2005年08月

寿司だ寿司だ

朝食:TG676便の機内食(オムレツ、フルーツ、コーヒー)
昼食:機内食(白身魚の味噌漬け、ヨーグルト、フルーツ、紅茶)
夕食:いつもの寿司屋で(刺身お任せ、コハダ、鮪、数の子、ビール)

 バンコクで飛行機を乗り換え、どうにかこうにか成田空港に着く。28日ぶりの日本だ、やはりホッとする。空港まで迎えに来てくれたNさんの車で家まで送ってもらう。食事はいつもの近所の寿司屋でNさんと一緒に夕食。もどって家に入るとこもった熱気でムッとするが、窓を開け放し荷物を置きわたしはNさんを家に残して店に行く。

 店でスタッフの報告を聞き、時間も7時になったので閉店準備をしていると常連のお客様、「ブレッドビンのオネエさん」が来店される。わたしがこうしてお会いするのも珍しいので、すこし帰ったばかりの旅行の話などをさせて頂く。昨日、誕生日だったんです、とおっしゃるのでお会計のときに、当店よりのささやかなプレゼントを差し上げる。

 この人が当店で買われる物はいつもながらお目が高いと思うのだが、今日もイギリスのデボンシャーで焼いた赤い土物にグリーンの釉がかかった小ぶりの壷を購入される。勿論、アンティーク物で壷の底にはイギリスでは珍しく直接サインが掘り込んである代物。


映画と読書

朝食:クロワッサン ヨーグルト ジュース コーヒー
昼食:TG931便機内食(白身魚のフライ、ご飯、フルーツ、コーヒー)
夕食:機内食(薄いサラミソーセージをはさんだパン、コーラ)

 とにかく長い機内の時間をやり過ごすには、映画が一番。勿論、眠れればいいのだ昼の便ゆえなかなかそうも行かない。バンコクまで12時間近くを、空の上の狭いエコノミーの席で過ごさなければいけない。しかもドジなことに、席の指定をチェックインのときにうっかり忘れてしまい、窓側の席になってしまう。満席ゆえチェンジも出来ずに、トイレに出入りしたりするのに非常に不便で窮屈。あーあ、どうして通路側にしてもらわなかったのだろう。うだうだと後悔する。

 機内の映画は二人がなれ初めて結婚するまでに至るまだるっこいプロセスを描いた恋愛物のB級映画、「A Lot Like Love」と、トミーリージョーンズ主演のチアガール5人との絡みを描いたサスペンスコメディ、「Man of the House」の二本。することのない機内は映画観る他ないでしょ。

 映画の合間にパリの日系本屋、ジュンクドウで買った、「ヴァージニア・ウルフ短編集」を読む。さすが天才作家、人間の意識の流れを微妙、繊細にして美しい言葉で読者を引きずりこんでくれる。で、退屈はしなかったし、心配していたエコノミー症候群になることもなく、無事にまずは現地時間の朝の6時にバンコクの空港に到着する。


最後の晩餐

朝食:クロワッサン ジュース ヨーグルト コーヒー
昼食:ギメ美術館のレストランで(鴨肉のサラダ、焼き鳥、コーラ)
夕食:デパ地下のテイクアウトで(ビーフヤキソバ、海老とアスパラガスのサラダ)

 今日で、わたしはパリの地下鉄の10枚綴りになっている「カルネ」と呼ぶ回数券を3冊使ったことになる。ということはパリ滞在中に地下鉄に30回乗ったことになる。早くて安全、解りやすくて便利な乗り物。車内の人間観察も楽しくて、退屈しない。
 
 地下鉄の電車を待つあいだふと見ると、反対側のホームでカップルが抱きついたりキスしたりとイチャイチャしている。何度もキスを交わすのだが、男のほうは女のしつこさに辟易気味な様子が見て取れる。何回かのキスの後男が言う(多分)、「おまえ、息が臭いよ」って。慌てて女は手を口に宛てて確かめる素振り。この光景をこちら側のホームの客は、見るでもなく見ている。日本では、チョッと見られない光景。ネッ、退屈しないでしょう。

