2012年08月

夏空

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 夏ってこんなに暑かったっけ?というほど酷暑の日々、できるだけ外出をひかえて夕暮れからの散歩も週2回程度にしている。その折り々の夕景の素晴らしさに最近気がついた。あかね色の残照と、白いマシュマロのような夏雲の塊と、背景の空の色とが混じりあって微妙なグラデーションをつくりだしていて息をのむ美しさだ。

 ここ数週間は勝手に夏休みと称して自宅で本を読んだり、録画したビデオを観たり、お気に入りのCDを聴いたりして過ごした。とはいえ、仕事上の用事も避けてはいられず、昨日今日の2日間を久しぶりに車を駆って商用でまわった。市街地から10分も走ればあたり一面、青々とした稲田の光景に変化する。その上の青空に浮かぶのが最近とくに気になっている夏雲の美しさだ。一日のなかでも時刻により様々な姿を見せるその形状は眺めていて飽きがこない。

 里山のドライブは気分転換になったようで、爽快な気分にひたっている自分を発見する。午前中に山武市で2件の用事をすませた帰りに、ふと目についた森のなかの鳥居が気になって車を止めてみた。石段をのぼり、小さな鳥居をくぐり本殿でお参りする。境内の説明板には、六所神社本殿とあり、「六所権現といわれた、このやしろの起源は中世にさかのぼるようであり、千葉氏の一族、宍倉胤政が慶長19年(1614)に改築したと伝えられているが、現存する本殿は享保6年(1721)の改築とみられる」と書いてあり、祭神はイザナギノミコトとなっていた。

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 日頃信仰心なるものを意識もしていないのだが、どういうわけか仕事の途中でも気になる社寺仏閣に足を運ぶことが多い。といって鳥居をくぐる際にときどき「ちい散歩」でちいさんがするように一礼することもなく、礼拝も2礼2拍手1礼を毎回というわけでもない。賽銭も入れたりそうでなかったりと気の向くままなのだが、願い事だけはいつも3つ以上をしっかりとお願いしてしまう。 ここ、日蓮宗「蔵光寺」が隣接しているので神仏習合の名残も感じさせるひっそりとした村の寄り合い所といったところか。

 さて、しばらく走ると今度は以前に参拝した布田の薬王寺の看板を見かける。ついでだと思い駐車場に車を止めて境内に向う。じりじりとした日差しと蝉の声が夏真っ盛りを感じさせてくれる。ここは目薬の寺として有名というだけでなく、本殿の欄間の彫刻もかなりの迫力。左甚五郎の弟子14名で彫ったと説明書きがあるがなるほどかなり見応えがある。

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 昼も過ぎてお腹も減った。早く帰って昼飯にしようと自宅に車を向けるが、ちょうど千葉市と八街市と東金市の三又の中心点に差し掛かったところで、千葉厄除け神社なる看板が目についた。前からちょっと気になっていたところでもあり、ものはついでとばかりにこの神社のかなり広い駐車場に車を止めて本日3つ目の寺社めぐりをスタート。

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 ものすごい数の神々、聖人、偉人が広い境内に像として点在していて、あらゆる種類の小さな神社がとり揃っている。まるで「どんなお願いごとでもかないます」の大量販売状態。境内には直営のカフェまであってビジネス感の香りぷんぷん。初めて訪れたが、あざとさにチョイびっくりして、ありがたみをまったく感じさせない。おもわず、「神様のテーマパークやぁ~」とつぶやいてしまう。

 久しぶりに遅い昼をおゆみ野の蕎麦屋、「侘助」でとる。運ばれてきた蕎麦を一口すするなり、「うまい!」と呟いてしまう。ここの蕎麦は細く、半透明に打ったタイプでよく冷えていて腰もあり、香り旨みともに満足。で、蕎麦のあとはコーヒーが飲みたい。スタバで一服してから家に戻る。夕刻6時、長柄町の顧客のリクエストで商用にむかう。途中、チョッピリ富良野に似ているとかってに思っている牧場の高台から今夜の月を写真にパチリ。

