結構私は地域に溶け込んでいるようだ。そんなことを考えながら境内を歩いていたら、見知らぬオバちゃんに声をかけられた。目の前の実のなっている木を指差して、「これっ、梅かしらそれとも桃かしら」と私に訊くが、葉を手にとると桃のようだがはっきりとはわからない。たわわになっている実をかじってみたが味はまだしない。「たぶん、桃かもしれない、もうすこし大きくなったらわかるんだけど」と答えた。下左の写真だが、わかりますか?

DSC05089DSC05083







DSC05085DSC05086







DSC05091DSC05092






 本殿にお参りする男性がいた。40歳くらいだろうか、鳥居にお辞儀をして手水舎で口と手を清めてからお参りをしていたが、90度に深々と頭を下げて二礼二拍手一礼の作法通りにしていたので、ひょいと頭も下げずに拝殿前に立った私は礼儀知らずのようでチョイ恥ずかしかった。このひと、となりに合祀している第六天社、子安神社、三峰神社にもお参りをしてから、本堂の左となりの御神木に向き合うと大きく両腕を広げて抱きつき、なにやらお願い事をしている様子。御神木に抱きつく人など初めてみたので、立ち去る際にふと目があったので訊いてみた。すると、こんな立派なお社にお参りしたのだから350年はたっていると表記してある御神木の霊験にあやかって私なりのお願い事をしたんですよ、と答えてくれた。この人が立ち去ってからモチロン私も真似して同じように御神木に抱きついてお願い事をしたが、はたして神様に聞き届けられただろうか(ちなみにここの狛犬はめちゃくちゃ可愛い)。

夏が来た

 夕方、散歩にでかけた。下着のうえに半袖の麻のシャツをかさねてきたが、少し歩くとうっすらと汗ばんでくる。JR外房線の踏切を越えてM大の農場の外周を歩いた。日陰の道端にどくだみが白く咲いている。下の写真は誉田駅近くの踏み切りぎわに咲いたものだが、暗がりで咲くこの花をみつけると浅井慎平の次の句を思いだす、「どくだみの花の白さや昼の闇」。

DSC05079






 少しさきの住宅地の角でイモカタバミの群生しているのをみた。ムラサキカタバミより鮮やかな赤紫色をしている。葉の形が3枚のハート形なのでわかりやすい。南アメリカ原産で江戸時代末期に観賞用として導入されたと図鑑には説明がある。芋片喰と書くが、カタバミの葉は夜になると三小葉を閉じることから、その様子が横からみると葉が喰われて欠けているようにみえるので、片喰(かたはむ)と呼ばれたという。イモ(芋)は地下に茎状の魂茎があることからついている。

DSC05080






 本日の私のワイルドプランツハンティングは以上の二点だ。思ったより汗をかいた。スーパーで食材を買って家にもどる。予定ではもっと遠くへ行くつもりだったが、ムリはしない。例のごとくソファで録画しておいた米ドラマをみてくつろいだ。今日は先日連続放映をしていた「パーソン・オブ・インタレスト」だ。物語の展開がスピーディーで面白い。ジム・カーヴィゼル演じるジョン・リースがすっきりとした男前で好感が持てる。誰かに似ているなと思ったらこの人、顔つきが日本のテレビレポーターの阿部祐二に似ている。

poi3







 物語は、〈コンピューター・プログラミングの天才・フィンチ(マイケル・エマーソン)は米政府のためにテロの発生を予知する機械を開発する。その機械はテロだけでなく凶悪犯罪の発生も予知することが判明した。だが政府は国家的な危機にしか関心を示さない。そこでフィンチは、バックドア・プログラムを機械にインストールして、凶悪犯罪の中心人物(パーソン・オブ・インタレスト)の社会保障番号が自分の元に流れてくるように工作した。そして彼は富を蓄え、自分を戸籍上で死亡扱いにして身を隠し、凶悪犯罪を防ぐことにした。だがフィンチは脚に障害があり、体の自由が思うように利かないので、ジョン・リース(ジム・カヴィーゼル)を雇うことにする。リースは気鋭のCIAエージェントだったが、ガールフレンドが殺されて以来、生きる目的を失い、浮浪者として自堕落に生きていた。彼もフィンチ同様、戸籍上では死んだことになっていた。かくしてリースは、フィンチの指揮の下、凶悪犯罪が起こる前にそれを防ぐという危険な仕事に臨むことになる〉。

 夕食後、さっき買ってきた西瓜を冷蔵庫からだして食べたが、今年のハツモノだ。ひんやりとして甘い香りが口のなかに広がった。夏が来た。

CHASE

 昼過ぎから仕事。同じ区内のむかしからの顧客宅へ行ったが田舎風の庭が立派な家だった。隣接して主人の経営する鉄工場があり、かなりの敷地を占有している。客が保存していた当社の古い契約書をみたが、なつかしい。おもわずむかしの話で盛り上がってしまった。久しぶりの商用が終わって家にもどったが、早くも汗ばむ陽気で車のクーラーを効かせて走った。

img_620267_21567317_6






 もどってからソファでくつろいだ。最近録画して楽しんでいる米テレビドラマ、「CHASE」を2本続けてみた。主役の連邦保安官アニー・フロストがなんともかっこいい。彼女のミッションは個性的な精鋭チームを率いて、逃亡する囚人や裁判の被告人などを逮捕することだ。わずかな情報から犯人の過去や家庭を調べ上げ、行動パターンを読み解き、先手を打って彼らを追い詰めていく。頭脳戦や心理戦が満載のスリリングなストーリーに加え、アメリカで2番目に大きなテキサス州の広大な土地を舞台に繰り広げられる怒涛のアクションが魅力だ。カタルシス効果満点のドラマだが、映像もいい。逆光に煌めくアニーの男とみまごうばかりの腕の産毛や、車内に浮揚するチリまでもカメラは映像として捉えていて、効果的でリアルな臨場感をみせつける。

 我彼比べても無意味だが、録画しておいた日本映画「探偵はBARにいる」を先日みたときのことを思いだした。就眠前にベッドのなかでリモコン片手にみたのだが、後半は眠くなってパスして消去した。前宣伝につられてこの一作目を映画館でみたいと思った記憶があるのだが、金払って映画館でみなくてよかった。これなら2作目も似たようなもんだろう、と思ってしまう。そもそも映画にでる俳優はテレビのバラエティなんぞにあまりでないほうがいい。テレビカメラはおちゃらけた人間性の浅い実像をしっかりと映し撮ってしまうからだ。どうせ食べるならアンコの詰まった出来たての美味しい鯛焼きが食べたい。中味すかすかの鯛焼きは食べたくない、なので俳優にはテレビなんぞにでなくてすむようなギャラ払え、ってそう思う。とはいえ(ここでいつものようにさり気なくexcuseを挿入)、人間好き嫌いはあくまでも自由なのでたかがエンターティメント、どう楽しもうとかまわないのですが。

My Picture Book

 プリンターのインクを切らしたので近くのホームセンターへ買いにいった。天気のいい日曜日だったので店内は混雑していた。毎回のことだが、このプリンターのインクってどうしてこんなに高いのだろうと思う。カラーインクなんて、たいして使わないうちにすぐに切れるのでどこに蒸発したのだろうといつも不思議だ。Canon 321BKを一つ買った。878円だったが、もっと安い補充用インクが売っててもいいじゃないか、と思う。東南アジアでは売っているのをTVでみたことがあるので、捜せばあるのかもしれない。どうにもメーカーサイドのアコギな思惑にハメられている気がしてならない。くらべてコピー用紙B5が500枚で228円だったが、これはこれで安い。

 昼をちかくの長寿庵で食べた。冷やしきのこ蕎麦(手打ち)の大盛りにしたが、美味しかったので大盛りにして正解。お腹がいっぱいになったので散歩に出かけた。例の高田調整池周辺だが、手にポケット図鑑とデジを携行するのはいつもの通り。先月の野草とは少し違う、新顔メンバーがお目見えしているので立ち止まっては図鑑と首っ引きで名前を確認し、デジで撮るという作業をしながらの散策なのでのんびりとしたものだ。

DSC05064 ユウゲショウ(夕化粧)多年草
 まったく別の科の花にオシロイバナ(白粉花)という花があって別名をユウゲショウと呼ばれていることから区別するためにアカバナユウゲショウともいう。名前の由来は夕方ころに花を開き白地に赤い化粧をしたような美しい花を咲かせることからそう呼ばれたという。

