2008年04月

スペアリブ

 根津神社のツツジが見頃だとニュースで知って出かけるつもりでいたが、あいにくと雨が降っている。なので、午前中は本を読んで過ごし、昼になってから千葉公園近くのラーメン屋で野菜ソバと餃子を食べる。テレビの番組でタレントがおいしそうに餃子を食べるのを観たせいかもしれない。都賀駅近くの餃子の大将に行くが閉店をしていたので、千葉公園近くでそれを済ませる。晴れてきたので、食後目の前の千葉公園を散歩。

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 つい先日まで桜が満開だったのに、公園内の花はあっという間にツツジ、藤の花などに様変わりしていて季節が変わったことを知らされる。園内の牡丹、石楠花も満開で木々の枝には新緑の淡い緑が陽射しに柔らかな影をつくっている。中央図書館へ行く。3時間以上をそこで過ごして家に帰る。

 さて、夕食の支度だ。メニューをソーメン、蛸の刺身とスペアリブにする。①スペアリブ(200g)は熱湯に入れてひと煮して水にとり、余分な脂を落す。②鍋にスペアリブ、米酢カップ1、水カップ1、醤油大さじ1、ハチミツ50gを入れて強火にかける。③アクをとりながら16分煮る。④スペアリブだけとり出して、残った煮汁を強火で煮詰める。⑤3分ほど煮詰めて煮汁がとろりとしたら、鍋にスペアリブを戻して削りガツオを細かくもんで加える。

 おいしい。出来上がりに満足。一昨日も鶏でスペアリブをつくったが、このときのタレは次の通り。にんにく、ショウガ、醤油、ハチミツ、砂糖、味噌、すり胡麻、胡麻油、一味唐辛子でタレをつくり30分以上漬け込む。アミにのせて焼く。これも美味しい。私は料理は嫌いではない。

ジョーク

 会社から家に戻るが、天気がいいので洗濯をする。借りていた本を図書館へ返却に行く。返す刀で「兄 小林秀雄」(上下)高見澤潤子著、「五感で楽しむおいしい旅」金久保茂樹著、雑誌「散歩の達人」の4冊を借りる。昼を蕎麦屋「うぶすな」ですませて家に帰る。

 蛇足ながら、「世界の中の日本人ジョーク集」早坂隆著、の中から笑えるジョークを二つご紹介。
 【こんな場合、各国の人々はいったいどうするだろうか?】

 ①会社からいつもより少し早く帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。アメリカ人は、男を射殺した。ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。日本人?彼は正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。

 ②あるとき、大型客船が沈没し、それぞれ男二人と女一人という組み合わせで、各国の人々が無人島へ流れ着いた。それから、その島ではいったい何が起っただろうか?
イタリア人:男二人が女をめぐって争い続けた。
ドイツ人:女は男の1人と結婚し、もう1人の男が戸籍係を務めた。
フランス人:女は男の1人と結婚し、もう1人の男と浮気した。
アメリカ人:女は男の1人と結婚して子どもも生まれたが、その後に離婚し、親権を争うためにもう1人の男に弁護士役を頼んだ。
オランダ人:男二人はゲイであり、結婚してしまった。女は無視された。
日本人:男二人は、女をどう扱ったらよいか、トウキョウの本社に携帯電話で聞いた。
ブラジル人:三人で楽しそうにカーニバルを始め、飽きることなく踊り続けた。
ロシア人:女は愛していないほうの男と結婚し、三人で果てしなく嘆き悲しんだ。

死刑

  昨日いつものように昼前に家に戻るが、チョイ用事ができて鎌取まで出かける。用事を済ませて家に戻る途中でみちくさ。蘇我の「アリオ」で本を買う。「美を生きる」千住博著、「魅せられた身体」小沼純一著、「サムライ、バリに殉ず」板野徳隆著、「一葉からはじめる東京町歩き」坂崎重盛著、「男を虜にする料理」杉本彩著などの5点。早めの夕食をショッピングセンター内の寿司屋で。買ったばかりの本をペラペラみながら、カウンターで寿司をつまむ。

