2006年05月

蕎麦粉のクレープ

朝食:ハーブパン ベーコンエッグ コロッケ コーンクリームスープ コーヒー
昼食:宅配のピザ シザースサラダ 野菜ジュース
夕食:インスタントやきそば

 夜中2時半頃に、テントの生地を叩く雨の音で眼が覚める。テントのなかで聞く雨音は、ロマンチックで嫌いではない。タープの下にテントを張っているので、雨が漏る事もない。羽毛布団はぬくぬくと暖かくてほのぼのと幸せだ。そのまま眠りに落ちて再度目を醒ましたのが6時過ぎ。テントから出て小雨交じりの空を眺める。

 朝食は昨夜の残りのコロッケを温めてベーコンエッグと一緒に頂く。昨日の朝食は、ヘミングウェイの小説“Big Two Hearted River”に出てくるニック・アダムズ風に気取って蕎麦粉のクレープを焼いたのだった。矢作本はこの小説をこう説明する。「この小説には、ただ釣りという行為しか描かれていない。若き小説家の分身が汽車を下り、川へ歩き、キャンプを張り、飯を食い、餌のバッタを捕り、釣りをする。それだけの行動を、執拗なまで精緻に書き込んでいる。行為と目に映るものの記述だけ、回想と呼べるようなものは、コーヒーを淹れながら思い出す、淹れ方を教えてくれた友人の消息くらいだ」と。

 わたしも、ニック・アダムズものは大好きなのだ。たしか、ニックはこのときの第一日目は釣りをしないで料理に取り掛かるのだ。そのメニューが、蕎麦粉のパンケーキだったというわけで、青年の頃にこの小説を読んで、絶対にこのケーキを焼いてやると思ったものだった。以来、数回にわたりこのパンケーキを焼いて食べたがキャンプでは初めての経験。たしか、ニックは翌日パンケーキの残りを胸ポケットに入れて旅を続けたはずだ。一昨日の蕎麦屋で蕎麦粉を売っていたので思い出して作ってみたというわけ。

 さて、5日間もなじんだテントサイトを撤収する。慣れた手つきだ、時間はかからない。8時にキャンプ場をチェックアウトする。渋滞を避けるためそのまま高速にて一路千葉を目指す。と、ナンのことはないノンストップで千葉に着く。10時。早いネ。

 5日ぶりにテレビをつけるが面白くない。で、汚れ物を洗濯機に放り込み、キャンプ道具の手入れを済ませる。午後、店に行く。小雨が降っている。家に戻り外に出るのが億劫なので電話で宅配のピザを頼む。早い、不味い、高い。

 そうそう、行きと帰りの車で聴いたCDは、立川志の輔を5枚と師匠の家元、立川談志のプレニアムベスト6枚で、落語漬けのドライブだった。

わたしが過ごした5日間のシャングリラ
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ああ、デジカメ

朝食:蕎麦粉のクレープ 蜂蜜 コーンクリームスープ コーヒー
昼食:豚肉生姜焼き定食
夕食:「安愚楽牧場」のコロッケ、メンチカツ おでん 紅茶

 朝方、テントの中で夢を見た。辺見エミリと木村祐一夫婦の日常生活の一コマ。記憶に残っているのは、化粧ッ気のない顔で辺見エミリが木村祐一に何かを言う。木村が曖昧に答えている。そんなシーン。とっ拍子もなく意味もないのだが、なんでこんな夢見るのか不思議でならない。フロイトの夢分析だったらどう判断するか。

 さて、今日こそ釣りである。那珂川に架かる橋の袂で日釣券を買い、先ず橋下から川に降りる。釣り人はわたし以外に誰もいない。わくわくする。広い川面に、思う存分ロッドを振る。きれいにダブルホールが決まる。幾度もキャストする。小さく、ピシャリ、ピシャリと数度のヒットがある。が、喰いつくだけで、釣り上がれない。もしかしたら、ああ、やはりウグイだ。イヤ、ウグイに罪はないのだが、外道といえば外道なのだ。で、ウグイは釣れるが山女魚は来ないという、いつものパターンになってくる。