 さて、今日はギメ美術館へ行く。(先日、ツアーでご一緒したオバサンが絶賛していた)。ここはリヨンの実業家、エミール・ギメ(1836-1918)のコレクションから発足した東洋美術館で、カンボジア、インド、中国、韓国、日本と興味深い展示が続く。ギメが日本を訪れたのは1876年、絵画300点、彫刻600点を持ち帰り1887年の万博に出品したと言う。

 肌寒い日で、セーターを着込んで入館。館内は空いている。日本の展示室には誰もいなくて、おかげでわたしはじっくりと鑑賞できた。茶碗は乾山、織部、楽の名品がズラリ、と展示されている。思わず、うっとりする。浮世絵は北斎と広重の二人展といった様子。保存状態のいいもので、色が鮮やか。しかも作品の選択もいい。

 ここの地下のレストランで昼を済ませて、本日のテーマ、デパート巡りをスタートさせる。プランタン、ギャラリー・ラファイエットの二店。特にインテリア館を集中チェック。品物の多彩さではプランタン、質の高さはラファイエットと言ったところか。日本の北青山にも支店のある食器メーカーの、「GIEN」の「MILLE FLEURS」はシリーズで可愛い。まだ、日本未入荷かもしれない。地下の惣菜売り場で中華のパック入りを買い、ホテルに一旦戻る。

 リュクサンブール公園に散歩にでかける。途中にある日本の骨董を扱う店、「TANAKAYA」によるが、バカンスなのか店は閉まっている。が、ウインドウ・ディスプレイは秀逸で、オリジナルカタログなどを出していて、ご活躍な様子が見て取れる。わたしが1999年の暮れから2000年にかけてやはりパリに滞在していたときに見つけた店だ。このときは通貨のフランがユーロに変わるのをリアルに現地体験をしたり、元旦にはモンサンミッシェルに出かけたりして(このときも独り旅だったが)過ごした。

 リュクサンブール公園は、花が咲き、園内のマロニエの木には小さな青い実もついて美しい。花の咲き乱れる園内は、カップルや、ファミリーが思い思いのスタイルで過ごしていて賑わっている。園内を取巻くフェンスには、世界の古今のニュース写真が掲げられていて、散歩ついでの親子連れなどが、じっと眺めていたりする。親から子への社会教育の場にもなっている様子で羨ましい。

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 夜8時半。ホテルのバスタブに湯を張り、身体を沈める。四肢を伸ばして、ゆっくりと入浴。瞼を閉じるて思い出す。今回のチョイ長めの旅行を最初から反芻する。イギリスのブロンテカントリーから始まり、湖水地方、アンティークフェア、買い付けと、ここまでは息子と一緒だった。日本に戻る息子とヒースロー空港で別れ、わたしは独りになってロンドンにしばらく滞在して美術館巡りと&公園の散歩三昧をして過ごす。

 その後、スペインはマドリッドへ飛び、世界遺産の中世の街並残るトレドを観光。で、闘牛にフラメンコを楽しみ、旅行前から何冊も本を読み、期待していたゴヤとの感激の対面を果たし、ベルギーのブリュッセルへ。蚤の市、ショップ巡りと続く。

 列車を使ってオランダは水の都、アムステルダムへ移動。感涙のゴッホと対面、レンブラント、キャナビス、飾り窓の女、カジノでのゲームと続き、そしてパリ。オルセー美術館、ルーヴル美術館と、印象派の名画などの数々と古都ブリュージュの旅。長々続けてきた。が、今日でどうにかこの28日間の旅も無事終了の予定。

 ホテルの風呂から出て、デパ地下で買い求めた食品をテーブルに並べる。独りだけの、「最後の晩餐」を始める。ああ、どうにか病気、怪我、事故にも遭わずに日本へ帰れそうだ。最初は長いかと思ったが、終わってみればあっという間だった。旅行で遭遇し、楽しかった感動煌く金粉をそのままに持ち帰ろう。そして、一つ一つを思い出という名の引き出しにそっと仕舞い込んでおこう。やがて来るかも知れない、飽きるほどの長い未知の退屈のために・・・・。