 食後、映画を観ようと<XYZシネマ>でプログラムを見ると、ダイアン・レイン主演の映画、「ブラックサイト」が9時40分からレイトショーとある。これに決めてそれまでの時間を<スパ・ビューナ>で過ごす。いつものように、サウナ、岩盤浴でじっくりと汗を流す。平日の夜というせいか館内は空いていて快適。

 さて、映画のほうはコンピューター犯罪に立ち向かうFBIの女性サイバー捜査官の物語。犯人が殺人をサイトで中継し、そのアクセス数で死亡時間が早まるというしかけ。母親と幼い娘との3人の幸せな生活と、犯人のオタクな陰湿さとを際立たせながら、近い将来起こり得るだろうこのようなコンピューター犯罪を想像させる。ストーリーは定番ながら、ダイアン・レイン(43歳)のノーメイクな顔に刻まれたシワまでもが美しくて、彼女のフアンなら充分楽しめる。私は、彼女の「ストリート・オブ・ファイヤー」や、「運命の女」、「トスカーナの休日」なども好きです。

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 ところで、生徒たちが飼っていたウサギが校庭で殺されたり、チューリップが何者かに抜かれてしまったりという事件もこのところ目に付く。いままでの理解を超えた犯罪も増加傾向のようで、社会の変質が怖い。山口母子殺害差し戻し判決は、さきほど死刑ということに決まったそうだが、当然の判断だと思う。ふつう、人を殺したら死刑でしょうが。