DSC05066 コヒルガオ(小昼顔)つる性の多年草
 あとででてくるヒルガオと見分けるのが難しいが、ヒルガオよりも少し花径が小さくて葉の形が少し違うので見分けられる。中国では薬草として使うという。インド・東南アジア産


DSC05067 コウゾリナ(髪剃菜)菊科の越年草
 5月の初めにも観察したが、日当たりのいい草地や道端でよく目につく。下のブタナと似ているので近寄って観察しないと見分けられない。コウゾリナのほうは触ると剛毛があるのでざわつく感触がする、このような手触りを剃刀にたとえて剃刀菜と呼んだようだが、なまってコウゾリナになったという。

DSC05068 ブタナ(豚菜)ヨーロッパ原産の多年草
 タンポポに似た花をつける。名はフランス語でSalale de porc 「ブタのサラダ」と呼ぶことからついた。最初に日本で見つかったときの名はタンポポもどきだったという。英名のCatseear は葉の形がネコの耳(Cat's ear)に似ていることから命名されたが、原産国ではハーブや食用としてつかうという。

DSC05069 コメツブツメクサ(米粒詰草)ヨーロッパ・西アジア原産
 道端や荒れ地に生える一年草。コメツブウマゴヤシと似ている。それにしても野草の名前の付け方は見た目の印象による命名が多い。そのほうがわかりやすいからなのだろうが、上のブタナなどはタンポポモドキのほうがよほどよかったかもしれない(草のためにはね)。でもブタがサラダのつもりで本当に食べるのだろうか。

DSC05070 ハハコグサ(母子草)菊科の越年草
 道端などで普通に見られる。春の七草のオギョウは本種のことで、ホオコグサの別名もある。かっては草餅に使われていたというが、母と子を臼と杵でつくのは良くないという理由から平安時代ころからヨモギに変わったという。日干ししたものを刻んで、咳止めや健康にいいお茶として常用したという。

DSC05072 ヒルガオ(昼顔)つる性の多年草
 私と同世代なら昼顔といえばカトリーヌ・ドヌーブがその美しさで娼館、SM、死体崇拝、少女趣味、殺人という背徳・変態趣味を〈美〉に変換させた傑作映画を想起するだろう。昼は娼婦で夜は貞淑な妻という二重生活を過ごす淫らな妄想に苛む女性を23歳のドヌーブが見事に演じた。同じような女性、私の周りにもいます。

DSC05073 田んぼ
 水を張り、苗を植え終わった水田の姿だ。秋の刈り取りの時期になるまでここですくすくと苗は成長し、たくさんの稲穂を実らせ、米として人の口に入るまでの最初のステージがこの場面だ。調整池はここともう一つ奥にもあるので、今日は奥の調整池にも行ってみた。

DSC05074 アヤメ(菖蒲)山野のやや乾いた草地に生える多年草
 田んぼに隣接する森の端にひっそりと一本だけ咲いていた。いまだカキツバタとショウブの見分けがつかないので図鑑で確かめてみた。花弁の外花被弁に見える網目模様が特徴で和名の綾目(あやめ)はここからついたという。私的にはアヤメといえば剛力彩芽を思いだすが、かまわないよね(笑)。
 

DSC05076 シラン(紫蘭)
 先日の東金の食虫植物群落ではまだ幼い感じのシランだったが、今日みたシランは名前の通り、紫の蘭としての存在感を農道横で誇示しているようで、このあたりではまだまだ野生のシランが生きているのだと知った。この花の名前を訊かれたら「シラン」と、答えろとなにかに書いてあったが、今度つかってみようかな。

 さて、家にもどりソファに横になったら心地よい疲れを感じてそのまま転寝をしてしまった。目をさましてテレビをつけたら日テレの番組、「笑ってこらえて!」で先日の文京区本駒込をとり上げていた。初めてみた番組だったが、「森鴎外記念館」、「夏目漱石旧居跡」、そして「兆徳」までが映っていて、志ん朝さんのことや焼き餃子などが紹介されていたので楽しかった。

 ところで、デジで撮った私の野草コレクションは私的野草図鑑としていつかプリントして見やすいようにまとめるつもりだ。ポケット図鑑には冬春で300種、夏秋で300種の合計600種が紹介されているのでせめて500種は超えたいと思っている。ブログにアップした画像は、撮った日時と場所を図鑑に記入しているので、これからも続けます。何年かかるかわからないのだが、お気に入りのMy Picture Book 完成を乞うご期待!

マグカップ

DSC05063











 〈この通りの朝は一杯のコーヒーではじまる。ないと新聞の読めない者や、通勤の友にしている者もいる。あとは手持ちぶたさにならないようもつ者、井戸端会議の必需品だ。〉とスーザン、リネット、ガブリエルの3人がそれぞれのマグカップをかかえて立ち話の場面にこのナレーションがかぶさる。暑くもなく、寒くもない土曜日の朝、LaLaTVにチャンネルを合わせたら、「デスパレートな妻たち・シーズン6#2」を放映していた。登場人物が手にするそれぞれのカップからその数だけのコーヒーの香りが漂ってくるかのようだ。キャリアウーマンのリネットが手にするのは保温用のステンレスタイプのマグ、コケティッシュなガブリエルのマグは白黒のパンダ柄だ。スーザンのマグが私的には好みのタイプだ。上の石田ゆりこが手にしているカップに似ている。ちょっと、トロピカルなフレーバーのきいたコーヒーが似合いそうだ。

 で、ストーリーは例のとおりスッタモンダのドラマが起きて、起承転結の結果次のようなナレーションで締めくくられる。〈この通りの一日は一杯のコーヒーではじまる。むかし好きだった人を思いだしながら飲む者、騙さねばならないボスのことを考えながら淹れる者、本気になってきた恋愛に思いをめぐらせながらすする者、でもこの朝がきてコーヒーを後回しにした女性がいた。隣人が困っているのを目にしたからだ。手をかすことはご近所のよしみでもちろんだが、このときの彼女にとって許しを乞う唯一の手段でもあった。〉

 久しぶりにこのドラマをみたが、日本では「デス妻」と呼ばれるほどヒットした。郊外のウィステリア通りに住む女性たちが巻き起こすサスペンスとスリラーに富んだ波乱万丈のエピソードの数々をコメディタッチで描いたドラマだ。全8シーズン、180話をHのすすめで過去に通してみたことがあるのに、久しぶりにこうしてみてみるとストーリーの内容などほとんど忘れていて、初めてみるような気がして楽しめた。もちろん、手許に淹れたてのコーヒーをマグカップに用意した。そのまま続けてBSプレミアムで、「にっぽん横断こころ旅」をみてから昼にした。

 食後、「みずいろメガネ」(中野翠)を手にソファに横になる。本のなかで著者がすすめる古今亭志ん朝さんの弟子のひとりの落語(あくび指南)をYou Tube で聴いてみたが、途中でパス。だったらCDで師匠の志ん朝さんを聴いていたほうがいい。私にだって残された時間が有り余るっていうわけではないのだから。と、ここまで書いたら地震があった。テレビをつけると宮城県で震度5強だという。毎度のことながら東北の人たちのことに思いが馳せてしまう。

カラオケ

 窓から差し込む五月の陽射しが明るい。手にした、G ・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読み始めた。昼、レトルトのカレーを温めて食べていたらMがきて、Tさんにお願いがあるんだけど、という。「友達の誕生日会なのでいつもの鶏唐揚げをつくって欲しいんだけど」というリクエストだった。訊けば料理持ちよりの8人ほどの女子会になるとのことで、ついでにサラダと卵焼きもお願いしたいんだけどと上目遣いで懇願されてしまう。料理をするのは嫌いなほうではないので、一応渋るポーズはするが結局OKをする。こう書くと二人はできているんじゃねえかとか、ハナの下をのばして利用されてるんじゃないのかとか勘ぐるかたもいるかもしれないので、お断りをしておくが男女の関係はない。無人島で二人っきりになってもありえない、と100%ちかくの確率でそう思う。要は身内感覚というのか親戚の娘のようで私にその気がない。なので御心配無用(って心配なんかしてないか)。

