2011年06月

昭和の森自然観察会

 いきなり参加でもOKなので日曜日の今日、昭和の森自然観察会へでかける。テーマは、「池や川の仲間たち」。梅雨の合間の晴れ間ということもあり、昭和の森は家族連れ等でにぎわっていた。観察会は総勢40人ほどはいたのだろうが、参加者の多くは子供連れのファミリーで、1時集合、3時解散という時間帯も都合がいいのか、思ったより参加者が多い。なのでふたつのグループに分けて行動する。

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 下タ田池まで園内の菖蒲園の脇を歩いて行く。ちょうど菖蒲の花盛りでカメラに収める人たちもいた。ここ、源氏蛍の生息地なので夜になるとその美しい姿が見頃だそうだ。ここの蛍を保護しているグループたちによる水田が作ってある。水田といっても実験なので小さなもんだが、一応これでも棚田です、と解説がある。

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 園外に出て少し行くと小さな流れがある。幅2m位だが渡された地図には小中川と明記してある。橋脇の道を下りて橋下で流れのなかを小さな網ですくう。普段だったら絶対に入らないだろう暗い流れなのだが、観察会と銘打った集団だと何でもできる気がする。

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 私が行く川は釣りができる渓流だったり、清流だったりするのでこの川はどう見ても美しいと感じない。が、渡された小さなネットで流のなかをさぐると驚くほどの豊穣な生き物たちの世界が存在していた。もちろん、活躍したのは子供たちだが、捕獲した獲物は、アズマヒキガエル、日本赤ガエル、沢ガニ、ハゼ、よしのぼり、どじょう、ヤゴ、ヘビトンボ、蛇、カワニナ、げんごろうなどなど多数だ。

 ボランティアが主催しているので参加費はない。私も子供のころ、野山を虫や蛇や蛙を相手に遊んだことなど思い出して楽しめた。こんどは図鑑片手にひとりで野山を歩きたい。

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相談?

 中禅寺湖の釣り旅に持っていった本、「奇想の美術館」は結局一ページも開かずに持って帰ってきた。涼やかな木陰で読書というスタイルは、読書の理想的な環境の一つと思っていたので今回はチョイ残念。とはいえ、2日目の夜、湖上に広がる明晰な輝きに充ちた星の数々には心に満ちるものを感じた。キャンプ携行品の星座表と、コンパス、「四季の星座」藤井旭著を持ち出しさっそくチェック。

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 とにかくすぐに目に入るのが北斗七星で、澄んだ山上の空気のなかで陳腐な表現だが手を伸ばせば届きそうだ。その北斗の柄のカーブをそのまま南に延長してたどる「春の大曲線」上に輝くオレンジ色のアルクトゥルスと白色のスピカ。右におとめ座のデネポラを探して線でつなぐと「春の大三角」の出来上がりだ。さらにりょうけん座のコル・カロリを発見できれば、「春のダイヤモンド」が完成する。

 ちかくの星座をチェック。かんむり座、かみのけ座、しし座、うしかい座などが一つ一つ確認できて、このキャンプの夜のお楽しみに私は夢中になり、時の経つのを忘れてしまう。4年前の9月(ブログに書いた)に行った新潟のキャンプ場でも秋の夜空を二晩連続して観察して過ごしたが、普段輝きの乏しいわが家の夜空しかお目にかかれないのでキャンプの夜、晴れていたらチャンスなのだ。

 その夜、テントのなかで熟睡していたら真夜中に携帯電話が鳴った。IKからだった。20年以上前からの知り合いだったがここ5年以上は音信不通だった。以前の携帯が水没してしまい私と連絡が取れなくなってしまったという。たしかに私はショップを閉め、会社を解散し、住居も変更した。お互いに共通の知り合いもいたが、疎遠にしているのでついそそままになっていたのだ。懐かしさもあって少し話をしたが、湖畔のテントのなかで詳しくは聞けない。で、帰ったらゆっくりと話をしようということで電話を切った。