2006年メモ

2006年メモ

1/1初詣(稲毛の浅間神社)
1/2新年会(町田の弟の家で)
1/3房総ドライブ(笠森観音)N
1/13千葉県立美術館(朝井忠とバルビゾン派の作品展)
2/5「美術商の百年」(新橋の東京美術倶楽部)‐「写真展・岡本太郎の視線」(東京都写真美術館)
2/7「暮らしを彩る器展」(東京ドーム)
2/11「美術商の百年」(再鑑賞)‐「ノーマン・ブラウン&ピーボ・ブライソン」(ブルーノート東京)N
2/19房総ドライブ(九十九里のカフェ「KUSA」-船上食事処「いさりび食堂」)N
2/25-26八ヶ岳ドライブ(ブログ2008年4月17日に転載)
3/4「ニューヨーク・バーグ・コレクション展」(東京都美術館)-東京国立博物館‐神田古書店めぐり
3/11‐12フライフィッシング(那須の那珂川‐黒磯のSHOZO CAFE-渡邊ファームで栃木和牛ステーキディナー)N
3/18-19フライフィッシング(八ヶ岳イングリッシュガントリーイン「OLD AGE」泊‐大門川)
4/1「ロダンとカリエール展」(国立西洋美術館)-「三遊亭金馬げい暦周年記念特別興行」(鈴本演芸場)
4/4お花見(青葉の森)
4/18フライフィッシング(フィッシュオン鹿留)
4/19「生誕120年記念・藤田嗣治展」(国立近代美術館)
4/29-30フライフィッシング(フィッシュオン鹿留)
5/2「向田邦子展」(銀座松屋デパート)
5/3-7フライフィッシング&キャンプ(那須ラビット・オート・キャンプ場‐芦野宿「丁子屋」-「那須歴史探訪館」-遊行柳‐黒磯「カフェ・グランボア」)
5/14山菜狩(八ヶ岳清里)
5/19シャネルのレストラン「BEIGE TOKYO」でディナー K
5/20「第8回国際バラとガーデニングショー」(インボイスSEIBUドーム)
5/21房総ドライブ(久留里城‐村のピザ屋‐亀山ホテルの立ち寄り湯)
6/11「ジャズ・エリート2006」ジャネット・サイデル、ヘレン・メリル(五反田ユーポート簡易保険ホール)
6/14「ジャクリーン・オナシスの報道写真展」(代々木「スュール・シュール」)‐「骨董誕生」(松涛美術館)
6/16「INTERIOR LIFE STYLE展」(東京ビッグサイト)
6/24-28ハワイ(プリンセス・カイウラニ・ホテル泊)
7/7-26中欧出張旅行(去年のこのブログ10月12日から16日までに転載)<7/7オーストリア・ウイーン‐ベルヴェデーレ宮殿、7/8ナッシュマルクト蚤の市‐フィガロハウス‐シュテハン寺院‐王宮‐美術史博物館‐オペラ座コンサート、7/9ヴァッハウ渓谷‐メルク修道院‐ドナウ川クルーズ、7/10レオポルト・ミュージアム‐シェーンブルン宮殿‐フロイト記念館、7/11クリムト「接吻」-チェコのプラハへ移動‐カレル橋‐プラハ城‐ビアホール「ウ・カリハ」、7/12プラハ城‐カフカミュージアム‐ビアホール「ウ・フクレー」、7/13プラハ国立美術館‐市民会館スメタナ博物館、7/14ハンガリーのブダペストへ移動‐英雄広場の西洋美術館、7/15郊外の農場視察‐取引先工場へ‐ゲッレールトの丘、7/16ポーランドのワルシャワへ移動‐提携農場&工場視察‐ワルシャワ旧市街地、7/17ポーランドのポズナンへ移動‐中央市場‐ユダヤ教会‐ヴァヴェル城‐シンドラーの会社、7/19アウシュビッツ見学、7/20レオナルド・ダ・ビンチ「白貂を抱く貴婦人」-ブダペストへ移動‐ドナウ川観光船、7/21王宮‐マーチャシュ教会、7/22エキュリ蚤の市‐セーチェニ温泉‐レストラン「ロビンソン」、7/23工芸美術館‐レストラン「カルハティア」-フォークロアダンス‐クサリ橋、7/24ウイーン空港で足止め、7/25ウイーン発ミュンヘン経由で成田空港へ、7/26帰国>
8/14映画「紙屋悦子の青春」(神保町の岩波ホール)‐靖国神社(このブログの2008年2月10日に転載)
9/2房総ドライブ(袖ヶ浦のカフェ「ローッズヒップ」-木更津「MOKUYOUSYA」-君津「カントリーガーデン」-ガーデンカフェ「ジヴェルニー」-酵素風呂の「悠々庵」-ビアホールテラス「かなや」-木更津「B」)
9/9「ジョイス」(ブルーノート東京)-「木住野佳子」(ボディ&ソウル)-六本木「ケントス」-ジャズハウス「アルフィー」)N
9/17-18フライフィッシング(八ヶ岳大門川‐ロイヤルホテル泊‐きのこ狩り)
9/24房総ドライブ(美術館「as it is」-大多喜ハーブ園)N
10/20「大エルミタージュ美術館展」(東京都美術館)
10/21「ジャンボ・フリマIN幕張メッセ」
10/30-31山形市出張(蕎麦屋「あらきや」‐立石寺)
11/3‐5京都・大阪(大徳寺‐龍安寺‐大阪ジャズハウス「ロイヤルホース」‐もぎとりセール‐祇園「安参」-ライブスポット「RAG」-大阪堀江町‐大阪市立近代美術館「ニッポンVS美術展」)ブログに転載
11/8-13ニューヨーク(このブログに転載)
11/17-18フライフィッシング(フィッシュオン鹿留)
11/23房総ドライブ(九十九里のカフェ「KUSA」-ミュージアム「as it is」)
12/1-4沖縄旅行(石垣島‐西表島)ブログに転載
12/24息子と買い物

海岸美術館

 朝風呂と呟きつつ、食事前にひと風呂浴びる。浴槽の縁にもたれかかって、朝の陽光に照らされた海をボーっと眺める。つかりすぎて、のぼせる前に湯から出て、バスローブを羽織ってデッキチェアに身体を横たえる。ほてりが収まればまた湯につかる。これを数回くり返してから、ちょうど部屋に運ばれてきた朝食にとりかかる。