 300mほど上流に向かっていくが、ウグイ以外はノーヒット。で、鮎の季節に観光ヤナが設置される公園前に、場所を変えて食事。その後、その前で再チャレンジするも、岸に陣取る行楽客の良い見世物になっている気分。餌師も居るには居るが、釣れてはいないよう。で、そのまま上流目指すが、やはり出るのはウグイのみ。鳥野目公園辺りでギブアップ。四つ川近辺に場所を変えて、再挑戦するもノーヒット。

 すでに辺りは、夕暮れが迫っている。こうなったら、最後の切り札。以前行って、かなりの釣果のあった余笹川の上流を目指す。が、30分車で走って着いてみると、周囲はかなりの様変わり。大分以前に、台風の影響で近くの別荘が浸水したり、流されたりで、コンクリートの護岸工事でガチガチに整備されている。これじゃ、釣れないなと思ったが、そこは意地汚い釣り師のわたくし。200m下流から釣り上がる気で、歩き始める。

 かなり流れの速い川に降り、キャストする。もう一振り、もう一振りと思う気持ちに気がとられ、足を滑らせあっという間に川の中にジャポン。全身ずぶ濡れになる。で、表題の「ああ、デジカメ」に相成るという次第。トホホ。止せばよかったのに、最後の最後でフィッシングジャケットの胸のポケットに入れておいたデジカメ。愛用のデジカメ。水浸しで、多分オシャカだ。いつもはビニールに入れておくのに、こういうときに限って入れてなかった。えーん、グヤジイ。念のため、帰ったら修理に出してはみますが、多分絶望的。

 もう、これで3回目だ。いい加減に懲りろよ、と自己反省するも撮った写真はパー。で、写真はアップできません、ごめんなさい。ったく朝方の、辺見と木村のせいだ、などとお門違いの言い訳もむなしい。しょぼん。

 閑話休題、濡れた衣類を取り換えたい。で、昨夕も行った、ホテル・フロラシオンの風呂へ直行。ここはホテル内の施設だけあり、清潔&従業員の態度礼儀正しく、快適。しかも、空いている。タオル、髭剃りも常備しているし、1200円はリーズナブル。風呂に浸かると、捲り上げていた袖から出ていた腕が真っ赤に日焼けしていて、湯にしみる。帰りに、名物のコロッケを買って夕食にする。

護岸工事されてしまった余笹川

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ライオンを夢見る

朝食:焼きソーセージ ロールパン ヨーグルト コーヒー
昼食:手打ち蕎麦「上川の里」で三色蕎麦
夕食:おにぎり2個 オイキムチ ソーセージの卵とじ 焼きマシュマロ 紅茶

 昨夜、芦野湯帰りに美味しいコーヒーが飲みたくなって、黒磯の「1988 CAFE SHOZO」に行くが、客が行列待ちしている。で、古家具ショップを覗いてから、黒磯駅前の「カフェドグランボア」でお茶する。昔の銀行のような建物で、ジャズが流れて落ち着ける雰囲気。しゃれている、と思う。お勧め。で、夕べの焼肉用に近くの肉屋「金沢」で、栃木和牛のカルビ肉を400g購入。特売で1000円ポッキリ。安い。そのまま、駅前のカフェ「マチルダ」で、紅茶。メニューに出ていたアールグレイを注文するも、切らしているとのことで、代わりに注文したダージリンがいつも飲んでるわたしの紅茶の3倍は薄い代物。しかも、香りなく、色つきお湯に等しい。が、店内に置いてある古本は読み放題。

 というわけで本日は釣りだぞと思いつつ、朝食後にコーヒーを飲みながらページを開いた本「ライオンを夢見る」矢作俊彦著、が面白くてつい読み耽ってしまう。帯にこうある。<ライオンの夢を見る午睡(シエスタ)を求めへミングウェイを旅する。キューバ、キーウエスト、パリ、スペイン、そして故郷・オークパークへ。もうひとりの彼を探して、20年にわたる世界の旅の末に、たどりついたもの>と。