 なんの歌だか忘れたが、ハナうたを歌ったら(どっちが歌ったのかも忘れたが)Mが思いだしたように、久しぶりにカラオケ行こうと騒ぎだした。唐揚げは夕方6時に間にあえばいいので、行こうよ行こうよ一時間だけと執拗に誘う。そうだな、付き合ってもいいかと思いちかくのカラオケ店へ一緒に行った。訊けば今付き合っている彼氏は歌があまり上手ではなくて、しかもカラオケは好きなほうじゃないという。いっぽう、Mは趣味はカラオケというくらい好きなのだ。しかも歌う曲はすべて歌謡曲か、演歌が中心という水商売まるだしスタイルなので、いくら上手でも同年代(今年の誕生日で30歳になる)のグループで歌うとまわりがチョイ引き気味になってしまうという。そこへいくとTさんならまったく気をつかわなくてすむので、ストレスが思いっきり発散できるのだという。ちなみに本日のMが歌った曲を思い出して書きだしてみる。

 「愛のきずな」安倍律子、「愛燦燦」美空ひばり、「お祭りマンボ」美空ひばり、「夜桜お七」坂本冬美、「アカシアの雨がやむとき」西田佐知子、「なみだ恋」八代亜紀、「喝采」ちあきなおみ、「ひと夏の経験」山口百恵、「大阪ラプソディ」海原千里・万里、「じょんから女節」長山洋子などだが、デュエット曲もかってにリモコン押して付き合わさせられてしまう。「東京ナイトクラブ」フランク永井・松尾和子、「新宿育ち」大木英夫・津山洋子など。不倫がらみのムード歌謡などもお好みのようで、毎回リクエストされてしまうのが、「熱海の夜」箱崎晋一郎、「抱擁」箱崎晋一郎、「城ヶ崎ブルース」黒沢明とロスプリモス、「宗右衛門町ブルース」平和勝次とダークホースなどだが、曲は知ってはいても平和勝次さんなんて私は知らないんです(涙)が、どういうわけだがMは大好きなようで毎回リクエストする。曲名をみただけなら爺ちゃん婆ちゃんのカラオケ大会みたいで、せめてサザンオールスターズとか、スマップとか、福山雅治あたりがいいのではないか?とおもうのだが、ガンとして演歌、歌謡曲なのだ。Mの歌ってる顔をチラリと横目でみるとなんとも幸せそうで、うれしそうなのでまっ、いいかとつい納得してしまう。交互に歌うので同じ曲数を歌ったのだが、なるほどストレスの発散にちょうどいいと感じた。

 Mがアパートに戻って肉じゃがをつくるという。6時にでき上がりをTさんにも届けるから、といって別れた。私も戻ってリビングで録画しておいた米テレビドラマ、「メンタリスト」を2本みた。それからキッチンでリクエストされた料理を始めた。材料はすべてMが買ってきたものだが、卵10個をつかって卵焼き4本と、鶏肉3パックを唐揚げにしてサラダ(レタス、胡瓜、パプリカ黄・赤、プチトマト)をさっとつくった(下左)。6時過ぎにMがきて、迎えにきたAYの車で料理を積んでふたりで嬉々として出かけていった。それからひとりでゆっくりと夕食にした(下右)。肉じゃがと、右の竹輪と胡瓜はMの作品だ。

DSC05060DSC05061







ガーデニングと文豪

 「もう、でかけちゃうの」と女はベッドのなかから声をかけた。滑らかな白い背中から首筋にかけて昨夜の名残りが匂い立っている。「ああ」とだけ言葉少なく応えた。女は裸のまま起きあがり、眩しそうに私を見つめて「ちょっと待って、いま朝ごはん用意するから」と言いながらシャツ一枚だけを着けるとキッチンへ立った。ソファに所在なくすわっていたら、テーブルにこんがりと焼けたトーストにバターとポテトサラダが添えられてベーコンもついた皿が置かれた。コーヒーのいい匂いがする。「わるいな」、「ううん、Tさんが行っちゃってから独りで食べるのもさみしいから」と女は白い歯を見せた。「・・・・」、「久しぶりでしょ、一緒にここでごはん食べるのって」、ぽつりとそうつぶやいた。私はコーヒーをひと口飲んだ。熱くほろ苦い味がした。

DSC04897






 なんてね、そんな妄想を描きながら新宿駅構内のカフェ〈ベルク〉でモーニングセットを独りで食べた(笑)。池袋から西武線で球場についた。改札を降りると「国際バラとガーデニングショー」のアルバイト学生たちだろうか、毎回のことながら拡声器で「入場券をお持ちでないかたはチケット売り場でお求め下さい」とがなりたてている。〈うるさい!われわれは子どもじゃないんだから言われなくても知ってるわい〉と言いかえしたくなる。まるでバカ扱いをされたように感じていつもながら不快だ。主催者側としては催しの雰囲気を盛り上げるための演出くらいに思っているのだろうが、こんなことしている国は世界広しといえど騒音に鈍感な日本だけだ。

DSC04900DSC04910







DSC04912DSC04914







DSC04916DSC04917







DSC04921DSC04919







DSC04922DSC04925







DSC04929DSC04934






 会場前の広場でキャスキッドソンのロゴつけたケータリング車をみつけたが、このブランドの輸入元である日本商社の凡庸な販売戦略にがっかりする。知っている人だけが知っている、というマニアックな隠れブランドにしといたほうが希少性という名の価値は数倍上がっただろうにといつも思う。もう手遅れだが、日本で本当のブランドが育つわけがないのだ。6畳のアパートに住んでいるのにバッグはヴィトンです、エルメスですっておまえは風俗か、といいたくなってチョット哀しい。

 さて、そんな嘆きはほっといて周囲をながめてみればここはイギリスのフリーマーケットかと思ってしまうような雰囲気に、バラを見にきたおばちゃんたちのハートは鷲掴みされてしまう。まるで撮影会の様相をきたして、あちこちでパチリパチリと便利なデジタルカメラが大活躍している。コッツウオルズのコテージタイプはYUMEMIブランドの大ヒットだ。以前、京都に行って〈もぎとりセール〉なるこのようなフリーマーケットを楽しんだが、同じコンセプトだと感じる。

 会場に入る。ほとんど毎年通っているが、年々規模が拡大していると感じる。あえて休日を外して平日に来てみたが、ご覧の通り会場内は早くも盛況で人気のほどがうかがえる。たしかに出展している庭の数々は素晴らしくていつきても感動を味わえる。日本人のもつ感性と、優れていて繊細なモノ作りの技術がまさに花開いている。今年のコンテンツは〈恋するバラの15年〉と題して、①ロングロングローズアベニュー(ダイアナ妃の"プリンス・オブ・ウエールズ"やピーター・ビールズの"メイドゥンズ・ブラッシュ"などが登場)、②オドリー・ヘップバーンが愛した庭(吉谷柱子が再現)、③ターシャ・チューダー素足の庭(ターシャの世界を再現)、④テーマガーデン、⑤バラに恋するロザリアン、⑥日本ばら会、⑦ガーデニングマーケット、⑧ガーデニングコンテスト、⑨バラのふるさとトルコ(トルコは世界一のローズオイルの生産国。"エメトゥールル"と名付けられたバラを初公開)、⑩キッズランド、となってるが48におよぶガーデンコンテストの参加ガーデンこそが私のお目当てだ。

DSC04937DSC04938







DSC04939DSC04940







DSC04945DSC04948







DSC04950DSC04947







DSC04951DSC04953







DSC04954DSC04957







DSC04958DSC04961







DSC04967DSC04969







DSC04988DSC04995






 ホンダ車のブースがあった。えっ、なにこれ普通車?と誰かが訊いた。「いえ、軽です」の返事に、広いなーと車内をのぞき込む。確かに外観もかわいい。「いくら?」と訊くと120万円ですとの返事におもわず欲しくなってしまい、パンフレットをもらってしまった。が、ツートンのカラーも含めてとにかくかわいい。

DSC04998DSC05000






 
DSC05001DSC05005







DSC05008DSC05009







DSC05011DSC05018







DSC05019DSC05030






 たった264×260のスペースしかない我が鼠の額のごときベランダ。それでも充分楽しめるかのようなインスピレーションを感じて、庭造りのアイディアがどんどんインスパイアーされる。それやこれやを考えながら出展庭の前に佇めば、うっとりとした至福のときが流れあっという間に昼をだいぶ過ぎた。それをきっかけに会場をあとにして、池袋から地下鉄を乗り継いで本駒込駅に降りた。交差点角の〈兆徳〉という中華店に入る。この店、古今亭志ん朝が柳家権太楼の紹介で知って以来贔屓にしていたという。寄席に行く前に炒飯と餃子を食べるのが好きだったそうだ。私は冷やし中華と餃子を注文したが、どちらもおいしい。カウンターに座ったので作るところをみていたが、餃子は茹で汁を捨ててからなにやら鍋からすくってかけている。香油だろうか、口に入れたら甘いいい香りがした。あとから入ってきた常連さんが注文した半チャーハンとワンタン麺も美味しそうだった。次回、真似して同じものを注文しようと思った。