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 ご飯美味しい。お替りしてしまう。で、チェックアウトをすませてから一路鴨川を目指す。途中、白浜の野島崎灯台を眼にしたので立ち寄ってみる。身体にいい、マイナスイオンを満喫する。灯台のHPでは以下のように説明している。

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 <この灯台は、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つです。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。これらが順次建設され、 観音崎灯台に続いて、日本で2番目、1870年(明治3)1月22日<旧暦では明治2年12月18日>に初点灯しました。

 このように、野島崎は東京湾に出入りする船舶に とっては、昔からの重要ポイントだったのです。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形のレンガ造灯台でした。基礎から灯火までが30mの高さで、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6、500カンデラだったそうです。しかしながら、関東大震災で、地上6mの所で折れて、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の白色塔形(八角形)コンクリート造 りの灯台は、その後1925年(大正14)8月15日に、再建されたものですが、1945年(昭和20)太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受け、1946年(昭和21)11月12日に完全復旧したものです。尚、野島埼とあるは昔の書き方で、1962年(昭和37)に埼を崎と改め、サキをザキと呼ぶようになったそうですが、灯台の方は以前の呼び方のままです>

灯台に隣接した神社には、こんな木彫りのモノもある。
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 右のアートな石像と左の土俗的なるモノと並べてしまうのもミスマッチだが、思わぬところに思わぬものがあるという現象をご報告。さて、俗なる後は千倉の<海岸美術館>へと向かう。過去に幾度となく訪れているが、静かな山間にあって気持ちが落ち着くところ。入口でもらうパンフには、<駆け抜けてきた。1966年東京。ビートルズの撮影から70年代アール・ホップの旗手として、浅井慎平は時代を風のように駆け抜けてきた。風。彼が風なら、その作品もまた風。コレクションの一点一点からいい風が吹いてくる。

 『海岸美術館』は浅井慎平の40年間にわたる作品を納めた美術館です。海と、森と、空と、花と。浅井慎平が“SOUTH IHATOVO”と呼ぶ美しい千倉の感性あふれる美術館。ここでは風景までもが、幾つもの作品を成しています。どうぞ、やすらぎときらめきの時を、お楽しみください。>とある。

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 上の写真は、<Gold Coast Australia 1981>と題した浅井慎平の作品。現代的で伸びやかな感性を感じる。作品を鑑賞してから、裏庭に回ってみる。訪れる季節ごとに景観が変化をして、飽きさせない。この庭のベンチに腰掛けて、いつかゆっくりと本を読みたい。

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湯につかり、仰ぐ星空

 久しぶりに房総の海をみたくてドライブに出かけた。館山自動車道のほとんどが開通をしてとても便利になった気がする。私は道路特定財源の一般財源化には賛成だが、必要な道路が出来ることには反対はしない。だって、そのために税金を払っているのだものネ。もっともそのつかい方には注文があるが、ここには書かない。

 松ヶ丘のICから富浦・館山ICまで一時間とかからない。そのまま国道127号線を進む。海上自衛隊館山航空基地を過ぎたあたりの左手の小高い山の上に、目指すホテル<森羅>がある。元は保険会社の保養所だったここを、全面リニューアルしてエスニックなリゾートホテルにチェンジしたのが2年前。<プライベートホテル&スパレストラン>と打ち出しているあたり、房総にはめずらしいタイプのホテル。

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 チェックインする。全面ガラス張りのカウンターで、ウエルカムドリンクを供される。目の前に館山湾の全景が広がっている絶景のロケーションに、気分は一気に非日常の旅行モードに突入してしまう。部屋はカップル向きのデザイナーズホテルといった趣だが、開放的なベランダに設えてあるプライベートバスが適温42度の湯をたたえてゲストを迎えてくれる。

 さっそく服を脱ぎ、プライベートバスにつかる。前方には館山湾にうかぶ小さな沖ノ島が、フランスのモンサンミッシェル城の佇まいにも似て、思わず微笑んでしまう。地元の出身というホテルの制服を着た係りの若い女性は、私の問いに答えて、沖ノ島に続く細い道は満潮になったからといって海水に埋没することなくそのまま渡ることができます、と教えてくれる。