 最初の章の文に、<要するにそれは、パリを愛し、モンパルナスのカフェを世界一有名にした作家であり、闘牛を愛し、銃を愛し、スペイン内戦に挺身した作家、海を愛しメキシコ湾流を愛し、自らのヨットでそこを蹂躙するナチのUボートと戦った作家、ノルマンディ上陸作戦に参加し、ド・ゴールより先にパリを「開放」してしまった作家、キューバの少年に野球を教え、友人のためにサーカスのステージでクマと戦い、ライフル銃による腹切りを演じ、エヴァ・ガードナーと裸で泳ぎ、英国爆撃機を操り、友人の情婦を偲んで立ったまま四十五分間でドライマティーニを十一杯呑んだ作家、―つまり作品とは無縁のところで、もっとも名高い作家なのだ。

 アーネスト・へミングウェイという作家は、その人生のエピソードに関して、ラブレーとシェクスピアとドフトエフスキーとランボーを足してもまだ太刀打ちできないほどの巨人である。そのことを疑うものは、まずいない。

 愛読者ならざるほとんどの人にとって、いや当の愛読者にとっても、へミングウェイは一人の小説家の名前である以前に、熱狂的な事件や事物の名である。たとえば、原爆投下とかコカコーラとか>

 とあるが、出来上がってしまったイメージという名の地雷を踏まぬよう、作者は注意深くヘミングウェイの足跡を辿って行く。労作だと思う。楽しく読了した。おかげで、昼に蕎麦を食べに出た以外、涼やかなキャンプサイトで終日過ごすことが出来た。

 夕食を、毎晩キャンプの焚き火で作っている。コッフェルや、蓋兼用のフライパンが煤で黒くなるが、使い込んだ貫禄のような味わいを感じる。食後、炎の少なくなったオキ火を眺めていると、火のそばを離れがたい気持ちになる。寒いから?いや充分に暖かい夜だし、心も満たされているのだ。だからなのか、いつまでも眺めていたい気分。細く削った枝に、マシュマロを刺して火にかざす。軽く炙って口に放り込むと、外側はサクッと、中身はとろりとした充分な甘みで口腔が一杯になる。熱々のアールグレイティを呑みながら、すぐに5,6個食べてしまう。夜空を見上げると、ビー玉のような星がいくつも煌いていた。

期間中毎晩、焚き火で料理を楽しむ

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遊行柳

朝食:ロールパン 焼きソーセージ サラダ ヨーグルト コーヒー
昼食:芦野宿「丁子屋」の鰻重
間食:黒磯駅の「カフェドグランボワ」でコーヒー カフェ「マチルダ」で紅茶
夕食:栃木和牛のカルビ肉網焼き 長ネギ アスパラガス

 朝、8時にウグイスの鳴く声で目を醒ます。昨夜は、一度トイレに起きただけでその後も熟睡。よく眠れた。周りのキャンパーたちも目を醒ましたようで、それぞれのテント内で話し声がする。洗面所に向かう。ここ、洗面所も流しも清潔で、場内にその数も多い。サイトに戻り、チタンのコッヘルに湯を沸かし、まずコーヒーを一杯。折りたたみのガタバウトチェアに座り、遠くの森を眺めながら飲むコーヒーはまた格別の味がする。

 さて、今日は一日ナニをして過ごそうか。しばし、ボーっとくつろぎながら、とりとめのないことを考える。で、天気のよさにつられて車でぶらぶら近くの別荘ウオッチングに出かける。観光客の殺到する喧騒のメイン道路は避けて、裏道、山道に点在する思い思いの意匠を凝らした個人の別荘を見学。と、那珂川の支流、四つ川沿いに格好のロケーションを発見。川を目の前にして、遠くにまだ雪交じりの那須連邦の山並みが見渡せる。手前に、萌え出る淡い緑と、樹木の花の桃色が絶好の、配色を魅せる日当たりの良いこの場所はまるでわたしとの出会いを待っていたかのようだ。

 イメージを膨らませて、ここでの時間を充分楽しむ。玄関はここ、デッキはこうして張り出し、薪ストーブのあるリビングはこの辺りになどと、まことにとりとめもない夢想は、際限なく広がり、ゆえに楽しい一人遊びの時間。

 昼をガイド本で見た、鰻の「丁子屋」へ行こうと思い芦野宿に向かう。芦野宿は、江戸時代に五街道の一つとして整備されてた奥州道中の宿駅として、また交代寄合旗本芦野氏城下町として栄えたところ。といっても、今では僅かに数軒が、旧街道沿いに残るところとなっている。「丁子屋」の前に行列が出来ている。で、その前にと思い、「那須歴史探訪館」なるところへ寄って見る。