モンパルナスの灯

朝食:地下鉄オペラ駅のPAULでパンとコーヒー
昼食:カフェ・フローラで(牛肉のサラダ、マリアージュの紅茶)
夕食:サンジェルマンの蕎麦レストラン(鮪とアボガドのサラダ、胡麻蕎麦、ビール)

 パリのバス旅行でガイドから聞いた話:「左岸では頭を使うが、右岸では金を使う」、「ニセアカシア、プラタナス、マロニエが、パリの三街路樹」、「80%が山で、20%が平野の日本、フランスはその逆で平野が80%、山が20%」。朝からマイバスで、「フォンテーヌブローとバルビゾン」ツアーに出かける。

 まずは、19世紀の中頃に素朴な農村風景と美しい森に魅了された多くの画家がこの村に住み着いた、といわれるバルビゾン村へ。風景画でもアトリエで製作するのが普通だった時代、戸外に出てありのままの自然を写実的に描いた彼らはまさに絵画の革命家だったといえる。農民と共に暮らし、働く姿を描き続けたミレーや、テオドール・ルソー等に代表されるバルビゾン派は後の印象派が生まれる土台となった、といわれている。

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 村のメインストリート、と言ったってほんの少しの田舎道沿いに、ミレーのアトリエや、昭和天皇や「宝島」のスティーブンソンが泊まった旅籠などがある。ミレーのアトリエはこじんまりとしていて、これがあの有名な「晩鐘」、「落穂拾い」などを描いた画家のアトリエとはなかなか思えない。少し離れた森の中には、ミレーとルソーの岩盤に掘られた二人のレリーフがひっそりとあった。

ミレーのアトリエの窓から外を眺める
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 ミレーが描いた農村風景(落穂拾い)と、今も変わらぬ広大な畑の風景をバスの中から眺めていると、そのままフォンテンブローの広大な森に続いていく。歴代の王が狩猟を楽しんだ深い森は健在で、今でも休日には市民が散策やサイクリングを楽しんでいると言う。

 フォンテンブロー城には、中世時代のカペー王朝からナポレオン3世まで、フランス歴代王朝の歴史が凝縮されている。「歴史を知るには、本を読むよりもここへ来たほうがいい」と言われるそうだが、城の中はフランソワ1世からルイ16世まで7代の王が次々と建物を継ぎ足して出来ているので、中世から18世紀末までの建築様式をパノラマ式に見ることができる。ヨーロッパの建築に興味のある方は必見。

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 1時過ぎにパリに戻る。荷物をルクソール・ホテルに取りに戻り、タクシーでホテル・マロニエにチェンジする。前からのスケジュール通りで、旅行最終日にこのホテルに2泊するつもりだった。このホテル、去年やはりパリに来た時に偶然前を通りかかって気に入ったので泊まるつもりでいたところ。部屋に入るとエアコンが効いていて気持ちがいい。荷物を置きシャワーを浴びる。ホテルを出て、早速セーヌの左岸を闊歩する。

 遅めの昼をカフェ・フローラで済ませて、サンジェルマンデュプレ周辺を散策。バカンスで閉めている店も多いが、アンティークショップ、インテリアショップ、生地屋、雑貨屋も多いところ。ウインドウショッピングだけでも楽しい。一度ホテルに戻りすっかり習慣になった感のあるシエスタ。長旅ゆえの知恵だが、ついつい強行軍になりがちなわたしの旅のスタイルはこうしてバランスを取っているつもり。

 久しぶりにモンマルトルに出かける。地下鉄サクレ・クール駅から徒歩で葡萄畑(パリにもある!)の横を通ってルノアール描く、ラテの風車に出る。賑やかなテアトル広場で似顔絵描きの様子を眺め(上手!)、サクレ・クール聖堂のあるモンマルトルの丘から下界を俯瞰する。音楽家サティが住んだ家の前を通り、「壁抜けの男」の彫刻をデジカメに撮りながら坂道を少し下るとアトリエ洗濯船跡に突き当たる。ここはマティス、ドガ、モディリアーニ、アポリネール、ピカソなどが暮らした共同アトリエのあったところ。

