初めて訪れたがこじんまりとした施設だった。館内には小学生の4,5人のグループがガラスケースのなかを覗き込んでいたりしてたが、マナーは良かった。「あなたの知らない千葉県の歴史」(山本博文監修)にはこう書いてある。〈黒潮のなかに突きでた房総半島は、外来の人や物を引っかけるフックのような存在だ。そしてその奥に、東京湾という誘き寄せられた物たちを吹き溜まらせる領域が用意された千葉県域は、それゆえ特徴のある歴史をもった。
縄文時代中期から主として東京湾岸に直径100メートル超の馬蹄形貝塚が多く作られ、房総は「貝塚の宝庫」といわれる縄文文化の最盛期に突入した。
稲作文化が房総地域にまで伝わったのは紀元前100年ころと考えられるが、農耕生活に移行したことによって社会は一変。佐倉市の六崎大崎台遺跡にみるような、集落のまわりを壕で囲んだ大環濠集落が形成され、拡大、変容する社会のようすを物語る。
千葉県には古墳が多い。全国一の数にのぼる前方後円墳も確認されている。これは四世紀に畿内に興ったヤマト王権が地方にその勢力を広げるにあたり、同盟と服属の関係を波及させていった産物でもあり、ヤマトと共通する墓制が多いということは、それだけ東国のなかでもヤマト王権と関係が深かったということだ。房総は、ヤマト王権にとって、「さらにその先にある征服すべき土地」への足がかりでもあった。〉
埋蔵文化財調査センターのガラスケースのなかには、石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世にいたる遺物が順序良く展示してあって歴史の流れがわかりやすい。中学生のころ、学校の下の芹が谷の田んぼへいけば縄文時代の土器の欠片や、石器などあぜ道にいくらでもころがっていたし、玉川学園の踏切近くでも黒曜石の矢じりをたくさん見つけたことなどふいに思いだしてなつかしい気がした。現在の子どもたちがこうしてガラスケースのなかの展示品としてながめるのみで学習するしかないというのもチョイ気の毒な気もした。が、パンフレットをみると小学生による発掘体験なども実際の遺跡でやれるようで、それなら楽しいだろうと思った。
センターをでて、学園前駅近くの上赤塚貝塚にむかった。層をなしている本物の貝塚がうまく展示してある公園の入り口だ。オレンジ色の花に囲まれたゲートをくぐって古墳の上の公園内をしばし散策したが、森のなかにキンランがたくさん群生していた。樹間からは昨日過ごした城ノ台遺跡の森が見えた。