夏ってこんなに暑かったっけ?というほど酷暑の日々、できるだけ外出をひかえて夕暮れからの散歩も週2回程度にしている。その折り々の夕景の素晴らしさに最近気がついた。あかね色の残照と、白いマシュマロのような夏雲の塊と、背景の空の色とが混じりあって微妙なグラデーションをつくりだしていて息をのむ美しさだ。
ここ数週間は勝手に夏休みと称して自宅で本を読んだり、録画したビデオを観たり、お気に入りのCDを聴いたりして過ごした。とはいえ、仕事上の用事も避けてはいられず、昨日今日の2日間を久しぶりに車を駆って商用でまわった。市街地から10分も走ればあたり一面、青々とした稲田の光景に変化する。その上の青空に浮かぶのが最近とくに気になっている夏雲の美しさだ。一日のなかでも時刻により様々な姿を見せるその形状は眺めていて飽きがこない。
里山のドライブは気分転換になったようで、爽快な気分にひたっている自分を発見する。午前中に山武市で2件の用事をすませた帰りに、ふと目についた森のなかの鳥居が気になって車を止めてみた。石段をのぼり、小さな鳥居をくぐり本殿でお参りする。境内の説明板には、六所神社本殿とあり、「六所権現といわれた、このやしろの起源は中世にさかのぼるようであり、千葉氏の一族、宍倉胤政が慶長19年(1614)に改築したと伝えられているが、現存する本殿は享保6年(1721)の改築とみられる」と書いてあり、祭神はイザナギノミコトとなっていた。
日頃信仰心なるものを意識もしていないのだが、どういうわけか仕事の途中でも気になる社寺仏閣に足を運ぶことが多い。といって鳥居をくぐる際にときどき「ちい散歩」でちいさんがするように一礼することもなく、礼拝も2礼2拍手1礼を毎回というわけでもない。賽銭も入れたりそうでなかったりと気の向くままなのだが、願い事だけはいつも3つ以上をしっかりとお願いしてしまう。 ここ、日蓮宗「蔵光寺」が隣接しているので神仏習合の名残も感じさせるひっそりとした村の寄り合い所といったところか。
さて、しばらく走ると今度は以前に参拝した布田の薬王寺の看板を見かける。ついでだと思い駐車場に車を止めて境内に向う。じりじりとした日差しと蝉の声が夏真っ盛りを感じさせてくれる。ここは目薬の寺として有名というだけでなく、本殿の欄間の彫刻もかなりの迫力。左甚五郎の弟子14名で彫ったと説明書きがあるがなるほどかなり見応えがある。
昼も過ぎてお腹も減った。早く帰って昼飯にしようと自宅に車を向けるが、ちょうど千葉市と八街市と東金市の三又の中心点に差し掛かったところで、千葉厄除け神社なる看板が目についた。前からちょっと気になっていたところでもあり、ものはついでとばかりにこの神社のかなり広い駐車場に車を止めて本日3つ目の寺社めぐりをスタート。
ものすごい数の神々、聖人、偉人が広い境内に像として点在していて、あらゆる種類の小さな神社がとり揃っている。まるで「どんなお願いごとでもかないます」の大量販売状態。境内には直営のカフェまであってビジネス感の香りぷんぷん。初めて訪れたが、あざとさにチョイびっくりして、ありがたみをまったく感じさせない。おもわず、「神様のテーマパークやぁ~」とつぶやいてしまう。
久しぶりに遅い昼をおゆみ野の蕎麦屋、「侘助」でとる。運ばれてきた蕎麦を一口すするなり、「うまい!」と呟いてしまう。ここの蕎麦は細く、半透明に打ったタイプでよく冷えていて腰もあり、香り旨みともに満足。で、蕎麦のあとはコーヒーが飲みたい。スタバで一服してから家に戻る。夕刻6時、長柄町の顧客のリクエストで商用にむかう。途中、チョッピリ富良野に似ているとかってに思っている牧場の高台から今夜の月を写真にパチリ。
ちなみに昼に食事をした際、レジにあった産経新聞を手にとり蕎麦が運ばれてくるまでに「正論」なるコラムを読んでいたら気になる一文が掲載されていたので以下にコピーします。
≪天皇を最高政治権力者と誤解≫
東日本大震災の被災地や、被災現地を訪問された天皇皇后両陛下について取材した経験から、李大統領の発言は竹島や慰安婦の問題とは次元の異なる、触れてはならない日本人の神聖な部分に触れたような思いがする、解説してほしい、という趣旨であった。