 昨夜IKから電話があり、待ち合わせて一緒に彼女の知ってる居酒屋で近状も含めて2時間ほど話を聞く。決めかねることがあってその判断に迷っているらしい。私なりの考えを示しはしたが、最終判断を下すのは彼女自身だ。5年の空白はそれぞれの人生の環境を変え、気持ちも変える。今となればそのころ感じていた熱気も完全に霧散して、私は訊き手役としてのみに徹しよう、そう思った。

早朝パドリング

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 昨夜、やまぬ雨脚に早々テントに潜り込んで寝てしまったせいで今朝は早起きする。6時、空は晴れている。愛艇アルフェックを湖に向けてそろり漕ぎだす。菖蒲ヶ浜から松ヶ崎まに向かってなかほど、禁漁ブイを超える。パドルが水を跳ねる音だけが聞こえる水明な静寂が広がっている。中禅寺湖を独り占めした気分だ。

 上野島、八丁出島を過ぎると一昨日のイタリア大使館別荘が朝もやを透かして見えてきた。岸辺にフライフィッシャーが二人立ち込んでキャスティングを繰り返している。こんな早くからご苦労様です、とつぶやく。私とて同様だが自然のなかにひとり身を置き、好きなことにうつつを抜かす時間の過ごし方がえもいわれぬ幸福感をもたらしてくれる。心から楽しいと思えるのだ。

 湖のカヤックで充足した2時間を過ごしサイトに戻る。エピのガスストーブを点火して朝食の支度を始める。コッフェルのフタをフライパンの代わりにする。ガーリックバターを溶かし、スライスしたベーコンを炒める。卵2個を落とし、あらびきした塩と黒胡椒を振りかける。パンは昨日買った「明治の館」のスコーン。コーヒーを沸かせばできあがりだ。さっき湖の上でお腹がぐうぐう鳴っていたのだ。さっそく、口に運ぶ。息止まるほど美味しい。

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 食後、4日間過ごしたサイト撤収。来た時と同じようにリヤカーで荷物を車まで運びチェックアウトして湯川に向かう。赤沼茶屋で車を止めて日釣り券を一応購入してから釣り支度。ロッド片手にぶらぶら青木橋まで散策。数人のフライフィッシャーが岸辺に立ち、清涼な孤独をそれぞれ楽しんでいる。私の赤沼茶屋から青木橋までの木道散策も数年ぶりだ。あの宮沢りえのサンタフェも最初の発見から15年以上経ているのにかわりなく健在ぶりを示していてうれしい(右下)。

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 陽が上がってきた。カラリとした陽炎が森のなかからメラメラと立ち昇り、カゲロウが川面に浮上し、春ゼミが声をかぎりと鳴き競う。青木橋のベンチに腰下ろして、あんパンと飲み物の遅い昼食をとる。私のチェストハイはゴアテックス製ではないので、なかが汗でびっしょりだ。小田代原の貴婦人にも会いたかったが、今日は少々疲れを感じている。再会はパスして、先日の泉門池からUターンして赤沼茶屋に戻り、釣り支度を解く。早く風呂に入りたい一心で中禅寺金谷ホテルの空ぶろに車を向ける。日帰り入浴料に同じ1000円出すならやはりここがお勧め。定番の湯上りのマッサージマシーンで、軽い疲労の筋肉の数々をほぐしてからゆっくりと帰路についた。

大谷川管理釣り場

 キャンプ3日目。午前中はイタリア大使館記念公園に行く。ガイド本には昭和3年、イタリア大使館の別荘としてアントニオン・レーモンドの設計により建てられた、とあるが杉の木の皮を使った内装や歴史を感じさせるインテリアなどが落ち着いた雰囲気を醸し出していて、しかも湖にむけた開放的な全面窓ガラスからの眺めが、あたかも湖面と樹木の緑に包まれたかのような一体感を味わえる。客のほとんどは広縁に置かれたソファに腰掛け、そんな悠久を感じる時の流れを楽しんでいるかのようだ。