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 ちなみに昼に食事をした際、レジにあった産経新聞を手にとり蕎麦が運ばれてくるまでに「正論」なるコラムを読んでいたら気になる一文が掲載されていたので以下にコピーします。
 

 【高崎経済大学教授・八木秀次 日本人の怒り理解できぬ韓国人】
 
 韓国の李明博大統領が、「(天皇陛下が)韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要があると(日本側に)伝えた」と発言したことについて、韓国メディアの記者から取材を受けた。

 ≪天皇を最高政治権力者と誤解≫

 東日本大震災の被災地や、被災現地を訪問された天皇皇后両陛下について取材した経験から、李大統領の発言は竹島や慰安婦の問題とは次元の異なる、触れてはならない日本人の神聖な部分に触れたような思いがする、解説してほしい、という趣旨であった。

 韓国では王室がなくなって久しいこともあって、天皇を政治権力の最上位の存在と理解している。韓国で天皇を「日王」と呼ぶのはそのためで、李大統領もそのような認識で発言したはずだ-。記者は、そう問いかけてきた。

 私は、天皇はそうではなく、国家・国民のために「祈る存在」である、と強調した。天皇は実際の政治とは遠いところから、国民生活の安寧や国家の発展、世界平和を祈る宗教的な存在であり、そして、そのような立場からその時々の権力者に対し、その地位を認める存在であると説明した。

 大震災を取材して、記者には思うところがあったようだ。韓国人は古くから外国の侵略と戦ってきたのに対し、日本人は古来、島国ゆえに外国からの侵略はほとんどなく、自然災害と戦ってきたのだなと実感したという。そして、絶えず自然災害にさらされている日本では、国民生活の安寧を祈る天皇のような存在が必要なのだと納得するようになった。日本人にとってはそのような存在である天皇を、大統領発言は侮辱したのではないか。だとすれば、これは大変なことをしてしまったのではないかと心配になっている、と。

≪李大統領は発言を撤回せよ≫

 大統領発言は日本人が普段は意識していないにせよ心の内では一番大事にしている神聖な部分を汚してしまった、と私は指摘した。日本には、多くの国民が天皇のために大事な生命を捧げて来た歴史があり、先の大戦がそうだった。日本人は韓国人と違って、感情を表に出さず、感情の起伏も激しくない。大統領発言は、その大人しい日本人を決定的に怒らせたのではなかったか、と述べた。

 日本では老舗が多いのを知っているか、と問い返しもした。百年以上続く店や企業は10万以上、千年続く会社もある。その間、技術が伝承されている。勤勉でこつこつ努力し、努力はやがて報われると考える国民性もある。それはどうしてかお分かりか、と。

 そのうえで、日本では、韓国と比較すれば政治が安定してきたからであり、何百年も家業が続けられ、技術も伝承できてきたのである、と答えた。そして、それは、どんな実力を持つ者であっても超えてはならない、その地位を侵してはならない「天皇」という存在があったればこそだ、と。

 天皇は初代から一系の血筋で継承されており、誰も取って代わることができない。そして、その天皇から折々の権力者が自らの地位を認めてもらうシステムを日本人は作ってきた。その点で天皇は李王朝の王とは違う。権力の最上位の存在ではない。天皇は日本の国柄のまさに中核をなし、日本の国民性も天皇の存在を前提として形成されてきたものだ。その天皇を李大統領の発言は侮辱することになってしまった、これは取り返しのつかないことをしたのではないか。そのように解説した。

 記者が、では、どうすればいいかと尋ねてきたのに対し、私は、少なくとも大統領は発言を撤回すべきではないかと述べた。

 竹島、慰安婦問題についての韓国側の主張にも言いたいことはたくさんあるが、天皇陛下を侮辱した発言とはレベルが違う。本来は大統領の謝罪が望ましいものの、面子もあるだろうから、天皇や日本人を侮辱する意図がなかったのであれば、発言を取り消すべきである。そうでなければ、日本人の気持ちは収まらない。日韓両国の関係は決定的な対立になり、お互いの国民感情の対立は立場の弱い人たちを傷つけることになる。このような見解を表明した。