 隈研吾氏設計の建物は、江戸時代の宿場町には不釣合いなほどシャープな建築。たしかに、平凡なデザイナーのものではないことがひと目でわかる。が、展示の内容は、イマイチだった。で、「丁子屋」だが、結局一時間半待って、鰻にありつくことに相成る。ここに来る前に、歴史探訪館の受付嬢に、なんであそこはあんなに混んでいるの?と訊ねたら、口コミで、地元の人より外からの人のほうが多くて、などと答えてくれたが。

 で、食べた感想だが、わたしの口が驕っているせいもあるかもしれない。それを割り引いたとしても、再訪してまで食べたいとは思えない。評判と実体のギャップ。噂の一人歩きの見本。

 食後、すぐ近くにある、石の美術館「ストーン・プラザ」に行く。ここも、隈研吾氏のデザインだそうだが、さもありなん、芦野石の特長を生かした建物で直線の美しさを極めている。硬質な石と、柔軟な水の対比が素晴らしい。併設の石に囲まれた茶室は、議論の別れるところ。わたしなど、ここで茶を振舞われても、石牢の囚われの身を想像してしまう。処刑前の末期の一服って言うわけか。

 で、やはりさっきの受付嬢が勧めてくれたイチオシの、芭蕉も詠んだ遊行柳を見に行く。芭蕉は、西行ゆかりの遊行柳に心を寄せ、元禄2年(1689年)4月19日(新暦6月6日)、殺生石を見物したあと遊行柳に立ち寄って、こう詠む。「田一枚植えて立ち去る柳かな」。解釈についてはいろいろな説があるが、遥かと思っていた柳が目の前にあり、その木陰でしばらく安らかにしていると、いつのまにか、田植えが一枚分終わって早乙女たちの声が消え、ぽつんととり残されてしまった。それでは、私もここを立ち去って旅を続けるとしよう。という意味らしい。

 わたしが行くと、ジャストタイミングのように、田植えの終わりつつある水田のなかに、ポツンとその柳の木は立っていて、しかも、若い女性が、田植えの仕上げの最中だった。驚いたことに、その女性の髪の毛は茶髪でロン毛、おまけにくるくるとカールまでして、化粧をしたその顔をみると都会風。指先までは見えなかったが、マニキュアをしていてもおかしくないカッコウだった。これがいまどきの、農家の嫁という実体なのだ。イヤイヤ、わたしは反対しているのではなくて、肯定しているのですよ。で、一句「嫁が植え 遊行柳の 田一枚」うーん、もう一句「青田風 農家の嫁の 茶髪かな」うーん、まんまだなー。ヘタだな。

 芦野温泉に入る。ヌルッとした感じの、いかにも身体によさそうな湯。が、ここの薬効宣伝はスゴイ!っていうか、やり過ぎって感もしなくはない。なにしろ、壁一面に、客からの感謝の手紙を額に入れて張り出してある。その数およそ、顔写真入りで100枚。足に効いた、頭に効いた、腰に効いた、内臓に効いた、などなど。硫黄の匂いというより、宣伝の匂いのほうが多い。が、商魂の効果あって満員。3m四方の湯船に15人が詰め込まれる。

芦野宿のストーンプラザ(隈研吾氏デザイン)

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簡単キャンプ

朝食:東北道のSAで(ドトールのホットドッグ、コーヒー)
昼食:那須、アサモの参鶏湯定食(豆苗、茄子、人参のナムル、キムチ、人参ジュース)
夕食:おにぎり2個 海鮮バーベキュー(烏賊、帆立貝、海老) 缶ビール

 早朝5時に千葉を出る。なにしろゴールデンウイークの最中。で、渋滞に巻き込まれないようにとの計算だったが、テキもさる者で東北自動車道も結構混んでいる。サービスエリアなど、ものすごい混雑で皆殺気立っている。ったく、日本人は、などと自分のことは棚に上げてできるだけ混雑に無用の休暇を過ごしたいと祈る気分で車を走らせる。