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 別荘前の桟橋に出てみる。ここにもフライフィッシャーの数人が岸に立ち込んでいた。この時期、湖岸に寄ってくるワカサギの幼魚を狙って回遊してくるマスを釣りあげようと必死にキャスティングを繰り返していた。園内には副邸の「国際避暑地歴史館」なるものもあり、展示物をみると当時の外交官たちの避暑の様子をうかがい知ることができる。

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 10年以上前にこの先の阿世潟に車で行ったことがあった。そのころは森の中の細い山道をマイカーで通ることができたのだ。その細い道を正面から来たレンジローバーとすれ違うことになった。ムリかな、と思った時レンジローバーが右の車輪を路肩に乗り上げて(車輪は車体の中にまるで仕舞ったように)なにごともなく私の車とすれ違った。さすがRVのロールスロイスと呼ばれることがあると感心したことを思い出した。

 昼を湖岸の蕎麦屋、「新月」で。食後、店主に教えてもらった鳥居の脇の巫女地蔵をデジに収める(上右写真)。説明板にはこうあった。【日光市指定文化財。男体山は神聖な山として信仰されてきたため、女性は深沢まで、馬は馬返しまでしか登ることができませんでした。この山の二荒山神社の巫女が「自分は神に仕えるものであるから神罰は下らないであろう」と考え、男児に身を変えて湖畔のこの大尻(この場所)まで来た所、女性であることが露見し神罰により石に変えられてしまったという伝説の石です】

 そういえば、カメラ片手の人が多い。湖のボート乗り場の前で、ベンチのオジサン3人組が撮った写真のチェックに余念がない様子(スワンもいれてパチリと後ろから)。

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 いろは坂を下り、大谷川をチェックする。漁協のHPに本日200kgのヤマメ、ニジマスなどの放流がありと掲載されていたので放流日の状況とはどんなもんかいな、と思った次第。日光市総合会館裏から大日橋までの間だったが向河原橋に着いてみるといるわいるわ、橋の上下で30人ほどの餌師の皆さんが竿を川に向けてマスを捕獲せんかとお楽しみの真っ最中。なかには年季の入ったオジサン餌師に交じってひとり、ルアーを懸命に放り込んでいる若者もいたがチョイ場違いな気もした。

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 橋の向こうから魚籠一杯に釣り上げたヤマメをこれみよがしにぶらさげてオジサンが歩いてくる。「たくさん釣れましたねぇ」と声をかけると、うれしそうに今日は放流日だからね、とニコニコ顔で答えてくれた。まっ、確かに魚屋さんでお金出して買うよりは楽しいですからね。(日釣り券1,400円、シーズン券5,900円)とはいえ、こうなると釣りというゲーム性よりも漁に近い感じもする。払ったお金の元はとりたい、ということなんだろう。川全体が巨大な管理釣り場に見えてきた.。

 右上の写真は少し上流の含願淵にあるお地蔵さんで、無住職の慈雲寺にお参りする行きと帰りではお地蔵様の数が何度数えても合わなくなるので化け地蔵とよばれているらしい。川をはさんだ田母沢御用邸すぐ下のポイントには大型魚やブランなども釣れるそうだが、やはり釣り師多数だった。ポツリポツリと雨が降ってきた。車を東照宮裏のレストラン、「明治の館」へ向ける。明治期、蓄音機を日本に初めて紹介したアメリカの貿易商F.W.ホーンの別荘として建造されたこの館は庭も素敵で、雨に濡れた花々(トキワナズナ)が見事。館内の雰囲気も素晴らしいが、コーヒーフロート一杯で735円はチョイ高めか。バブリーな家族連れか、カップルのデート向き。

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 雷雨止まず、キャンプサイトに戻る。タープへ打ちつける篠つく雨音はまるでアートブレイキーのドラムソロだ。場内、テント客は私一人だけ。遠くの炊事棟では学校行事の中学生たち(バンガロー泊で100人以上はいただろうか)が夕飯の支度にとりかかっていたが、落雷の轟音に反応するキャアーキャアーと賑やかな声はまるでコルトレーンのサックスのように聞こえる(ムリか?)。