DSC05033DSC05034






 店をでてすぐのところにある書店、「南天堂」に入る。そのむかし、大杉栄、伊藤野枝、林芙美子など当時のとんがった人たちのたまり場だった2Fのカフェはもうないが、伝説のひとつの舞台をみる思いがして感慨深く店の前でしばらく佇んだ。

DSC05035DSC05038







DSC05041DSC05046







DSC05048DSC05054






 団子坂に向けて歩きだす。このあたり、お寺が多い。しばらくすすむと、平塚らいてうたちの〈青鞜社〉のあった場所が左手に見えてくる。現在は新築のマンションが建っているが門前に説明のプレートが立っている。瀬戸内晴美の「青鞜」には明治44年のこのころを、〈翌々日の六月一日には、第一回の発起人会が物集和子の家で開かれた。物集和子は明の下級生だが、明はほとんど知らなかった。和子の姉の芳子が明と誠之小学校からの同級生で、お茶の水でも芳子が上級だったが、同じ琴の師匠のところで出逢ったりして、わりあいに親しかった。つい先頃、漱石門下の閨秀ということで姉妹の写真が載ったのをみて、明が芳子を思いだしたのだった。十年も逢っていなかったのに、芳子は明からの話を聞くとすぐ賛成してくれた。

 「それは面白いわ、大賛成よ。でもわたくしはちょっと・・・」その頃もう婚約していて、結婚後は外交官の夫と海外へ行くというので、かわりに妹の和子を推薦した。明は当然、自分の家で発起人会を開くべきだと思ったが、まだこのころは、『青鞜』に対して決定的な情熱を感じていなかった。事務的なことで自分の生活が乱されるのは嫌だと思って、一歩距離を置いていた。幸い、気のいい和子が、「うちでなさったら」といってくれたので、第一回の会合は駒込林町の物集家に決まったのだ。和子の父は『広文庫』の編纂で有名な物集高見博士だった。この頃が丁度その仕事に没頭している最中で、仕事を助ける弟子たちが大勢出入りしていたが、邸が広大なので、和子の部屋で行われる会合はひっそりとして他の部屋の物音さえ全く聞こえてこない。〉と書いている。

 さらに歩みをすすめていくと、団子坂上の信号手前右手に「文京区立森鴎外記念館」が鷗外の旧居「観潮楼」跡地に開館している。コンクリート作りで鷗外らしい簡潔な建物だ。入館料300円を払ってなかに入る。〈鷗外の見た風景・東京方眼図を歩く〉という特別展が開かれていたが、展示もさることながら館内の鷗外の紹介ビデオも楽しかった。東京方眼図を歩くという展示紹介で次のように説明している。〈いま私たちが使っている地図、縦線と横線からなる方眼で構成された地図の作成を明治期に企画したのは、森鴎外でした。当時の日本ではまだ目新しかったこの試みは、1909(明治42)年、森林太郎立案「東京方眼図」として発行されました。なぜ鷗外が「東京方眼図」を立案したのかは未だわかってはいません。しかし、その作成には留学先のドイツで方眼の地図を利用した経験や、江戸の古地図を収集するほど地図が好きだったこと、毎日の散歩で街を歩いた経験が生かされています。

 「東京方眼図」は、鷗外の作品のなかにも登場します。19190(明治43)年に発表された小説、『青年』では、主人公・小泉純一が「東京方眼図」を使って東京を歩きます。作品のなかに駅や劇場など、当時の街の様子が克明に描かれています〉と。ビデオのなかでは作家の加賀乙彦や森まゆみのインタビューも興味深くて面白い。安野光雅の無人島にもっていきたい一冊に鷗外の文語訳100年前のベストセラー、アンデルセンの「即興詩人」を挙げていた。記念館の2Fに鷗外の著作や資料を閲覧できる図書室があるので入ってみた。安野光雅は鷗外の「即興詩人」の美しい文語訳を読むようにとすすめるが、自身では5年をかけて心をこめて口語訳にした「即興詩人」を刊行している。書架から手にとり、ふたつを読み比べてみた。まずは鷗外の文語訳から、最初の数行〈羅馬に往きしことある人はピアツツア、バルベリイを知りたるべし。こは貝殻持てるトリトンの神の像に造り倣したる、美しき噴井ある、大なる広こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出てゝその高さ数尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの広こうぢのさまをば銅版画にて見つることあらむ。かゝる画にはヰア、フエリチェの角なる家の見えぬこそ恨なれ。〉

 続いて安野光雅口語訳は、〈ローマへ行ったことのある方は、きっとバルベリーニ広場にも行かれたことがあるだろう。そこには、ギリシャ神話に出てくる海神トリトンがホラ貝を吹いているところをかたどった噴水があって、その貝からは、数メートルばかりも高く水が噴き出しているのを見られたにちがいない。ローマに行ったことのない人でも、あのバルベリーニ広場のようすは銅版画などで見ておられるのではないだろうか。しかし、その画には、ある建物が描かれていないために、見てもらえないことがとても残念である。〉さて、どちらがお好みですか?読みやすいのは圧倒的に口語訳だが、鷗外の名訳も捨てがたい。二冊持っていって読み比べをしていたいところだが、無人島にどちらを選ぶか悩ましいところだ。

 上の右写真に写っているのが藪下通り側の入り口だ。奥の庭園内に三人冗語の石が見える。1896(明治29)年に創刊した雑誌「めざまし草」で、鷗外、幸田露伴、斎藤緑雨の合同形式による文芸批評「三人冗語」を連載したころの写真にこの石の前に佇む3人が写っている。手前の踏み石は当時の実物だ。そのまま外にでて藪下通りを下って鷗外の散歩道を歩いてみたかったのだが、やや疲れ気味だったので次回のお楽しみにとっておくことにした。ところで根津神社のツツジは見ごろを終えてしまっただろうか、気になったので団子坂をくだり根津神社へ向った。この坂、幾多の小説や舞台になった日本有数の有名坂だ。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」の舞台になった坂もここのことだ。〈それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけの喫茶店で、冷やしコーヒーを啜っていた〉の書き出しで始まるこの作品は、名探偵・明智小五郎が登場する最初の作品で、日本の家でも密室殺人の物語ができることを示した作品といわれる。乱歩はこれを機に、職業作家となる自信ができたという。

DSC05055DSC05057






 根津神社のツツジは散っていたので、参拝をしてから裏門坂を上っていった。日本医科大を右に折れてしばらく行くと、「吾輩は猫である」を書いた夏目漱石の旧居跡に出る。建物は現在、犬山市の明治村に移築保存されているが、この場所でイギリス留学から帰国後の漱石は明治36年から39年12月までの3年10ヶ月間を過ごした。当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、ここで「倫敦塔」、「坊ちゃん」、「草枕」などの名作を次々に発表したいわば漱石文学発祥の地だ。森鴎外も漱石が住む13年ほど前に1年余り住み、ここから記念館のあった観潮楼へ移っていった。なので、二大文豪の居住地として近代文学史上重要な史跡でもあるのだ。今は碑があるだけだが、塀の上を歩くネコの姿も見ることができる。

thCAXW6ANQ








散歩とカツ丼

 エッセイ、「散歩とカツ丼」(新井千裕著)は「趣味は散歩である」との書き出しから、「千葉県に住んでいるが、近所に江戸川と並んで東京湾へ注ぐ川があり、岸辺をよく歩く」と続く。どうやら著者が住んでいるのは市川市のようで江戸川に並行している川とは真間川のことだと推測ができる。近くに住んでいたのが、晩年の永井荷風だ。「随筆を何作か読んだけれど、荷風も散歩が好きで、我が家から図書館までの上流コースも歩いていたらしい」と荷風について書いてから市内の〈荷風の散歩道〉や、荷風が亡くなる前日まで食べに通っていたカツ丼の店が現在も営業しているなどと記している。読みおわり、ページを閉じたら散歩、カツ丼、というフレーズが脳内にチカチカ点滅しだした。そうだ行ってみよう、前から興味はあったのだ。明日は西武球場で開催中の〈第15回国際バラとガーデニングショウ〉に行く予定をしていたのだし、吉祥寺にも用事があったのだ。というわけで速攻で支度をしてでかけた。