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 絵が売れて売れっ子になると1人抜け、二人抜けていった貧乏長屋。売れればいいが、そうでない者にとっては気が気ではなかっただろうと思う。夢もあれば競争もあった青春。そのあたりの事情はモジリアー二のパリを描いた映画、「モンマルトルの灯」に詳しい。

 坂を下ると、ゴッホが少しの間だけ住んだアパートの前を通る。この辺りは映画、「フレンチカンカン」、「ムーラン・ルージュ」、「アメリ」、「大人はわかってくれない」などの撮影舞台になったところで、独特の雰囲気がある。ピガール駅に向かう途中にある、「エロチズム博物館」に入る。ここは日本にも観光地などによくある「エロ寺」の風情漂い、隠微。が、不思議といやらしさは感じない。新婚カップルにおすすめ。

 夜、サンジェルマンデュプレ界隈の、ヘミングウェイもかって通っていた、「カフェ・ド・フロール」の脇を入ったすぐの通り、「円 YEN」と染め抜いた暖簾がさがる日本レストランで夕食。ここ、2000年の4月にオープンした、ヨーロッパで初めての本格的な手打ち蕎麦屋。アパレルメーカーのオンワード樫山が出店している。さすがに、山梨の「翁」で一年間修行して、師匠の高橋邦弘さんに出店許可されただけのことはあって、蕎麦の味も本格派。しみじみと旨い!

 ここ、サービスも文句なしの店。この夜、満席なのでどうしようか迷っていると、マネージャーが、「お席が空きましたらお部屋にご連絡させていただきます」、と私のホテルの名前を訊いてくる。そう、じゃあお願いネ、と言い残してホテルでのんびりしているとややあって、「お席がご用意できました」とうれしい連絡をいただく。いいね、「虎屋」といい「円」といい、異国で味わう心温まる日本的サービス。

庭園から見たフォンテンブロー城
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なんどでもモナリザ

朝食:クロワッサン オレンジジュース コーヒー
昼食:「虎屋」で(彩り丼、茶碗蒸し、味噌汁、小鉢)
夕食:Cafe RUCで(牡蠣半ダース、蛤、グラタンスープ、ロニヨンのステーキ、白ワイン)

 午前中、日本へ航空便で贈る荷物をホテルでスーツケースにパッキングして、マイバス近くのヤマト運輸へ運ぶ。日本人のおばちゃん従業員たちが、日本と同じ対応で接してくれて、簡単にして丁寧。空になったスーツケースをホテルの部屋に戻し、マイバス主催の「ルーヴル美術館半日観光」に参加する。

 その前に腹ごしらえと思い、羊羹の「虎屋」が経営するコンコルド広場近くのレストランで昼にする。日本茶を使って炊き上げた茶飯の上にスモークサーモン、錦糸玉子、鞘インゲンが載り、胡麻のソースがかかっていて美味しい。これに茶碗蒸し、味噌汁、小鉢、番茶、季節の和菓子、抹茶で24,10ユーロ。数年前、猛暑のニューヨクでやはりこの「虎屋」に飛び込んで、「いらっしゃいませ」の声にホッとした覚えがある。そのときは、カキ氷をオーダーしたのだが、なんとも満ち足りた気分にさせていただいた。パリといい、マンハッタンといい、日本を世界中で味わえる気にさせてくれる稀有な存在だ。なので、贔屓にさせてもらってる。

 マドレーヌ寺院近くの、「フォション」をチェック。菓子、惣菜、果物を美しく芸術的にウインドウ・ディスプレイして見事。カメラを向ける観光客が引きも切らない。トマトや、ピーマンなど意外な素材がディスプレイの一端を担っている。農家はこれを見たらびっくりするだろう。それほど、見事な飾りつけ。ちなみにこれっ、たしかフォションの日本人女性スタッフの作品のはず。うっかりカメラを忘れたので撮らずに過ごしたが残念。