 午前10時に那須ICを降りてすぐに余笹川へ。日釣券を買って、川に降りる。広い川原にはわたし一人だけ。期待に胸躍る。が、どうにも例のウグイは釣れるのだが、山女魚や、岩魚の姿はさっぱり見えない。岩魚はともかく、山女魚くらいと思うが、そうもいかず2時に納竿。ここ、以前は山女魚をかなり釣った覚えがあるのだが、現在は護岸工事がされていて様相が一変している。

 先日テレビの那須高原特集で観た、韓国家庭料理の店「アサモ」で昼。3時に予約をしておいた「R」キャンプ場へチェックイン。場内カラフルなテントが満杯に建ち並らび、子供たちが辺り構わず走り回っている。ちょっとした、品の良い難民キャンプの様相。仕方がないよね、狭い国土にこの人口だもの、一ヶ月のバカンスに、クルーザーやヨット、別荘暮らしなど夢のまた夢の庶民の代替レジャー。まっ、こんなもんでしょ。

 と思いきや、場内の車は、それでもメルセデスを始めとして、BMW、ボルボ、シボレーなど高級車もかなりの頻度で見受ける。だったら、このキャンプ場、もそっと高めの料金設定にして、樹木を増やし、サイトの間隔を3倍程度に広げて、20歳未満お断りの高級大人キャンプ場にしてしまえば良いのに。イヤ、このキャンプ場でなくても良いのですが、ニーズはあるはず。

 早速、割り当てられたキャンプサイトに、テントを張る。まずタープを張り、テーブルをセットする。、スタンドをもう一つ用意して、コールマンのクーラーを置く。テントを張って、キャンプストーブとランタンを用意すれば準備完了。テントのなかは、200×140のウールラグを敷き、羽毛布団とピローをセットしておく。完了まで一人で30分とかからない、簡単。

 近くの、温泉「ラ・フォンティーヌ」へ行く。名前はしゃれているが、内容はどうってことはない、普通の風呂。サウナや、露天風呂があるのは当たり前だが、なにしろ芋洗い状態。昔の銭湯を思い出す。浴後、「マックスバリュー」というスーパーへ食品の買い物へ行く。かなり広くて、しかも何でもある。バーべキュー用に、すべて下拵えがしてあって、その手回しのよさに感心する。(だって、岩魚も、鮎も、塩焼き用に串に刺してあるし、肉も、貝も、海老もすべてが味がついてアウトドアBBQ用にセットされている)これなら前もっての準備など何も要らない。ここに来れば良い。まことに、便利。

 で、思うのだが、これはもうわたしのイメージしているキャンプではなくて、別なナニかだと感じた。ナニかとはナンだといわれても、上手く言えないが野外生活で起きる、不便や、不都合を創造性や、工夫で快適に保つなどというのとは違って、言ってしまえば安直お手軽レジャーとでも呼ぶべきものだと思う。モチロン、それはそれでとても快適で安全で結構なことでもあるのですが。9時半、就眠。

キャンプ場近くの牧場でのんびり草を食む、牛の姿

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向田邦子

朝食:ご飯 福岡から取り寄せた、豆腐シューマイ
昼食:プランタン・デパート地下で(ミネストローネのスープご飯、コーヒー)
夕食:焼きソバ 若布スープ 苺

 とても懐かしい、身内に会ってきたような後味のする「向田邦子展」だった。会場内は比較的空いていて、そのおかげでゆっくりと見ることが出来た。〈「向田邦子の作品世界」とともに、「オシャレ」「住まい」「食」「旅」などをキーワードに、彼女が愛したゆかりの品々を一堂にご紹介します。〉と、パンフレットにある。

 5年前に雑誌クロワッサンから発行された「向田邦子を旅する」と題したムックで見ていた彼女の遺品の数々が、ていねいに展示をされていた。ゆっくりと、展示品を見て回る。なぜか、静謐で落ち着いた気分になってきて、手描き原稿、写真、実際に使われていたアンティークの食器、服、アクセサリー、靴、カメラ、スーツケースなど、それらのほとんどが、身近で、好ましいものに映って来る。惜情、愛情、懐玩、尊敬、可憐、眺めながらいくつものフレーズが思いつく。