 ≪日本は抗議と同時に説明を≫

 記者は、私の解説を聞いて自分なりに納得したこの思いを一般の韓国人に分かるような記事にするのは大変難しい、ため息しか出ない、気が重い、などと語って、電話取材を終えたのである。

 私に対する取材などを基に書かれた記事は、その後、韓国のメディアに掲載されている。その記事には、天皇皇后両陛下が東日本大震災の被災地で黙祷(もくとう)を捧げられている写真が付けられていた。

 天皇については、日本生まれの李大統領でさえ分かっていない。その後も、韓国では閣僚やメディアによる天皇侮辱発言が相次いでいる。彼らは、なぜ日本人が怒っているか理解できず、不思議に思っているのかもしれない。

 取材を受けて、日本政府は韓国側に対し抗議すると同時に、そのあたりを平易に説明すべきだと改めて痛感した次第である。(やぎ ひでつぐ)

履きなれたスニーカー

 夜の7時になりいつもの散歩にでかける。空を見上げると雲が少ないのか星がよく見える。といっても街路灯や街の明かりが反映しているので降るような星空というわけではない。夏の大三角がどうやら認識できる程度なのだが、それでも久しぶりに見た夏の夜空だった。

 今年はキャンプにでかけていないので降るような星空にはまだめぐりあっていない。キャンプで夜空をながめてすごす時間もしみじみとした私時間の過ごし方として気に入っているのだが、釣りにせよ、キャンプにせよ、今年はとんと御無沙汰している。どういうわけか遠出をする気があまり起きないのだ。年齢のせいにするのもしゃくなので秋になったらプチ旅行を計画したい。

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 しばらく歩くと汗をかく。酷暑の気配がまだ残っていてあたりに漂っているのだ。シューズはそれぞれ20年近く愛用しているものだが、(上の写真)先日とうとう底のゴムの部分がはがれてしまった。スーパーの修理屋さんへ運んだら修理を断られてしまった。スニーカーなどの修理はしていないとのこと。それならと思い自分で速乾のG17というボンドで直してみたのだが、なかなか具合もいい。

 右側のシューズは過去幾度となく海外旅行のさいに履きこなしてきたので私の足にピタリと馴染んでいる。なのでそう簡単に捨てられない。このシューズを履いて一体どれだけの国々の見知らぬ街を歩いてきたことか。じっと眺めているとそれらの街角の光景や場面が次々とうかんできて、おもわず時空を無視して思い出が頭のなかを縦横無尽にワープする。

 11時近くになって家に戻る。シャワーを浴びてひかりテレビにチャンネルをONする。録画しておいた米テレビドラマの「キャッスル」を観る。このドラマ、小説家のリック・キャッスルと(ネイサン・フィリオン)と美人捜査官ケイト・ベケット(スタナ・カティック)のコミカルな掛け合いが楽しいので録画して観ている。とくにベケット役のスタナ・カティックが相当に美しくて画面に思わず引き込まれてしまう。シリーズの最初のほうは服装やヘアスタイルも捜査官らしくヤボったかったが、最近はモデル?と見紛うほどに美しくアップしている('78年生まれの33歳、最近の映画出演はリチャード・ギア主演の、「顔のないスパイ」だそうだがツタヤで借りてきて観てみたい)。

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終戦記念日

 終戦記念日。正確には敗戦記念日とでも呼べばいいのか、日本が太平洋戦争で連合国軍に無条件降伏し終結した日。思いはたくさんあるが、当時の日本はなぜもっと早く戦争を終結させることができなかったのだろうか、と前々から疑問に思っていたことがNHKテレビの番組(NHKスペシャル)で、「終戦 なぜ早く決められなかったのか」として放送された。