DSC04830DSC04831






 JR本八幡駅でおりて荷風が通ったというカツ丼の店、「大黒家」にむかったのだが、交差点の角に写真のように〈市川案内人の会〉なるのぼりが目に入る。なかに入るとうれしいことに市川の散歩道と題した手描きの地図と説明が書いてあるA3用紙が、11枚(ってことは11か所)ご自由にお持ちくださいと置いてある。カウンターにいたボランティアのかた(もらった名刺にはKさんとあったのでここではそう呼ぶ)に訊くと、永井荷風のことはもとより周辺の見どころを詳しく教えていただいた。なんでも20人ほどのボランティアの人が在籍していて交代でこうして市川のいいところを紹介する活動をしているとのことだった。

 いただいたコピー紙には、〈屋敷街の散歩道〉、〈文学の散歩道〉、〈縄文の散歩道〉、〈坂と史跡の散歩道〉、〈川と橋の散歩道〉、〈歴史の散歩道〉、〈歴史的街並みの散歩道〉、〈江戸川街の発見マップ〉、〈雑木林の散歩道〉、〈自然と実りの散歩道〉、そしてその他にも小雑誌、〈まんよう〉、〈ぎょうとく〉や、文化の街かど回遊マップとして〈国分・国府台地区編〉、〈行徳・妙典地区編〉、〈市川・真間地区編〉と実に豊富な市川市の案内資料が整っている。住んでいる場所を愛している市民と行政のいい関係が見てとれる。我が千葉市ももうちょっとガンバレ、と叫びたい気持ちになった。昼にはまだ時間がある。さっそく教えていただいた八幡宮に向う(右上)。

DSC04834DSC04835







DSC04836DSC04837






 八幡宮のちかくまできて思いだした。だいぶ前に桂三枝(現在は6代目桂文枝)と春風亭小朝の落語を聴きに市川市役所裏の公民館へ来たことがあったのだ。そのころはエネルギーも神経も仕事中心の生活だったので、こうしてのんびり文学やら史跡やらにたいする時間的な余裕を向けられなかったのは当然といえば当然のことだ。そんなときの息抜きに落語を聴きにきたのを思いだして、現在の自由な我が身に喜びを感じる。さて、私は境内に入らずKさんに教えてもらったちかくの〈不知八幡森〉(左上)にまず立寄ってみた。

 知ってますか、八幡の藪知らずという言葉。私は知らなかったがKさんは広辞苑にも載ってますという。帰って広辞苑を調べてみたらちゃんと次のように載っていた。千葉県市川市の地名と説明があって、【八幡不知森(しらずのもり)ともいい、ここに入れば再び出ることができないとか、祟りがあるとかいわれる。転じて、出口のわからないこと、迷うことにたとえる】と。Kさんが言うには、「そんなバカなことがあるか」といってチャレンジした水戸黄門が迷って出てこれなかったという伝説があるといっていたが、ひとつ物識りになった気分だ。もっともいまでは森というよりも鬱蒼とした竹林と呼ぶのがふさわしい状態になっている。

 八幡宮にもどり、赤い隋神門をくぐる。これは市の指定文化財で、〈天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺が別当寺として八幡宮を管理していたところから、仁王像の置かれた仁王門でしたが、明治維新の神仏分離によって仁王像は行徳の徳願寺に移され、左右大臣を配して葛飾八幡宮の随神門となりました。この門の特色は柱や梁、軒を支える組物に太い部材が使われていることです。かえる股も巨大であり、その内部には雲に龍、竹に虎などの彫刻がはめ込まれています。門全体の様式は幕末の特徴を示し、門前にある狛犬の安政2年(1855)再建の銘からもそれがうかがえます。 〉と説明がある。左下に写っている本堂前の常夜燈は明暦3年と彫り込まれていて、荷風の「断腸亭日乗」にもでてくるという。境内のなかはちかくの幼稚園児たちが数人、保母さんに見守られながら遊んでいた。

 本堂の裏にまわると、国指定の天然記念物千本銀杏の大樹(右下)が鬱蒼と緑の葉をひろげて大きな影をつくっている。そのまま境内をでて少し歩くと水木洋子邸がある。「ひめゆりの塔」、「裸の大将」、「純愛物語」などで知られる脚本家(1910-2003)の家だが閑静な和風の平屋だった。定期的に公開をしているという。時計をみると昼を過ぎている、お腹も減ってきた。京成線の線路沿いに歩いて荷風が亡くなる前日まで通っていた「大黒家」へいってカツ丼を食べた。「荷風流東京ひとり歩き」(監修・近藤富枝)によると、終焉の地・市川本八幡としてこう書いてある。〈昭和34年3月1日の「日曜日。雨。正午浅草。病魔歩行殆困難となる。驚いて自動車を雇い乗りて家にかへる」を最後に、『断腸亭日乗』から「正午浅草」の記述が見えなくなる。

 毎日のように出かけていた浅草通いがピタリと止み、代わって「病臥」、「風邪」の文字が『断腸亭日乗』を埋めていく。食事は京成八幡駅前に今も残る大黒家で済ませることが多かった。判で押したように「正午大黒家」が続く。ここでもいつもの椅子に座りカツ丼、上新香、酒一合が注文だったという。結局、その店への行き来が、荷風にとっての最後の散歩道になった。あれだけ東京中を歩き回った健脚も病魔には勝てなかった。4月30日朝、通いの家政婦が、うつぶせに倒れている荷風を発見。死因は、胃潰瘍による吐血。誰にも看取られることのない、荷風らしい最期と言えば言えるのかもしれない。〉

DSC04842DSC04843






 荷風と同じ食事を終えて外にでた。来るまえに電車のなかで読んできた「墨東奇譚」と映画のなかのシーンが交差してなにやら荷風を演じた津川雅彦とお雪を演じた墨田ユキとの絡みの場面など思いだして、状況はまったく違うにもかかわらず、お雪の待つ住居へ向う津川雅彦気分でうきうきと足どり軽く商店街のなかを歩きだしていった。小説のなかで、「いつも島田か丸髷にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴声とはわたくしの感覚を著しく刺激し、三四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。わたくしはこのはかなくも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならあからさまに感謝の言葉を述べたい。お雪さんは南北の狂言を演じる俳優よりも、蘭蝶を語る鶴賀なにがしよりも、過去を呼び返す力に於いては一層巧妙なる無言の芸術家であった。」と書いている。墨田ユキの白い顔にぷっくらとした柔らかそうな唇を思いだしたら、似ている女が脳裏に浮かんだ。

 ところで大黒家のちかく、細い路地を入ったところの家が(現在は二階建てに増築している)Kさんに教えてもらった荷風終焉の家だが、分かりづらい場所だった(下左)。しかしもらったA3資料には他にも、ゆかりの文人たちとして幸田露伴(小説家)、星野道夫(写真家)などに縁のあるスポットが紹介されている。下右の写真は露伴の娘の幸田文(文筆家)が利用した魚甚という魚屋、その中左も幸田文が利用した松丸酒店。右は露伴邸に隣接した白幡天神社で1180年(治承4)、源頼朝が源氏の御印である白旗を掲げたことによるという。祭神は武内宿禰。明治4年、菅原道真を合祀し、白幡天神社と称するようになった。2月20日の湯の花まつりが有名という。

DSC04845DSC04847








DSC04849DSC04851








DSC04855DSC04856






 境内に入ると、本殿前に勝海舟が書いた扁額が見える(下左)。〈松しげる生垣つづき花かおる菅野はげにもうつくしき里〉と詠んだ荷風の石碑が黒松の御神木の前にあった。御神木は枯れてしまったようで、根の部分だけが残っている状態だった。ここから5分ほど離れたところ(歯科医院の角から3軒目、菅野4-3-3)に幸田露伴の旧居があり、次女の文はこの家に残り、創作活動を続けたという。気温が上がってきたのか暑くなってきた。そろそろ次の目的地である吉祥寺へ行こうと歩きだすが、汗をかいて喉が渇いた。南八幡に生まれ育った写真家の星野道夫(アラスカに魅せられ世界で活躍、ヒグマの事故により43歳で急逝)が通った駅前の喫茶店、「蛍明舎」でひと休みする。コーヒー、とてもおいしい。