パリ市民の夏の過ごし方(セーヌ川岸で)
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 さて、マイバス社から中年の日本人男性ガイドが案内するルーヴル美術館案内はは、今まで自分流に見ていた作品をかなり違った角度から再検証する気分でとても有意義。レオナルド・ダビンチの「聖家族」、「岩窟の聖母」などはラファエロとの違いや、地質学者的見方や、実物ならではの見方など詳しく解説してくれて、じつに熱心。「モナリザ」は、日本テレビの出資で(7億7千万円)それまでの突き当たりにあった展示場所が広場に変わり展示ケースもリニューアルして、より多くの見学者が見れるようになっていた。年間約600万人の集客力を持つ今から500年前に描かれたこの絵はナポレオンですら虜にし、彼が皇帝になって住んだチュイルリー宮殿に10年間飾られていた。

 去年の話だが、小説「ダビンチ・コード」の影響で、このフロアで見かける観光客のほとんどが、自国の翻訳によるこの本片手に見物に押し寄せていた。それほど、ブームというヤツは凄かった。が、今日は本を抱えての鑑賞する観光客はさすがに減っているようだ。

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 ミケランジェロの彫刻、「瀕死の奴隷」にしても、解剖学的な見方や、他の作家との差など説明も詳しい。アンリ4世が、ルーベンスに描かせた自身の生涯の連作なども一つ一つの見所を取り上げて解説をしてくれる。この男性ガイドは、少ない時間で沢山詰め込もうとするあまり、早口だがしかし、熱がこもっていて楽しい。通り一遍の美術書などよりもはるかに詳しく楽しい。

 勿論、「ミロのビーナス」、ナイキのネーミングにもなった、「サモトラケのニケ」、などの定番も解説は外さないので便利。パリリピーターの方、いまさらなどと言わずに「おさらい」のつもりでこのツアー是非お試しを。ガイドによる当たり外れはあるかもしれませんが、眼からウロコ状態間違いなしです。

美女と野獣

朝食:ホテル(クロワッサン、ジュース、コーヒー) 
昼食:オルセー美術館(ハム&野菜サンドイッチ、バナナ、ヨーグルト、コーヒー)
夕食:ピラミッド「来来軒」(ラーメン、半炒飯)

 午前10時半にはオルセー美術館に並ぶが、すぐに入館できる。過去に3回ほどこの美術館を訪れているが、いつ来ても飽きない。ルーヴルほど大きすぎず、程よく鑑賞できるスケールも人気がある原因かもしれない。結局、3時過ぎまでじっくりと、日本語音声の解説イヤホンに耳傾けながら、美術本片手にゆっくりと鑑賞&堪能。これも自由気ままな一人旅ゆえの特権。

 オルセー美術館は1900年にパリの駅舎として誕生。その後、ジスカール・デスタン大統領の肝いりで美術館として1986年に生まれ変わる。比較的コンパクトな美術館で、コレクションも1848年から1914年までの印象派や、バルビゾン派の珠玉の作品群が勢揃い。

 展示作品は、「泉」アングル、「ライオン狩り」ドラクロア、「ヴィーナスの誕生」カパネル、「オランピア」マネ、「草上の昼食」マネ、「サン・ラザール駅」モネ、「ムーラン・ギャレット」ルノアール、「オーヴェルの教会」ゴッホ、「トランプをする人」セザンヌ、「タヒチの女」ゴーギャン、「青い踊り子たち」ドガ、「蛇使い」ルソーと、教科書や美術の画集などで見たことのある作品が目白押し。好きな人にはたまらないだろう。

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 何年か前に訪れたことのある「ロダン美術館」にも、いくつかロダンの弟子のカミーユ・クローデルの作品があるがオルセーにも「壮年」がある。カミーユはロダンの愛人でもあった。ロダンには年長の内妻ローズがいたが、カミーユは当然自分と結婚してくれると思っていたが、ロダンは糟糠の内妻を捨て切れず、彼女と結婚してしまう。カミーユは精神病院に強制収容されるが、その直前に彫った代表作がこの「壮年」である。老女にひきずられる男の指の先にすがろうとする若い女。あなた、このカミーユの執念を直視できますか?凄いよー、怖いよー。