 夜、湯につかりながら空を見上げると、北斗七星が眼に飛び込んでくる。私の住んでいる市内では星座を眼にすることも叶わないが、さすがにここまでくれば遮るものもない海を前面にしての星空が広がっている。

ジャンヌに会いに

 昼を渋谷神山町の蕎麦屋「清山」か、麻布十番の「松玄」のどちらにしようとチョイ迷ったが、新国立美術館で開催中の「モジリアーニ展」にも行ってみたかったので、結局「松玄」の蕎麦に行こうと決めて出かけた。小雨がパラつく生憎の天気で、さしもの麻布十番の街中に人影はまばらだ。が、「松玄」の店内には美味しい蕎麦に舌つつみを打つ客たちのオーラが充ちている。

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 食べ終わり、店の外に出ると雨も止んでいる。これなら新国立美術館までぶらぶら歩いていこうと思い、仙台坂に向かう。途中、善福寺に寄り道。都内では、浅草寺についで古い寺院で、門前の両側には子院が並び、かっての隆盛を感じさせる。境内にはハリスの碑や、福沢諭吉の墓や越路吹雪の墓もある。上の写真左は、境内にある国の天然記念物の逆さ銀杏の木越しに眺めた元麻布ヒルズの建物。開祖、弘法大師の立像が左に見える。右の写真は<麻布七不思議>のひとつ、一本松のある長傳寺からみた元麻布ヒルズ。

 さて、麻布十番商店街をぶらぶらと歩いていく。たい焼きの買い食いと思ったが、行列をしているようなのでパス。つい最近のニュースで知ったなつかしの<麻布十番温泉>は、すでに廃業の張り紙が貼ってある。レトロな雰囲気を味わえる穴場だったのに残念。もう、ここでひとっ風呂浴びるわけに行かなくなってしまった。黒豚カレー南蛮うどんの美味しい「黒澤」をチラ見してそのまま六本木ヒルズのケヤキ坂へ。

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 上の写真は六本木ヒルズにある毛利庭園。江戸時代の大名屋敷跡に造られている。テレビ朝日の朝のお天気ニュースはここからの中継が多い。こころなしか、ヒルズの中のテナントの空きが目立つ。肌寒い日曜日とはいえ、客もまばらでオープン当初の喧騒がまるでウソのように感じてしまう。これだもの、商売は難しい。

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 さて、モジリアーニである。ジャンヌである。この二人、去年の渋谷文化村で開催された<モジリアーニと妻ジャンヌの物語展>ではこう紹介されている。

 <舞台は、第一次大戦後、世界各国から若き芸術家たちが集い、華やかな芸術文化が開花した20世紀初頭のパリ。モンパルナス界隈のカフェには、ロシアからシャガール、ポーランドからキスリング、リトアニアからスーチン、日本からはフジタ...とエコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれる新鋭芸術家たちが集まりました。そのなかで、イタリア出身で優雅な曲線と哀愁を帯びたうつろな瞳の肖像画で知られるアメデオ・モディリアーニ(1884.7.12~1920.1.24)は、32歳の時に、18歳の美しい画学生ジャンヌ・エビュテルヌ(1898.4.6~1920.1.26)と出会います。それからほどなくしてふたりは生活を共にしますが、酒と麻薬におぼれ病魔に冒されたモディリアーニは、35歳で早逝してしまいます。彼の死の2日後、ジャンヌは8ヶ月になる二人目の子を宿したまま、後を追ってアパルトマンの窓から身を投げ、出会いから僅か3年で二人の愛と人生は儚く消えていきました。>

 このあたりの物語は、映画「モンパルナスの灯」にくわしい。今回の展覧会でも独自の様式を確立した肖像画が数多く出展されている。ジャンヌも数点あるが、私の中に鮮烈な記憶として残っているのが数年前にロンドンのコートールド美術館で見たモジリアーニの<すわる女>だ。モデルは、ジャンヌ。