 番組ホームページによると、【
 敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。

 今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。

 番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について、識者討論なども交えて考えいく。】とある。

 なるほど、観終わってから「なぜもっと早く終戦にできなかったのか」という私の疑問は解けた気がした。ではいったいさきの戦争で亡くなった日本人とほかの国の人ががどれほどいたか、をWEBで調べると以下のとおり。

第二次世界大戦での主な国の犠牲者数

    国   名      兵  員  の     一般市民の
             死  亡   行方不明  死   亡
   ア メ リ カ     407,828      ―      ―
   イ ギ リ ス     353,652     90,844    60,595
   フ ラ ン ス     166,195      ―    174,620
   ポーランド              (6,000,000)     
   ソ    連            (20,000,000)     
   中    国            (10,000,000)     
   ド  イ  ツ     2,100,000   2,900,000    500,000
   イ タ リ ア     389,000    214,647    179,803

   日    本   約2,300,000           約800,000 (単位 人)

 という状況に愕然とする。戦争反対。おりしも韓国大統領の先日の行動と発言、香港の活動家による尖閣諸島への暴挙など微妙な問題が勃発しているが外交下手のわが日本、上手に処理できるのかチョイ心配だ。

 昨日観た映画、「清作の妻」(おすすめです)が描いた内容が当時の日本人のおおかたの現実だったのだろうと考えると恐ろしいやらバカらしいやら。現代に生きるわれわれとしては過去からの教訓として真摯に受け止め後世につたえていかなければ、と感じた。でなければ(ほかの国の人もそうだが)亡くなった同胞310万人の命にたいしてなんと言えばいいのか。

 戦争終結の遅れた原因のひとつは、モメンタム←待機主義(自ら起す行動ではなくて外からのきっかけを待っていること)との発言がコメンテーターからあったがナニ、現代の日本の政治レベルもあのころとたいして変わっていない、というかむしろ後退しているかも。恐ろしいやらバカらしいやら。

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 夕方、末弟からHR君のお母さんが亡くなったと連絡がある。先日店によった時にHR君たちと話題にしたばかりだったのに(そのときは元気だとのことだったが)。後日、お悔やみの電話を入れることにする。

赤ひげ

 昨日AB君が来たときに私が聴いてたCDからジャズの話題になり、結局ダイアナ・クラールの「ライヴ・アット・モントリオール・ジャズ・フェスティバル」、「ライヴ・イン・パリ」のDVDを二人で観ながらダイアナのツアーではおなじみのギタリスト、アンソニー・ウィルソンの話題で盛り上がった。同時に先日のTD君のジャズにまつわる逸話なども披露して面白かった。AB君が知っている人も登場したので興味深かったに違いない。30年以上たてば時効の解禁話もあるしね。

 夕方、鎌取駅前のイオンで食材を3000円ほど買う。「TEAS' TEA」がアリオで買うより30円安かった。雑誌を2冊買う。ついでに、「茶道太閤記」(海音寺潮五郎著)と「中国はなぜ〔軍拡〕〔膨張〕〔恫喝〕をやめないのか、その侵略的構造を解明する」(櫻井よしこ著)をチェックするが、「茶道太閤記」のほうはともかく後者は図書館には置いてないだろうなぁ、と思いつつ家に戻る。千葉中央図書館のHPで調べると案の定在庫はなかったのでアマゾンに発注する。

 借りていたDVD「赤ひげ」と本、「忍ばずの女」高峰秀子著を図書館へ返却する。三船敏郎主演の「赤ひげ」はいままでにテレビ放映などで観ているのだがじっくりと今回のように腰を据えては観ていない。途中休憩の入る185分の長尺ものだが、黒澤明監督のモノクロ作品でいまから47年前の1965年4月に公開とあるが、いま観てもあまり古さを感じない映画だ。最近私が古い日本映画にハマっているせいもあるかもしれない。