 オルセーの中にはいくつかレストランがあるが、どこも行列を作っている。で、仕方なくキャフェテリアでサンドイッチと飲み物を買い、駅舎時代の名残の丸時計のあるテラスで食べる。眼下にセーヌが流れ、右手にはルーヴルの建物が眺められる。

 オルセーで至福の時間を過ごし、外に出る。丁度来た目の前にあるセーヌ川の水上バスに乗り、ノートルダムの大聖堂へ向かう。セーヌから見上げる大聖堂。今日こそはあの塔の鐘楼に登ってやろうと思う。50代以上の人ならご存知かもしれない。ヴィクトル・ユゴー原作の映画「ノートルダムのせむし男」1956年版で、配役は鐘撞き男のカジモドにアンソニー・クイン。で、美女のエスメラルダにジーナ・ロロブリジーダ。これを、当時小学生だったわたしは、そりゃもうドキドキハラハラしながら観た。

 1828年秋、26歳のヴィクトル・ユゴーはこの大聖堂の鐘楼に上がって、眼下に広がるパリの街を眺めて小説「ノートル=ダム・ド・パリ」の構想が芽生えたという。鐘楼のいたるところに置かれたガルグイユ(怪物のかたちをした樋嘴)からヒントを得て、その醜さゆえに捨て子にされたカジモドという怪物を創造し、対する絶世の美女にジプシーの舞い姫エスメラルダを持ってくる。そして聖職者ゆえに抑えがたい肉欲に苛まれる大聖堂の司祭を絡ませて、ストーリーは大スペクタクルに展開する。

 カジモドの純粋素朴にエスメラルダを慕う気持ちに涙して、司教の腹黒い横槍に歯軋りをした子供時代のわたしは、ナント純粋だったことヨ。なつかしいね。

 閉所恐怖症になりそうな気分を抑えて、387段の塔の階段を上り終え、なんとか鐘楼の上に出る。ああ、ガルグイユがいる、カジモドが跨っていた鐘がある。眼下にパリが一望できる。じわじわっと湧き上がる感動を、ゆっくりと味わっている自分がいる。

          ガルグイユ越しに眺めるパリ(遠くに見える丘が、モンマルトルの丘〉
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水の都ブルージュ

朝食:おにぎり2個 緑茶
昼食:チーズコロッケ 牛肉の煮込み アイスクリーム 地ビール コーヒー
夕食:レオンで(ムール貝のクリーム煮、パン、ビール、エスプレッソ2杯)

 マイバスの日本語ツアーでベルギーの古都、ブルージュへ出かける。朝の7時にピラミッド駅近くのマイバス社に行くと、中はかなりの日本人観光客で賑わっている。ツアー代金に勿論含まれているおにぎり2個を貰って、食べながら出発を待つ。

 「運河の街・ブルージュ一日観光」の一行28名、7時半にバスは出発して11時にはベルギーのブルージュに到着する。ここは世界遺産にも登録されていて、かってのハンザ同盟の中心地として栄えた街。当時、貿易の拠点だったこの街は縦横に巡る運河に海からの泥が集積して、舟が行き来できなくなってしまった。で、貿易の中心地がアントワープに移ってしまったお陰で、美しい中世そのままの街並みは静寂の街として残されて、現在に至っている。

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 レンガを多用した古い建物が運河沿いに建ち並び、白鳥などの水鳥が群れている。思わす美しい、と声を上げる。小さな街で一周しても30分とかからない。一行はガイドの案内を聞きながら、周囲の木々の緑を映した鏡のように静かな「愛の湖公園」からスタートをする。1245年にフランドル伯爵夫人マーガレットによって建設されたベギン会修道院を見て聖母マリア教会へ向かう。

 世界中の観光客が多い(勿論、街の人口よりも)。教会近くの小さなレストランで昼食。店内の暖炉には火が入っていてカップルにはいいムード。ツアーに単独の参加者は5人。一つのテーブルを囲んで、それぞれのパリ旅行の話などを聞きながら(美味しい)食事が進む。私以外は全員女性で、60歳代、40歳代、30歳代、20歳代とバランスがいい(関係ないけど)。