DSC04858DSC04862






 さて、久しぶりの吉祥寺は相変わらず活気にみちている。住みたい街ナンバーワンの称号、さもありなんと思う賑やかさだ。大手通販のカタログから、捜していた雰囲気にあう本棚を見つけたのでショールームのあるここへ来てみたのだが残念なことに実物見本として置いてないという。取り寄せてから気に入らなければ返却をする以外に選択の余地がないらしい。居間に置く本棚ゆえ、イメージ通りでなければ困るのだ。しかたない、もう少し考えることにしよう。そとにでて街のなかを歩く。揚げもの屋のさとうの前にはコロッケ、メンチカツを買ういつもの長い行列ができている。ビルの前でジャズを演奏している。ハモニカ横丁が賑わいだすにはまだチョイ早いかもしれない。東急デパート近くの古書店「百年」でしばし本の探索。本読み芸人のピースの又吉おすすめの古書店だが、私もおススメだ。自分でやるならこんな古書店にしたいと思わせる素敵な店だ。

DSC04870DSC04874







DSC04872DSC04869






 つい、買い食いをしてしまう。餡のなかに栗の入った鯛焼き(一個180円)だが、一番人気ですと言うだけあってなかなかおいしい(くりこ庵)。街なかの喧騒に少々歩き疲れもした。公園に行こうと思い、信号待ちをしていたら揚げたての唐揚げに楊枝を刺してどうぞ、とすすめられたのでつい口にした。ハフハフ言いながら頬張ったがおいしい。縁とかいてゆかりと呼ばせる店の宣伝だったがきっぷがいい。丸井の角を曲がり公園の途中にケーニッヒというドイツソーセージの店がある。人気店なのは知っていたが、店頭のテーブルで食べている人たちの顔が幸せそうで、つられて店員さんにメニュー指差して、「チューリンガー(ハーブ風味400円)ください」と言っていた。これも茹であがりにケチャップとマスタードをたっぷりと付けてハフハフ言いながら食べたが美味しかった。

DSC04876DSC04891







DSC04890DSC04877







DSC04879DSC04887







DSC04888DSC04885







DSC04884DSC04883






 井の頭公園に入った途端、清涼感と自然の香りに包まれた気がしてホッとする。池には大きな緋鯉、真鯉がのっそりと泳いでいる。それをのぞき込んでた若い女性5人グループが「人面魚だ、人面魚だ」と指差し大騒ぎ、いや、あれは誰それに似ているとかそっくりだとか言いあって大笑いをくりかえしていた。水面ではカップルが仲睦まじくボートを漕いでいたりして、ゆったりとしたときが流れているのを感じる。30年以上前に東京に大雪が降ったときがあった。当時つきあっていた彼女と出るに出られず、公園沿いのホテルに2日間ずーっと籠っていたことなどふと思い出した。森のなかにペパカフェ・フォレストとかいた看板をみつけて、なかに入る。エスニックな雰囲気が満喫できる居心地のいいなごめるカフェで、カップルでおしゃべりをしてたらいっぱい話ができそうだ。

 新宿にでていつもの定点チェック。「ディスクユニオン」、新宿タカシマヤの10Fのインテリアステーション「HOW'S」、東急ハンズ、紀伊国屋書店などだ。夕食は久しぶりに中華料理店、「石の屋」のチャーメンと餃子にしようときめた。いまは別のビルになってしまったのだが、この店の支店にはまだ私が小さなバーを伊勢丹のちかくでやっていた40年前よく通った。チャーメンとはソースを使わないちょっと太めの焼きそばのことだ。あとで知ったことだが、開高健さんもこの店によく顔を出したと何かの記事で読んだが、このチャーメンに酢をたっぷりとかけるのが好みだったようだ。はたして40年前の味とちがうのだろうか、おっかなびっくり口にしたがなるほど40年もまったく同じ味ってことはない。ノスタルジックな気分はすっ飛んだが、ときの流れに逆らえないってことだと自分を納得させた。食べ終わってそとに出たら、歌舞伎町の派手な宣伝車が伊勢丹の前を通っていった。いかにも新宿らしいとおもってデジでパチリと撮った。

DSC04892DSC04893









ポイ捨て

 案の定というべきかやっぱりというべきか、さきほど来たTAからのメールによると、どうやら話し合いの結果昨夜離婚届に判を押したとのことで、もうどうしていいかわからない、と結んであった。TAの連れ子以外にはお互いの間に子どももいないので夫としては上々の首尾だというべきだろう。いまごろは腹のなかでほくそ笑んでいるにちがいない。訊けば10年ものあいだ、TAは毎晩夫の帰宅に合わせて食事を用意して、風呂をわかし、こまごまと世話を焼いてきた。風呂にはいつも一緒に入り夫の身体をていねいに洗ってやり、下着を準備して、夜の営みも夫に合わせて完璧に満足をさせていたという。朝は朝で駐車場まで一緒に行って笑顔で「いってらっしゃい」と頬にチュッとして、車が角を曲がって見えなくなるまで手を振るのが習わしだったという。

 夫は最近、思春期をむかえた息子の微妙な反応にいちいち口を出し、自分の思う通りにコントロールしなければ気がすまない性分で、息子との間は険悪になり結局TAの両親の家に息子は1月に越してしまったという。夫は息子から家の鍵をとりあげてしまい、家に入れるなとTAに告げたという。しかし、この10歳年下の夫はTAとの10年間の生活をたっぷりと男として堪能したのだから、女の息子の件で難クセをつけて離婚を成立させたら本心ではOKなのだろう。TAは話しあいの際にわけのわからない夫の言い分にキレて離婚届に判を押したらしいのだが、私はメールに「バカだなぁ、それじゃ相手の思うつぼじゃないか。まず渡した離婚届を取りかえしてから、相手の両親に相談をしてみろ」と伝えた。相手の両親はこの件に関してなにも知らないそうだ。「母の日のプレゼントを贈ったら電話でとてもていねいに感謝されて、お姑さんは優しくてとてもいい人なんだよねェ。だから言いにくくて」との答えが返ってきた。

 「カッとなって売りことばに買いことばで何も決めないで離婚届に判を押すなんて、どんだけオマエは人がいいんだ」と伝えた。女ざかりの貴重な10年間を無にしないためにも、親に相談してから埒が明かない場合、調停にかけて慰謝料なり、生活費なりの取り決めをしてからだろう判を押すのは、と私のような経験者は思う。一方的ないい分を訊いているだけの判断だから正確ではないが、まずは後悔しないためにもガンガンと騒ぎ立てるべきだとおもう。このままだとタダの泣き寝入りに過ぎない話しになるよ、といいたい。賞味期限が過ぎたので使い古した雑巾のようにポイ捨て?そりゃないでしょ。

墓参り

 昼前にMから電話があり、墓参りに行きたいのだけれどヒマですか?と訊かれる。仕事の予定もなかったのでOKと返事をした。ベランダにでて空を見上げると見事な五月晴れだ。墓参の前にいつもの花屋でMが花を買った。花屋の店先は春めいて明るい。母の日のカーネーションが鉢植えでたくさん並んでいて季節感いっぱいだ。

DSC04823






 Mの子どもも母親と一緒で上機嫌だ。墓を掃除して線香と花を供えてから3人で手を合わせた。ちかくのAの両親の墓前でも手を合わせてから寺をあとにしたが、子どもが途中のマクドナルドにいきたいというので昼をそこですませた。3人で下のように注文したが合計で1510円だった。漠然ともっと安かなという気がしていたのだが、チョイとした割高感を感じてこれならTVのCFもどんどん流せるはずだとちょっと思ったりした。Mに言わせると値段は高いけれどモスバーガーのほうがマックより美味しいよ、という。好みにもよるだろうが、次回はモスにいって比べてみようということになった。

DSC04826






 元をとるつもりはないのだが、子どもを遊具のあるフェンスのなかでしばらく遊ばせた。先に遊んでいた同年齢らしい女児と気があったのか、一緒になって汗かくほど夢中になって遊んでいる。店内でニコニコとその様子をながめている女児の母親は、セレブ感たっぷりのこのへんではめずしいほどの美形だったが、顔は似ていない。オヤジ似だな、と私がつぶやいたらMも笑って同意した。

彼女を見ればわかること

  朝食を食べながらテレビ画面を何気なくみていたら、中年の女乞食が女性主人公にむかって、「愛はねだるもんじゃない、与えるものだ」と哀れむような眼差しで告げる場面があった。BSプレミアムで放映していた、「彼女を見ればわかること」のワンシーンだ。ハハァ、これがこのドラマのキモなんだとそのとき気付いた。独身の銀行支店長レベッカを演じているこの女優さんをどこかで見たことがあると思ったら、テレビドラマ「女捜査官グレイス」のグレイス・ハナダルコ役で見たことがあったのを思いだした。ホリー・ハンターという米女優だが、役柄によってこうも変わるかとチョイおどろいた。