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 図書館で返す刀で借りた本、「君うるわしく 戦後日本映画女優讃」(川本三郎著)によるとこの映画のなかで娼家の強欲なおかみ(杉村春子)に小さいときからいじめ抜かれ、ついに、外界に対してまったく心をとざしてしまった少女おとよを演じた二木てるみは、【「とにかく、先入観がありました。黒澤監督というのは、鬼の監督で、怖い(笑)。すごいプレッシャーがありました。それでフタを開けると、まず、リハーサル、リハーサル。もう全部、セッティングができていて『ヨーイ』で始まるのに、カメラにはフィルムが入っていない。三日間くらいそんなリハーサルが続くんです。『えーっ、なにこれ』っていう感じですよね」

 いかにも完全主義者の黒澤明らしいですよね。
 「その前に、わたしのメークを決めるのにアウシュビッツの写真集を参考にしたんです。強制収容所の子どもたちの恐怖の表情を参考にしたんです」
 それははじめて聞きました。すごい話ですね。おとよという少女は、物心ついたときから周囲の世界にいじめられ、おびえている。だからアウシュビッツの子どもたちとつながるんですね。
 「ええ、はじめのころはメークだけで半日ぐらいかかりました。監督のOKが出なくてね。違う、違う、違う。いかにも作った顔じゃ違うし。それから衣装ですよ。それこそ軽石でこすりながらこれでいこうとか。あと髪、かつらとか。こういうふうに丹念に映画を作っていくのを見るのは、はじめての体験ですから、わたし、ほとんど食事出来ませんでしたね、緊張の連続で」

 「いちばん強烈に心に残っているのは、加山雄三さんが病気になって、わたしが看病するシーン。医学書を読みながら、看病疲れで寝ちゃうところがありますね、あれ、ワンシーン・ワンカットなんですけど、本当は先生は何カットかに割りたかったらしいんですね。(中略)これはあとに何か先生の書いたものを読んで知ったんですが、あのとき、バックに、クラシックの音楽(ハイドンの交響曲「驚愕」)が流れていて、先生によると、自分の使いたかった曲の使いたい尺数と、私の芝居の間がぴったり同じだったんですって」

 映画の黄金時代の最後の輝きがあったころですから、一年半もじっくり時間をかけて、丁重に作品を作ることができたんですね。「あるとき、監督がセットの床を自分で拭いていらしたり。それから絶対あけないような引き出しのなかを全部点検しながら、何か物を入れられたり、小道具さんに、あれもってこいとかいって、入れたり。それは万一、芝居つけていて、役者が引きだしあけたら、やっぱりそれなりのものが入っていれば、そこで、役者が感じる感情というのは違うだろうということを小道具さんにおっしゃっていて、そういうものかと思いましたね」

 いい話ですね。黒澤明の完全主義を批判する風潮が最近見受けられますが、役者の気持ちを考えたうえでの完全主義者なんですね。「そのあと、あるテレビ映画の仕事があったんですが、ご飯を食べるシーンのおつゆに『なんでもいいから、そこらへんのもの入れとけ、飲まないんだからいい』というのを聞いて、ああ、わたしは当分、テレビの仕事はできないなって、父にいったのを覚えています」十四歳から十六歳の多感な時期に、最高のものに出会ったら、無理もない。】と川本はインタビューのあとに書いている。

 すでにこのころ日本映画はテレビに押されて凋落の一途に見えたが、黒澤はこの映画つくりの資金調達のため、自宅を抵当にいれて制作に挑んでいたという。若大将シリーズがすでにヒットしていた加山雄三が俳優として開眼したのもこの映画がきっかけだったとなにかの番組で言っていたのを思い出した(最近、ちい散歩の後を引きついだ「若大将のゆうゆう散歩」は、ちいのもっていたひとなつっこい庶民性を超えたオリジナルを出せるかどうかが勝負だと思う)。そうそう蛇足だが、加山雄三の歌は私のカラオケのレパートリーだ(笑)。