 雨の轟音をジャズのBGMにしてしまう。私はお腹も減ったのでタープの下で火を起こし、コッヘルに湯を沸かしソーメンを茹でる。つゆはキッコーマンの本つゆ。2把茹でたのだが、あまりの美味しさにさらに2把追加して計4把で腹満ちる。満足だ。

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ブルーシャトー

 本日の予定は千手ヶ原のはずれにある小さな西の湖へカヤックとウォーキングでショートトリップ。天気上々で絶好のハイキング日和。10時にテントサイトの前から湖面に向けてそろりと愛艇を漕ぎだす。ゆっくりとパドルを漕いでまずは正面の白岩へ。ちょうど湖を横断する格好になるが、白岩が近くなると背景の森から春ゼミの鳴き声がまるでシャワーのように降り、気分は一気に盛り上がる。湖面から岸辺のウオッチングを楽しみながらのパドリングで一時間、千手ヶ浜に上陸。

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 さすがに土曜日の行楽日和だけあって、ハイカーやら学校行事の中学生の団体やらで賑わっている。ここ、マイカー規制のため私のような湖から直接という場合を除き、一般の交通手段としては大崎からの遊覧船か、徒歩か、無公害バスに乗るかしかほかに手がない。私は愛艇を少し離れた岸に置き、西ノ湖までの一時間の(森の逍遥とも呼べる)ハイキングをスタートする。

 大正14年に中禅寺湖を含むこのあたり一帯は、東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部が釣り場として管理していたところ。当時の建物の痕跡はないが、見事に保存された自然が多くの人々の英知と努力で正しく残されている。福田和美の著書、「日光鱒釣紳士物語」には、【この頃から太平洋戦争までの十数年間は、英国大使館付き武官フランシス・ピゴットが残した、「夏場は外務省が日光に移る」の言葉どおり、アングリング倶楽部とともに黄金時代を迎えるのである】とある。

 輝く季節の森の素晴らしい恩恵をあまねく享受しようと私は深呼吸を繰り返す。あたかも胸の底の澱のようなものが少しずつ、清涼にして頑強な煌めきに入れ替わりますようにと願いながら。思うに、自分の子供が中学生になったら一緒にここへ来るといい。そしてたくさん話を聞いてやるといい。きっと一生の思い出として胸の中に残ることだろう。私の息子は30歳だが、近いうちにここを一緒に歩きたい、と思った。

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 森の中を流れる柳沢川にかかる橋を渡ると、樹の間から西ノ湖が見えてくる。絵具をとかしたような色をしている。おもわずブルーコメッツの、「ブルーシャトー」が浮かんでしまう(古ッ)。楡の木陰に腰を下ろし、ブランデーパンとエネルギードリンク、飲み物で昼にした。湖には5、6組のハイカーがいたが一様に絵葉書のような湖面を見つめて、この静寂を楽しんでいる。

 さて千手ヶ浜に戻ると風が出てきていて、湖面には小さな三角波が立っている。岸には後から着いたのか同じアルフェックのカップルがいたが、意を決したように声を出し気勢をあげて沖に漕ぎだしていった。午後1時半、私もサイトに戻るため漕ぎだすことにする。向かい風なので少々腕力が必要だ。目の前10mで大きな鱒がジャンプする。50cm以上はある大物だ。中禅寺湖は半分が禁漁区でそのせいなのか神秘の魔物も潜んでいるのだ。

 大汗かいてサイトに戻るが、体中がべとついている。中禅寺金谷ホテルの、「空ぶろ」へ急いで行く。リニューアルしたばかりで快適。ホテルフロントの対応もいい。風呂から出て、渡り廊下ロビーの無料マッサージ機がまたいい。こわばった肩のコリをじっくりとほぐしてくれる。となると、湯あがりにおいしいコーヒーが飲みたい。下にあるホテル直営の、「コーヒーユーコン」へ行く。店内の壁には湖で捕獲した大物鱒のはく製がずらり。デジに収める(下)。お腹が減っていたのでここの100年カレーなるものを食べたが、牛脂の香ばしい香りと玉ねぎの甘味だろうか、とてもおいしい。カレーとコーヒーで2100円だが納得。