233749_004thCAR61KB1







 11時に市内だが約束をしていた顧客宅があったので、のんびりと映画を終わりまでみているヒマがない。オムニバスドラマなので2話だけみて家をでた。顧客宅で商用をすませた帰り道、蕎麦が食べたくなって近所の蕎麦屋に行ったが定休日で閉まっていた。しかたがないので自分で作ろうと家にもどり、ソーメンを茹でて冷蔵庫にあった野菜で天ぷらを揚げた(ピーマン、新タマネギ、茗荷)。食べ終わり、さっきの映画が気になったのでPCをのぞいてみた。こう解説されていた。【その脚本と出会った瞬間、誰もがこのプロジェクトに恋をした。低予算のインディペンデント作品にもかかわらず、大物女優たちがこぞって出演を希望する。その結果集まったのは、キャメロン・ディアス、キャリスタ・フロックハート、グレン・クローズ、ホリー・ハンター、そしてキャシー・ベイカーといったハリウッドの今を代表するトップ女優たち。

 彼女らはこの作品のために忙しいスケジュールを調整して時間をつくり、撮影現場へ駆けつけ最高の演技を見せて去っていった。新人監督のデビュー作としては考えられないような豪華なキャストと優れたスタッフの熱意に支えられて完成した本作は、2000年カンヌ映画祭〈ある視点〉部門に出品され、みごとグランプリを獲得。この奇跡のような映画の脚本を書いたのは、ロドリコ・ガルシア。「百年の孤独」や「コレラの時代の愛」の作品で知られるノーベル文学賞受賞作家、ガルシア=マルケスの息子で、本作は撮影監督として活躍してきた彼の処女脚本にして監督デビュー作となった。】

 私がみたのは第2話の「レベッカへの贈り物」だが、映像も俳優の演技も素晴らしい。ストーリーは、
銀行の支店長をしている独身女性レベッカ(ホリー・ハンター)は、ビジネスマンのロバート(グレゴリー・ハインズ)と不倫関係になって3年。ある日、妊娠に気づくが、中絶を決意。そして手術の前夜、彼女は部下の副支店長ウォルター(マット・クレイヴン)と思いがけずベッドを共にしてしまうのだが・・・。地味でちょっぴり暗い感じのする内容だが、女性向きの考えさせられる深い映画です、おすすめ。

 夕方、ホームセンターで買ってきた大きめの植木鉢にミニトマトの苗を移植する。が、少し土が足りない。なので車で近くの畑へいって土を少々スコップで掘り、発泡スチロールの箱に詰めてきた。こうしてできあがったわが家のベランダ、ミニトマトのプランターは無事に収穫までにこぎつけるのだろうか?実ったあかつきにはデジにアップします。

DSC04822








絶滅危惧種

 借りていた本の返却に図書館へ行った。ついでにいつものように書架においてある千葉日報をチョイ読みする。紙の新聞をとらなくなって久しい。ほとんど、WEBのネット新聞かテレビでニュースなどは知ることができるからだ。新聞のお試し期間に一週間無料だというのですすめられてとったこともあるのだが、私にとっての必要な記事がほんの少しでほとんどが不要な記事だったり、広告だったりするのでもう新聞はとらないと決めている。読んだあとの新聞紙の処分も面倒だしね。

 昨日の成東・東金食虫植物群落の記事が千葉日報に偶然掲載されていたので読んでみる。「絶滅危惧」の33種自生、と見出しにある。房総の「たからもの」として―希少動植物種の今―と題したシリーズ記事だ。なになに、8種類の食虫植物を含めて350種類以上の植物が確認され、多様な植生を誇るとあって、群落には環境省のレッドデータブックに掲載された33種の絶滅危惧種が自生するという。しかし、周囲の水環境の変化によりここ数年の乾燥化で、水の確保は最優先課題だそうだ。なるほど、この話は昨日のボランティアの人から聞いた内容と一致する。こうして記事になると読んだ人の関心も深くなるだろう。この千葉日報、日々県内の希少動植物種の特集を組んでいて今日で5回目だ。1回目から4回目でとり上げた希少動植物種は以下の通り。

1、県内限定超 "レア種" シャープゲンゴロウモドキ、2、「トキの二の舞」危惧 ミヤコタナゴ、3、房総丘陵にわずか85本 ヒメコマツ、4、外来種の脅威で生存危機 ニホンイシガメ、以上だが、この特集はまだまだ続きそうだ。興味がわいてきたので、図書館で追記事を読みたい。

 昼過ぎにAが来訪したのでさっそく先日の加齢臭について訊いてみた。「Tさん?ぜんぜん加齢臭なんてしないよ。そんなの気にすることないじゃない」と即答。「いやいや、気になんてしていないよ。昔から、オレは無色透明無味無臭だと自賛しているんだし、着けているものといえばサワヤカという名の香水だけなんだから」と茶化してみる。とはいえ、加齢臭がただよう知り合いもいる(本人は自覚をしていない)ので常に気を配ることは必要だ。廊下を歩いていてその臭いがしたら、さっきその人が歩いたんだろうなと推察できるレベルの臭いなのだ。お互い注意しましょう(笑)。

 ところで、いまメールが届いた。TAという稲毛に住んでいる昔からの知り合いだが久しぶりだ。子連れ(もう高校生だ)で再婚して10年以上たつのだが、熱々だった結婚生活が最近はうまくいっているとはいい難い状態らしい。ときどき長電話があるので話し相手になっているが、先方も私の現在の状況を知っているので気が楽なのだろう、思い出したかのように長電話をしてくる。もし私に奥さんがいたとしたらこんな場合、私の奥さんはどう思うのだろう。決していい気持ちではいないかもしれない、それどころかヤキモチを焼いて変な邪推で怒ったりするのだろうか。それを考えたら私は古い女友達からの電話を拒否しなければならないのだろうか。30年以上も前、お互いがまだ若かったころに2、3回程度の付き合いはあったが、それだけのことで現在は色恋の感情などお互いにまったくない。にもかかわらず?

 そもそも恋愛自体が突き詰めていってしまえば、できるだけ多くのいい女と気持のいいセックスをいっぱいしたい男と、優雅な家庭で一生苦労もなく専業主婦として暮らしたい女とのカケヒキという名の一騎打ちにすぎないのだ。そういってしまえば身もフタもないので、愛などという男女の間に存在もしない(マジックワード)幻想のオブラートで包んでしまい、本音をかくしてしまう。この操作は人類が長年かかって考えだした見事な工夫なのだ。(っていうのはウソ、といいたいのだが本当のところはどうなんでしょう)モチロン、ご存じでしょうがなんにでも例外はありますヨ。きっとあなたの愛はこの "レイガイ" の一つでしょう。その延長線上である結婚生活とはだからとてもモロイ(絶滅危惧種)ものだと知っておいたほうがいい。TAから連絡があったらそう伝えるつもりだ。

食虫植物群落へ

DSC04728DSC04730






 山武市の顧客宅へ行き商用をすませる。前回のとき、今度来るとき作っておくからね、といっていた豚もも肉の燻製を戴いた。ご主人が桜チップを使って庭の自家製窯で燻製にした逸品だ。燻製肉を薄く切ってレタスで包んで食べるとおいしわよ、と言いながら裏庭のビニールハウスでサニーレタスを奥さんが採ってきて発泡スチロールの箱に大量に入れてくれた。私は帰ってからさっそくたべようっ、と笑顔で言いながらお礼を述べた。

 上の写真は途中の道端でみかけたハルジオンだ。先日はヒメジョオンと見分けがつかなくてちょっぴり残念な気がしたが、この時期はいたるところで見かける。いつでも見れるようにと先日買ったポケット図鑑、「日本の野草300冬・春」(鈴木康夫)によると、〈全体に毛が多く茎は中空。茎の内部の葉の基部は茎を抱く。花は蕾のときは下向き。よく似たヒメジョオンは蕾が垂れず、茎は中が詰っている。〉と説明されていて分かりやすい。右上はナガミヒナゲシ(ケシ科)だが、最近やたら目につく。ヨーロッパ原産の帰化植物だそうだが、遠目でみてもすぐにわかる色だ。

 顧客宅を辞してから近くの長光寺へよってみた。春には枝垂れ桜で有名な寺だが、今日の境内にはだれもいない。それでも若い葉を茂らせた大きな枝垂れ桜の枝がたっぷりと本堂に覆いかぶさるように繁っていて、この寺の主人はオレだといわんばかりの存在感を醸し出している。