 昔はよかったね、などということではないが、制作の裏話や当時の回顧録などを読んでから作品をこうしてあらためて観ると興味がより深まって楽しい。いままであまり日本映画を観てこなかったが、「張り込み」、「雁」、「わが母の記」、「櫂」、「天国の駅」、「ひき逃げ」、「清作の妻」、「妻は告白する」なども観たくなった。

オレンジ&アールグレイ

 結局一昨日の夜は切らしていた朝食用のパンを買いに外に出た。昼のうちに舞台をつくっていた会場では、まだ夜の7時だというのに盆踊りは佳境のようで意外に多くの人で賑わっていた。江戸時代は下々の民に対する為政者によるガス抜き効果もあって、闇のなかの無礼講など今から思うとおどろおどろしい面もあったかのようだが、氷川きよしが歌うノーテンキな「ずんどこ節」など耳にしながら眺めてみると、現代の盆踊りもまた庶民の「安・近・短」のささやかなレジャーとして、その役割を立派に果たしていると思った。デル・シャノンはかからなかったが。

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 昨日、アリオで買った紅茶「TEAS'TEA」のオレンジ&アールグレイを、切らしていた紅茶の代わりに今朝淹れてみる。水出し&お湯出し、と表記してあるがいつもの一リットル入りのガラスポットにティーパック2個を入れ湯を注いで飲んでみた。結構いけるので今年の夏はこれで通すことに決めた。15コ入って328円だが、今まで常飲していたものよりチョイ高めなのがタマにキズだ。

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 アリオのなかの本屋、「くまざわ書店」で読みたい本を物色。「内と外からの夏目漱石」(平川裕弘著)、「尖閣喪失」(大石英司著)、「平和の毒、日本よ」(石原慎太郎著)などを見つけて今日の午前中、図書館にリクエストしておく。モチロン、図書館から借りるばかりではない。買って手もとにおいて活用する場合もある。先日も平積みになった発売されたばかりの、「新 東京いい店やれる店」(ホイチョイプロダクション作品)なるデートのときのガイド&蘊蓄のつまった本を買った。
                  
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 帯に「エロ本です。」とあるが決してそうではない。最初の「東京いい店やれる店」からすでに18年が経過していて情報の鮮度も落ちてることもあり、リニューアルして今回の発刊と相成ったのだろうと思われる。発売当時、人間関係のユニークな構築の仕方や店の評価に対する考え方がいままでにないオリジナルな視点でチェックしてあって非常に面白いと感じた。もちろん、数店だが掲載の店舗に足を運んで大いに実績をあげた記憶もある。もしあなたが営業に携わる仕事だったらとても参考になる本のはずだ。

 今回のこの本にしても、凡百のガイド本などと比べ一読すればお分かりになるだろうが実に面白い。内容を新装して再販を望んでいた身にすれば喝采を叫びたい。先日の東京行きに携行して一気読みしたが(もちろん今の私にこの本を実際に利用する機会は多分ないだろうが)、読み物としてもすぐれているのでおススメだ。あの「なんとなくクリスタル」の現代バージョンとして前作を超えたヒット作となるにちがいない。

 

 ちなみに図書館へリクエストして順番待ちしている本は、「あの川のほとりで上・下」(ジョン・アーヴィング)、「北回帰線」(ヘンリー・ミラー)、「ショーペン・ハウエルの散歩」(長与善郎)、「ホメロス・オデュッセア」(西村賀子)、「ビッグ・サーとヒエロニムス・ボスのオレンジ」(ヘンリー・ミラー)、「森の奥へ」(ベンジャミン・バーシー)、「旅人は死なない」(リシャール・コラス)、「カフカ式練習帳」(保坂和志)、「楽園のカンバス」(原田マハ)、「007白紙委任状」(ジェリー・デューバー)などだ。