 前出のムック版に俳優の森繁久弥氏が寄稿している。
〈向田さん、と云えば感性に秀でた人であった。彼女の思考の中には常に爛熟した愛があった。私は、いつも彼女のその不思議な感性に振り回されていた。
「おとうさん、お便所へ入ったら、ちゃんと戸を閉めてくださいね」
 この一行に圧倒された。そして次の原稿を私は待ち続けた。(中略)嗚呼、その人は、今はない―潮風がいたく身に沁みた。私の好きな、千年も前のペルシャの詩人、オーマ・カイアムが謳う。
 
 “いづ地より
  又、何故と
  知らでこの世に
  生まれてきて
  行方も知らず
  去る我か”
 
 ひと際、身に沁みる。〉

 向田邦子展を出て、久し振りに小雨降る銀座をぶらぶら。知り合いのKさんの勤務先がこの近くだと思い、連絡しようと思い立つが、急にメールをしても戸惑うかもしれない。そう思いメールをしなかったが、展覧会の感傷じみた切ない後味を、どう始末をつけようか迷う。で、安直ながら近くのプランタンデパートに飛び込んで、食事。食べて気分転換をして、高速に乗り千葉に戻る。で、明日から5連休。ブログもチョイ連休。7日に写真とともにアップします。

初夏

朝食:ご飯 海苔の佃煮 梅干 錦松梅のふりかけ
昼食:サンドイッチ オニオンスープ
夕食:お土産に貰った、茄子のおやき 鯨ベーコンのサラダ

 昼に家に戻り、出社前に洗濯機で洗っておいた洗濯物をベランダに干す。初夏の気分が漂う、いい天気。店に行く。シーズン到来というわけで、ガーデニング用品が売れている。ガーデニングブーツ、アンティークなシャベル、古いテラコッタの小さな植木鉢などだ。今月は、例年行っている「国際バラとガーデニングショー」も開催される。いい季節になってくる。今日、明日の2日間は、仕事だが明後日からは那須連山の麓で5日間の独りキャンプ。楽しみ。

 明日、銀座松坂屋デパートで開催中の「向田邦子展」へ行くつもり。向田さん、航空事故で亡くなられてもう25年だって、早いねえ。わたしはこのひとの小説、エッセイなどのフアンだ。描かれている世界は、今ではみられなくなった懐かしい日本の美徳やら、矜持。わたしはモチロン団塊の世代だが、この世界を知る、あるいは思い出すことの出来る残された最後の世代だという気がする。

 本棚にあった「向田邦子熱」(向田邦子研究会編)の中から、〈そういえば『幸福』の冒頭の文章では『素顔の幸福は、…不孝のなかに転がっている』と言い、『阿修羅のごとく』では、「隣り合わせの悲劇と喜劇」を描いた。「隣りの女」では「日常と非日常の近さ」を、そしてこの「ごはん」では「甘くて苦いごはんの味」を描いた。「人生は相反するふたつの要素がいつも背中合わせにある。そしてその狭間に人生の深い味わいがある」。彼女は、繰り返し、繰り返し、このことを描いていたようにも思える。

 山口瞳氏が、「傍から見て失意の時代と思われるときが実は作家として幸福の時代であったということがある」と書いているのであるが、乳癌の手術のあと、直木賞を貰い、日本中を向田ブームにしたあと、事故で亡くなる。彼女は自分のテーマを自分でなぞって逝ってしまったのだろうか。

 沢木耕太郎氏が「男性的な眼と女性的な眼を合わせ持つことの出来た稀有な存在」と向田を評し、前出の山口氏は「向田邦子は、悪戯っぽい少女と、快活な少年と、人生の達人であるところの中年女性が同居している」と表現した。相反する複数の要素を持つのは彼女が作品のみならず、彼女自身も同様であったのだ。)という一文がある。

 そしてもう一冊「向田邦子の恋文」では、N氏との一途な“秘め事”が、姉の向田和子によって20年後、明かされる。残された遺品、手紙や、N氏の日記からわかったことだが、忙しい中、病中のN氏の面倒を細々と心配する向田邦子の想いが、これを読むとよく伝わる。日々、通い婚のような生活を送っていた邦子が、一日、急に行けなくなって(今のように携帯電話もないので)、電報を打つ。

 【 昭和39年1月26日 至急電 コンヤユケヌ」ク 】 いいねえ。

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