 が、60歳代の女性はパリへ毎年来ているそうで、今回で5回目。いつも一人だそうだが、夕方5時過ぎにはホテルに引き上げてしまうそうで、地下鉄にも乗ったことが無いという。何故ですか?と訊けば、「危険で怖いから」という答えが返ってきた。「そんなー、それじゃあ海外旅行に来る意味ないですよー」と言いかけたが、まっ、そういう旅行もその人にとっては旅行には違いが無いので、言いかけた言葉をぐっと飲み込む。

 一人一人話を聞くと、なかなか面白い。そして情報交換の場にもなり、大いに盛り上がる。現地発、日本語ツアーの単独参加もこうして結構楽しめますヨ。

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 運河を巡るボートに乗るが、日本語のテープで解説があるボートもあって充分楽しめる。マルクト広場の鐘楼前で1時間半の自由行動時間になる。早速、わたしはボートから見えた蚤の市をひやかしに行く。欲しいものは見つからなかったが、蚤の市はぶらぶらするだけでも楽しい。

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 聖母教会にあるミケランジェロの「聖母子像」はイチオシ。マリアの慈愛溢れる表情には例えようの無い気品があり、この作品と同じ壁にかかる他の作者の絵を比べて見ると天才が描く絵とそうでないものの差が歴然とする(とても解りやすい)。

 夜、8時にパリ着。帰路、ムール貝の料理をチェーン展開している「レオン」で夕食。鍋一杯のムール貝。おいしい。

京都タワーはいらない

朝食:ホテル(クロワッサン、ジュース、コーヒー)
昼食:海鮮料理レストランのシェ・クレマン
夕食:マレ地区のファーストフード店で(ファラウェル、林檎ジュース)

 朝の9時過ぎにホテルを出る。で、再度ヴァンヴの蚤の市へ行く。どうにも気になるものがあって、昨日は買うのを控えていたのだが、今日もしあれば買う気でいた。到着すると昨日と同じ露店が並び同じものが並んでいる。違うことといえば、野菜や肉などの露天が近くに出店していたことで、地元客だろうか午前中にもかかわらずにかなり混雑してた。気になるものは、売れずにそのままあった。で、結局決心して買い求める。

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 再び地下鉄に乗り、コンコルド広場へ行く。うっかりオランジェリー美術館へ足を向ける。目の前まで行って、ああそうだここは去年も工事中だったよなと思い当たる。左にエジプトから贈られたオベリクスを眺めながら、200年以上も前にここで断頭台の露と消えたマリーアントワネットを思う。ベルサイユ宮殿へ行かれた方はお分かりだと思うが、女性で人生の落差をあれだけ味わった人も珍しいのではないかと思う。

 フランスは、東ローマを経由して伝わったベネチアのガラス職人を連れ去ることで、ガラス工芸の先端を走り去ったのだ。このベルサイユ宮殿の鏡の間を見ればそのことがよくわかる。ヨーロッパ(だけとは言わないが)の歴史とは、つまり戦いと略奪の歴史なのだねネ。

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 ヘミングウエイも通い、ダイアナ妃も期せずして最後の晩餐を過ごしたバンドーム広場のホテル・リッツを眺めてから、オペラ座前のレストラン「シェ・クレマン」で昼食。このレストラン、わたしが初めてパリへ来た20年以上も前とあまり変わっていない。あの時は2階席に陣取り、10人くらいで牡蠣を飽きるほど食べた記憶がある。で、今日もまずは牡蠣をと思い半ダースを注文。他にサーモンとメロン、パン、生春巻き、グラスワインと注文する。牡蠣、小ぶりだがクリーミーで美味しい。

 食後、マドレーヌ寺院を目指してぶらぶら通りを行くと、去年泊まったホテル「スクリープ」の前に出る。ロビーに入り勝手知ったるトイレを借りるが、相変わらず日本人観光客がロビーにごろごろしている。わたしも一旦、ホテルに戻り習慣になってきつつあるシエスタ(午睡)をとる。