悲しき街角

 Aが31日の午前中に来訪。最近それまでのバイト先だった近所のファミレス店を辞め、レンタルビデオ屋で仕事を始めたせいで足腰のこりがひどいという。まれにだが顧客にもマッサージをして喜ばれたこともあるので足、腰をマッサージをしてやる。私自身、過去にいろいろな国で様々なマッサージを受けてきているし、経験上サービス業の究極はこれだと思っているのでAがヒーヒー喜ぶのをみるのは費やした労力に対する対価としては充分だと考えている。

 翌日はFHが来訪。彼女も最近になって始めた保険の仕事でかなり足を使うそうだ。が、おしゃべりの様子をみれば活き活きとしてなにやら楽しそう。訊けば彼氏との関係も良好だそうでマッサージの件にはふれないでスルー。満ち足りている人に余計なサービスは不要なのだ。数年前にそれまで入っていた数社の保険は一社だけにしてすべて解約したことも知っているので、保険の販促も一切ない。そもそも私はその方面には詳しいのだ。

 昨日はMが電話をしてきて、Tさんに天ぷらを揚げて欲しいという。訊けば夜に来客の予定があってその人が天ぷらが食べたいというのだけれど、Mはいままでに天ぷらを揚げたことがないという。バカ?じゃねえの?というがどうやら本当らしい。そりゃ旦那も別居したくなるわな、と答えてからAに教えてもらえと言うと、Aに言ったら私にもついでに少し分けて欲しいと言っていたという。私は苦笑しながらまっ、自分も食べるわけだしひとり分揚げるのも3人分揚げるのもそう変わりないしいいか、と了解する。

 夕方になり、Mと三歳の子どもとAの子供二人の5人が来訪。わが家は一気に保育園状態にヘンシーン。いそいでひかりテレビの子供番組にチャンネルをあわせ、テレビの前に子供たちを集めてから私はキッチンへ。Mはかかってくる自分の携帯の対応にかかりっきり。Aはそれまでの子供たちへの対応でぐったりと椅子にへたり込んでいる。

 リクエストのあったナス(大きめのもの3本)、ピーマン(6ケ)、烏賊(3杯を下処理して)、タマネギ(大1個)、人参2本(笹がきにして)などを次々と山のように揚げてテーブルに運ぶ。さっそくAがワーッおいしそうと声を挙げ、塩を振りかけ揚げたての熱々を口に運ぶ。まるで私はお座敷天ぷら店の板長さん状態。まあね、喜んでもらえばうれしいけどね。結局、彼女たちは用意したプラスティックの容器にそれぞれの分を詰め込んでニコニコしながら帰っていった、という嵐のようなひとときだった。

 さて、今日だ。遅く起きて朝食をすませPCに向う。You Tubeで「Bill Evans Trio on Jazz 625」を聴きながら(最近はビル・エヴァンスばかり聴いている)先月分の請求書を作成。投函するために郵便局にむかう。近くの公園では今日の4日と明日5日に開催される盆踊りの会場を業者がつくっている最中だった。スピーカーから結構な音量で演歌が流れて(聴いたことのない歌だったが盆踊りには向いている)、私がそれまでひたっていたビル・エヴァンスの知的な静謐さとは対極の世界の広がりだった。

 ポストに投函をすませ、公園を横切るときにそれまでの演歌から曲が切り替わり、とつぜんデル・シャノンの「悲しき街角」が流れだした。おお、なつかしいという思いと同時にこんな大音量でというちょっぴりとした恥ずかしさで思わずその場に佇んでしまった。同世代の人なら誰でも知っているこの曲、英語名はRunawayだ。日本では飯田久彦が歌って大ヒットした。その場で聴き終わってから家に戻ったが、今夜の盆踊りの会場にはこんな曲もかかるのだろうか、チョッピリ知りたい。

 ちなみにウィキペディアには、【デル・シャノン(1934年12月30日~1990年2月8日)は、アメリカ・ミシガン州出身のシンガーソングライター。本名はCharles Weedon Westover。1961年のデビューシングル「悲しき街角」がビルボード1位を獲得するヒット曲となった。1990年2月8日自宅において猟銃自殺。】とあった。

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