DSC04731DSC04733






 すぐ近くの妙宣寺にもよってみた。ここも枝垂れ桜で有名だが、もっと有名なのが室町期の傑僧、日親上人の出家寺としてだろう。なにしろ境内には将軍足利義教の怒りをかって(天皇・将軍への直接布教や直訴、「立正治国論」の執筆など)反逆罪で投獄されてしまい、受けた責めの数々が絵入りの看板として掲示されている。多くは後日の伝説として語り継いだものだろうが、かなり悲惨な(見かたによればグロテスクともいえるような)内容にチョイ引くかもしれないが、以下に一部抜粋する。

DSC04744DSC04746






 〈寒夜責め〉
 寒い凍てつくような夜、庭にだして梅の老木に縛りつけ夜通し鞭打ちました。「寒かろう、もう観念して南無阿弥陀仏と唱えろ」というと、「つめたさはとても耐えがたい、だからといって日蓮上人の教えに背いて念仏を唱えれば、地獄に落ちてしまう。八寒地獄の厳しい寒さをおもえば、こんな寒さなどはなんでもない、南無妙法蓮華経!」

 〈火責め〉
 三十四歳のとき、将軍足利義教に法華経による平和な社会の建設をすすめ、怒りにふれ牢獄に入れられました。暑い夏の日、日親上人を庭に引き出し、薪を周囲に積んで火をつけました。煙と炎は全身をつつみ、火あぶりと同じ苦しい責め方です。

 〈浴室責め〉
 ある時、日親上人を浴室に入れて戸を閉じて、三時間ばかり火を焚き続け、もう死んだにちがいないと戸を開いてみれば、いぜんとして小声に南無法蓮華経と唱えていました。

 〈修業時代〉
 約五百七十年前、植谷にお生まれになり妙宣寺でお坊さんになりました。どんな苦しみにあってもびくともしない心と身体を試そうとすざましい鍛錬をしました。釘抜きをもって、左手の小指の爪をはさみ、グッと抜きました。血はサッと飛び散りましたが、顔色ひとつ変えません。十日間に全部の爪を抜き、夏に金づちをもって指先を潰しました。

 〈舌切り責め〉
 責める方法に尽きた将軍足利義教は、役人に命じて日親上人の舌を抜かせようとした。ところが役人はあわれんで舌先を少し切りとった。それ以来、日親上人の言葉は舌のまわらぬ子供のようになってしまった。

 〈冠鐺責め〉
 日親上人を庭に引きずりだし、真っ赤に焼いた鍋を頭の上からかぶせた。じゅっという音をたてたかと思うと、ぢりぢりという臭い煙をあげながら髪は燃え、肉も焼けただれたが日親上人はいつものごとく、滔々とお題目を唱えておりました。それから日親上人さんのことを「なべかむり上人」と呼ぶようになりました。

 まだあるのだが、このへんで(笑)。昼になっていたので桜の木の下のベンチでおにぎりを食べた。しーんとして誰もいない境内はすこーし不気味なムードだが、(上の逸話の数々はご丁寧にも一枚一枚、絵入りなのだ)非日常を感じるシュールな体験だった。さて天気も上々だ、真っすぐ帰るのもなんだかね。そこで帰り道にまえから気になっていた〈成東・東金食虫植物群落〉へ寄ってみることにした。山武市から東金市にかかる中間に、大正9年日本で最初に天然記念物指定を受けた群落地が広がっている。手前に歴史民俗資料館があったので車を止めてみた。あいにく、本日は休館だったが、となりの伊藤左千夫生家の庭に立ち入ってみた。

DSC04752DSC04755






 
DSC04759DSC04760






 縁側に座ってしばらくのんびりと伊藤左千夫のことを考えた。【1898年(明治31年)に新聞「日本」に「非新自賛歌論」を発表。「歌よみに与ふる書」(正岡子規)に感化され、正岡子規に師事する。子規没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌「馬酔木」、「アララギ」の中心になって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成した。1905年(明治38年)には、子規の写生文の影響を受けた小説、「野菊の墓」を「ホトトギス」に発表。夏目漱石に評価される。代表作に「隣の嫁」、「春の潮」などがある。茶道にも通じていて、茶室「唯真閣」が移築されている。左千夫の歌から二句、「垣のもとに茂り生ひたる山吹のしづ枝に一つ花咲き残る」、「五月雨を朝寝し居れば葦切が声急き鳴くも庭の近くに」。】

 庭さきに目を転じると、民子を演じた松田聖子の植樹だろうか、アララギ(イチイ)の木が育っている(右上)。片隅にはヒルザキツキミソウの紫の花と、どくだみの葉の間からカタバミの黄色い小花が顔をのぞかせていた。

DSC04815DSC04763






 生家の前から木製の目印が食虫植物群の場所を示している。車をゆっくりと向ける。一面を田んぼに囲まれた駐車場に止めた。ポツンとちいさな管理棟が建っている。なかに入って届け出用紙に記入をすると、「守る会」のボランティアの方が案内をしてくれる。駐車場で一緒になったちょっと上品なおばさんと3人で湿地に設置してある木道を歩く。おばさんはかなりここには足を運んでいる人のようで、本日のお目当てはトキソウだと言っていた。管理棟の壁には本日の見ごろの植物が張り出してあって一目でわかるように工夫されていて便利&親切だ。

DSC04768DSC04767






 晴れあがった空にはセッカが湿地の上を飛びまわりながらチッチッチッと鳴いているし、その上では雲雀が風に向かってホバリングをしながらピーヒョロヒョロと鳴き声をあげているのが目の当たりに観察できる。ツバメも上に下にとスピード飛行をくりかえしているし、なんともゆたかな気持ちになって声にだして笑ってしまいそうだ。木道を歩いていたおばさんがトキソウの群生をみつけて、「わーっ、あったあった」と大喜びをしている。ほかにもミツバツチグリ、ウマノアシガタの群生が目だった。植物の名札が立っているのでよくわかるし、ボランティアの方の説明も詳しく、ていねいだ。

DSC04769DSC04770







DSC04772DSC04774







DSC04775DSC04777







DSC04778DSC04779







DSC04780DSC04781







DSC04782DSC04784







DSC04785DSC04787







DSC04792DSC04794







DSC04796DSC04808






 こうしてみると植物の種類も多い。上から右へ順に名前を書きだしてみる。①イシモチソウ(湿地の食虫植物、繊毛の粘液が小石を持ちあげるほど強いのでこの名がついた)、②トキソウ(おばさんのお目当てだ。保護鳥のトキの羽根の色に似ているところからこの名がついた。群生している)、③モウセンゴケ(繊毛の粘液で虫を捕える)、④タカトウダイ(花期にはまだ早かったが名は丈が高いトウダイグサという意味)、⑤イシモチソウ(白い花が咲いた状態)、⑥ハルリンドウ(1~3cmの花の色が濃く美しい)、⑦ボランティアの方がくわしく説明してくれる、⑧コキンバエザサ(徳島県の絶滅危惧種)、⑨シラン(ラン科、野生のものはめずらしい)、⑩イシモチソウ(ハルリンドウとの混生)、⑪コモウセンゴケ(葉は地面に張り付くように生える。貼り着け式)、⑫ノアザミ、⑬ハルリンドウ、⑭ニワゼキショウ(明治時代に渡来した帰化植物)、⑮ニガナ(どこにも分布する、苦い)、⑯ハルリンドウ、⑰トキソウ、⑱ハルジオンに留まったベニシジミ蝶がきれいだった。

 じつに豊富な植生だと思う。しかも月々の変化を追って楽しむとすれば毎月ここで観察すれば植物の知識も大分ふえることだろう。いままで近くまで来ていたのにこの場所がこういうところだとは知らなかった。来月も近くへ来たら立寄りたい。そして変化をチェックしてみたい。そんなことを考えながら充実した気分で駐車場にもどると、田んぼのなかで波打つ白いチガヤの群生をみつけた。踏み外さないようにあぜ道を歩いてパチリ、と撮った。あぜ道にも黄色い花が咲いている。さっそく図鑑を見て名前を確認する。

DSC04811DSC04812







DSC04814DSC04821






 左上、チガヤが波打っている。右上はオオジシバリだ。図鑑を見るとちゃんと〈田の畔や湿り気のある道端などに生える多年草〉と書いてある。左下はケキツネノボタンだが、茎に名の通り長めの毛が多い。さて時計を見ると3時を回っていた。家にもどって、さっそく戴いた燻製肉を薄くスライスして、瑞々しいサニーレタスにタマネギのすり下ろしドレッシングをかけて一緒に頬張った。おいしい(笑)。

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

tnb47

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