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中禅寺湖キャンプ&カヤック旅

 週間天気予報によると晴れそうだ。昨日、Mが来てカラオケに行こうと誘われる。途中でAも参加したが、歌っている途中で決めた。明日、キャンプに行こう。そして中禅寺湖で久しぶりにカヤックを楽しもうと。「書を捨てよ、フィールドに出よう」となにかの雑誌に出ていた。書は捨てないが、カラオケは捨てても構わないぞ。

 で、今日の午前10時に大宮ICから一路東北自動車道で日光を目指す。日光宇都宮道路の日光IC降りてすぐの蕎麦屋、「むつみ庵」で野州地鶏旨汁そばのセットを注文。(下写真)店内の地図によると日光、今市、藤原、栗山のエリア別に手打ち蕎麦屋が計106店掲載されている。蕎麦屋の多いエリアなのだ。

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 明日からの朝食用にと思い、金谷ホテル下のベーカリーで店員さんのお勧めに従いパンを数個購入する。右下の写真は世界遺産の神橋。説明文にこうある。【聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、昔は「」「山菅の蛇橋」などと呼ばれ日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され、平成11年12月に世界遺産に登録されました。橋の長さは28メートル、巾7.4メートル、高さ(水面より)10.6メートルあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が飾られ(乳の木)と橋板の裏は黒漆塗で、その他は朱に塗られています。奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとなりました。昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎行に際し、昭和48年よりその奉賛を目的として、広く一般に公開され、平成9年より今回の大修理が行われました。 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられています。】

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 東照宮にも寄らず、いろは坂を登る。今回3泊4日の宿は中禅寺湖畔の菖蒲ヶ浜キャンプ場だ。受付で三泊分の料金3000円を払って湖畔の申し分のないロケーションにテントサイトに決める。広く、快適だが客も私の他には3組程度で、それぞれこじんまりとしたテントサイトで、まことに好ましい。テントサイトを立ち上げ、積んできた愛艇(フォールディング・カヤック、アルフェック430T)を組み立てる。夕方5時を過ぎていたが中禅寺湖の湖面は明るく、先ほどまでの風も収まり凪いでいる。サイト横の湖岸からそっと艇を漕ぎだす。

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 湖面は船も人影もなく静寂に覆われている。中禅寺湖は標高1269メートルに位置する周囲約25キロの堰き止め湖で、明治中期から昭和初期にかけて欧米各国の大使館が湖畔沿いに建設され、外交官たちが避暑に訪れるリゾート地としても有名だったところ。ヨットやウォーターポロ、フライフィッシングなどに興じる外国人の姿を撮ったモノクロの8ミリフィルムを観たことがあるが、時代は変わり湖上にも湖周辺にも当時の面影を残すものはなにもない。

 久しぶりのパドリングも快適で、菖蒲ヶ浜から西を目指す。陸路からでは入りずらい栃窪という小さな浜の前に着く。湖面から手つかずの自然を感じる美しい岸辺の奥に鹿の姿を発見。見つめていると、キャーンと甲高く一声鳴いて警戒の合図を仲間へ送る。呼応するかのように数頭の応答がある。私は、「心配するなよ、上陸しないから」とつぶやいて艇をUターンさせ、キャンプサイトに戻る。

 日が暮れてきた。湯元温泉の日帰り入浴に行って、風呂を浴びて帰り、夕食はテントの下で作ったレトルトのカレーライスと金谷ベーカリーのジャムパン。このジャムパン、店員さんのイチオシのパンで美味しいのでぜひどうぞと勧められた。私とテイストが同じならきっと気に入りますと言っていたが、なるほどチョット美味しい(笑)。9時に消灯。
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