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 この絵の実物を目の前にすると、なんと表現していいのか、とにかくジャンヌに対するモジリアーニの愛を強く感じる。まるで生きているような美しさを感じる。ぜひ、ロンドンに行かれたらこの絵の前でしばらく佇んでください。愛について、眼からうろこが一枚剥がれたような気がして、感動に打ち震える体験を味わうことができます。なので、私は今回の展覧会へはジャンヌに会いに来たといってもいいのだが、<すわる女>を超える感動にはめぐり合わなかった。

 蛇足ですが、そのときコートールド美術館のショップで求めたこの絵の複製をロンドンヤマトに持ち込んだ。が、窓口の日本人スタッフは陰毛の描かれている絵は、たとえそれがモジリアーニであってもイギリスの検閲ではねられてしまうので日本へは送れませんと云う。過去にいくつもの事例があって、イギリス人の融通が利かないことに当惑状態だった。しかたなく、私はこの30cm×20cmの複製画をスーツケースに入れて運んだが、日本で売っている美術書にはおなじ絵がちゃんと載っているのだ。なんかヘン。

 美術館を出ると、夜になっていた。ミッドタウンを抜けて六本木通りを溜池方面へ歩いて行く。私が高校生だったころ、この辺にあった店といえば角のイタリアンレストランの<シシリア>、となりの<ごとう花屋>、向かいの<俳優座>、少しいったところにあった今はなき<ハンバーガー・イン>くらいで、閑散としたものだった。歩きながらチョイ回顧気分を味わう。

 溜池のイタリアンレストラン、<キャンティ>でお茶して帰る。このレストラン、数多の芸能人や文化人に昔から愛されたお店。野地秩嘉著<キャンティ物語>には、この店を贔屓にした芸能人の名前が挙げられる。<三島由紀夫、黒澤明、岡本太郎、篠山紀信、加賀まりこ、安井かずみ、松任谷由実、森瑤子、かまやつひろし、林真理子など>

千葉公園で花見

 日曜日の今日、向かいのコンビニでオニギリと飲み物を買い、中央図書館へ借りていたDVDとCDを返却に行く。図書館の裏が千葉公園なので、満開の桜の木の下で昼にしようと思ったのだ。気持ちのいい陽気のなか、公園内はほどほどの混み様で、桜の花びらもチラホラ舞い落ちている。思い思いのスタイルで皆さん花見を楽しんでいる様子。枝垂れ桜の花の色がソメイヨシノの淡い桜色に混じって程よいグラデーションを作り出している。

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 空いているベンチに腰をかけてゆっくりと昼にする。食べ終わり、公園を一周する。公園内の池は、まだ息子が小学生だった頃にときどき釣りに来ていたところ。会社の昼休みに私が様子を見にくると、パン屑をエサにバケツいっぱいの鮒を釣り上げて自慢そうに見せたものだった。なつかしい。そうだ、気候も暖かくなったことだし近いうちに息子を誘ってまた釣りにでも行こうかな、と思った。

 図書館へ戻り、日本の名随筆「下町」沢村貞子編、「成り行きにまかせて」日本文芸化協会編、雑誌「ノジュール」、「旅5月号」、「旅6月号」の計5冊を借りて家に戻る。昼下がり、眠くなったのでベッドにもぐりこんでシエスタ。

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  昼から東京ビッグサイトで開催中の、「インターナショナル・ホーム・ファッションフェア」へ行く。が、とくに目新しい発見もあまりない。仕事柄、毎年欠かさず行くことにしているが、出展業者も減っているような気がして少しさみしい。不景気の影響をもろに感じる。

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東京下町散歩

 陽気がいいので、電車に乗り上野公園に向かう。国立西洋美術館で開催中の「ウルビーノのヴィーナス」展を観に行こうと思った。昼を鶯谷駅の蕎麦屋「公望庵」でとり、桜咲く寛永寺の境内を抜けて、桜木二丁目方向へぶらぶらと春の陽射しを浴びながらのお散歩。このあたりは、その昔、太宰治、川端康成、宇野浩二、尾崎一雄、上林暁らも暮らした人情味あふれる愛すべき下町。谷中6丁目のブラジリアンカフェ、「谷中ボッサ」でお茶。

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 上の写真は、カフェの前の道をはさんだところにある古い酒屋の壁を写したもの。なつかしい建物やら路地やらが多くて、ついひきつけられる。下の写真も寛永寺坂の途中でみつけたお地蔵さんの沢山あるお寺。この寺の前に、江戸で評判の美女・笠森お仙がいた茶店の跡が残っている。

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 昼を食べた鶯谷の蕎麦屋で求めた、「ねぎし散策地図」を片手にぶらぶら。そうだ、根岸といえば落語家三平だよなと思い立ち、林家三平の資料が展示してある三平堂へ向かうため、JR山手線の上にかかる寛永寺陸橋をわたる。三平の生存時は父親がよく私を寄席に連れて行ってくれたものだった。なので、リアルに噺を聴いているのだ。が、まず途中の子規庵へ寄り道。

 <正岡子規(1867~1902)は芭蕉に対する批判者として俳句界に登場した。子規は評論「芭蕉雑談」の中で、芭蕉の高名な俳句をつぎつぎと批判した。芭蕉の業績を全面的に否定したわけではないが、芭蕉の俳句には説明的かつ散文的な要素が多く含まれており、詩としての純粋性が欠けていると難じたのであった。

 一方子規は、それまで十分に認められていなかった蕪村の俳句を賞揚した。蕪村の俳句が技法的に洗練されており、鮮明な印象を効率よく読者に伝えている点を高く評価した。
 
 西洋の哲学に接した子規は、文学や美術において、事物の簡潔な描写が表現として大きな効果を上げると確信し、「写生」の手法の重要性を説いた。こうした考えから、子規の俳句は視覚的なものとなり、かつ簡潔なスタイルを持つようになった。

 子規の俳句革新は日本中に大きな反響を巻き起こし、低迷していた俳句界は活気を取り戻すことになった。

 あたたかな雨が降るなり枯葎

 氷解けて古藻に動く小海老かな

 大砲のどろどろと鳴る木の芽かな

 涼しさや松這ひ上る雨の蟹

 蓮池の浮葉水こす五月雨

 汽車過ぎて烟うづまく若葉かな

 半日の嵐に折るる葵かな

 月も見えず大きな波の立つことよ

 蔦さがる岩の凹みや堂一つ

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

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 子規は「連歌形式の俳諧」の文学的価値を否定した。また発句に代わり俳句という呼称を常用した。今日、連歌形式の俳諧は「連句」と呼ばれ、一部の愛好家のみが制作に携わっている。>と、関連のHPに説明があったが、私の訪れた子規庵は残した業績に比して思ったより素朴な佇まいと感じた。敷地50坪、東京都指定史跡で入場料500円。

 さて、三平堂は木曜日と土曜日が公開とのことで私はそのままUターン。途中で、フライフィッシングのプロショップ「S」を見つけて店の中に入る。店主と少し話をする。共通の知人もいたりしてチョイおどろく。ニンフのフライを6個求めて外に出る。

 寛永寺の境内を抜けて花見の宴が真っ盛りの上野公園へ。この数年、私はこの季節に上野に出かけている。花見ついでの美術展だが、明日転載しておきます。が、本日は国立西洋美術館の<ウルビーノのヴィーナス>展だ。解説にこうある。

 <ウルビーノのヴィーナス (Venere d'Urbino) 1538年
 完成後、あらゆる時代において、裸婦像を描く上での基準作となったティツィアーノの代表作『ウルビーノのヴィーナス』。後にウルビーノ公となるグイドバルド・デラ・ロヴェーレが、妻のために依頼し制作された本作は、未完であった兄弟子ジョルジョーネによる『眠れるヴィーナス』を、ティツィアーノが補筆し完成させたその25年後、同様の構図で制作した作品であるが、ジョルジョーネのヴィーナスが神話(想像)の中にその美しさが存在していることを示すよう、眠りについているのに対し、ティツィアーノはヴィーナスを完全に目を覚ました姿(又は身繕いをする姿)で描くことによって、現実の中にも同価値の美(悦楽的な美)が存在していることを表現したと考えられている(なお本主題の解釈についても研究が進んでおり、これ以外では、結婚における愛の寓意とする解釈や、聖と俗における対称的価値の表現とする解釈、理想と現実の間の普遍的な美の表現とする解釈、注文主グイドバルドの妻の跡継ぎ受胎への祈願とする解釈なども唱えられている)。

 本作に描かれるのは、静かに横たわり、柔らかな薄い笑みを浮かべる愛と美の女神ヴィーナスの裸婦像であるが、視線はこちらを向き、観者に対して、女性の神聖性と訴えると共に、ある種のエロティックさを抱かせる表現がなされている。また輝くような色彩や、永遠の愛や愛の悦びを象徴する薔薇を握るヴィーナスの肌の質感、女性美の象徴とも言える丸みを帯びた裸体は、ヴィーナスの表現の基準的作例、典型的作例として、アングルやカバネルなどの新古典主義やアカデミーの画家を始めとした後世の画家らに、多大な影響を与えることになった。

 本作のモデルに関しては依頼主グイドバルド(又はその父フランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレ)の愛人とする説、父フランチェスコの妻エレオノーラとする説、高級娼婦とする説など諸説唱えられているものの、どれも確証を得るまでには至っていない。なお本作は印象派の先駆者エドゥアール・マネが描いた問題作『オランピア』の裸婦展開にも重大な影響を与えた(本作では≪従順≫を象徴する存在として犬が描かれたが、『オランピア』では高ぶる性欲を示す、尾を立てた黒猫として描かれた)。>

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 去年(10月14日)のこのブログで、ブタペストの英雄広場の西洋美術館で観たティツアーノのすごさにおどろいたことを書いた。絵は「若いイギリス人」という題名だが、私は「青い瞳の男」と書いている。それくらい、描かれた人物の瞳の色が印象的で、しばしこの絵の前で立ちつくしてしまった。長旅の疲れも吹き飛ぶ感動の一枚。ティッツアーノはヴィーナスを描かせたら右に出るものはいないといわれるが、たくさん描いた肖像画でも名手と呼ばれるほど有名なのだ。

 私は、ティッツアーノの作品はいくつかの美術館で観ている。今回の<ウルビーノのヴィーナス>も、2004年の2月に行ったフィレンツェのウフィツィ美術館でご対面済みだ。が、はるばる海を渡ってきて、上野の美術館での再会もチョイ感慨深いものがある。さて、今回の約80点の出展作品中、私のイチオシはこの作品ともう一つ、やはりウフィツィからの<メディチ家のアフロディテ[メディチのヴィーナス]>だ。前一世紀の大理石像からの石膏複製だが、その官能性&優美さはルーヴルのミロのヴィーナスにも引けをとらない。とくに背中から腰にかけてのラインが素晴らしく、私はこの像のまわりを3周ほどしてしまう。ちなみにこのヴィーナス、別名恥じらいのヴィーナスとも呼ばれている。

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 いつものように、常設展をチェックしてから外に出る。桜の下の喧騒を眺めながら、屋台で買い食い。浅草のカッパ橋へと向かう。

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 「合羽橋珈琲」でお茶。<カフェの扉を開ける100の理由>川口葉子著にこの店はこう紹介されている。<合羽橋珈琲は道具街のはずれの交差点の角に、うっかり場所をまちがえて舞い降りた一羽の白鳥のようにたたずんでいる。内部の美しさを予感させる長いアプローチを進んで扉を開けると、古い建物の母屋と離れを再生した、ひろい喫茶空間がひろがっていた。(中略)しかし、浅草の人たちは素敵にたのもしいのである。風雅な空間にもひるむことなく足を踏み入れ、モーニングタイムともなると、カウンターに地元のおじさんたちがぎっしりと並んでいるそうだ。>

 私はここでひと息ついてから、浅草寺へお参りする。帰路、「浅草演芸ホール」で落語とコントの数席を楽しんでから家に戻る。9時着。
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