 さて、夕刻はマレ地区へ繰り出すことに。肌寒いのでセーターを着込んで、日本の裏原宿に似たこの賑やかな地区を散策。可愛い雑貨屋から食品店、レストラン、ユニークな小さな美術館、歴史の重みを感じさせる建物などが混在する。

 道行く人がなにやら食べながら歩いている。ナンだろう?ファーストフードのようだが、とガイド本を見るとマレ地区のユダヤ人街名物の「ファラエル」というものらしい。売っているところを見つけてわたしもチャレンジ。ひよこ豆のコロッケに揚げ茄子、紫キャベツがピタパンにサンドされている。味?まあ、話のタネに一回位はネ、という感じかな。

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 ところで、帰りに乗った地下鉄の乗り口のあるポンピドーセンター。この建物には国立近代美術館が入っているが、建物としてみた場合は最悪。美術館のほうは以前訪れたこともあり、内容はかなり充実している。展示作品は、1950年のフォービズム(マティス)からキュービズム(ピカソ、ブラック)、抽象派(カンディンスキー)、エコール・ド・パリ(モディリアニ、シャガール、フジタ)、シュールレアリズム(ダリ、ミロ)、ポップアート(ウォーホール)、ヌーヴォー・レアリズム(イヴ・クライン)と続き現在の造形美術と続いている。が、問題は建物。まるでカラフルな工場のようでわたしには美しく見えない。

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 で、考えた。パリで失敗した建物は①ポンピドーセンター(グロテスクで、美術館を訪れるワクワク感が湧かない)②モンパルナスタワー(京都タワーと同じくらいに醜悪。京都を訪れるたびに思う、今からでも遅くはない、即刻取り壊せと)。反対の成功した建物はいわずと知れた①エッフェル塔(何時見てもエレガンス)②ルーヴルのピラミッド(周囲に溶け込んでいる)。

 ついでにパリに無くてはならないもの①セーヌ川(東京に隅田川が無くても東京だが、パリにセーヌ川は必須)②恋人たちの抱擁(パリだと絵になる)。パリにいらないもの①犬の糞(これは以前よりだいぶ改善されている)②小便の匂い(ビジュアルな箇所でこれが漂ってくると最悪、京都の石割小路が小便臭かったらガッカリでしょう)。

パリ、蚤の市

朝食:ホテル(クロワッサン、ジュース、コーヒー)
昼食:クリニャン・クールの(マクドナルドのハンバーガー、コーラ)
夕食:醤油ラーメン 餃子 ビール

 朝、昨夜着いたパリのホテルで朝食を済ませる。で、9時半に地下鉄を使ってヴァンヴの蚤の市へ到着する。ここに来たのは10年ぶりくらいかもしれない。そのときよりも蚤の市らしい雰囲気が溢れている。が、日本人の若い女性の姿が、かなり目に付く。日本の雑誌の影響だろうか、カップルだったり、独りだったりとスタイルは様々だが一見して観光客とわかるオーラを発している。明らかに、これ等日本人観光客目当ての店なども出店していて、人気のカフェオレボールや、琺瑯のプレートやら、キャニスターやら、キーホルダーやらが目だつところにディスプレイされている。ただし、価格は少々高めだ。

 ここで少し買い物をしてからさらにクリニャンクールのアンティーク街へ地下鉄で移動。パリに来た時による、いつもの店を定点チェックする。が、やはり価格が高い。以前よりもはっきりと高いと感じる。ここには約3000軒もの露天商と呼ぶのに近いテナントがひしめき合っていて、選択の幅も広くて掘り出し物もある。便利なのだが、こう高くては手を出す気にはならない。が、アラブ系の安物衣料を扱う業者は以前よりかなり増えていて活気もあるのだが、反対にアンティークを扱う店の活気がイマイチない。まっ、商品の性格上仕方がないかも。

 本日は頑張って、蚤の市の3箇所攻め。で、3番目にはモントルイユの蚤の市へ行く。が、ここは安物衣料が殆どで日本人には何の用もないところ。ホテルに戻り、シエスタ(午睡)の後、地下鉄でピラミッド駅へ。この辺りは日系の企業も多くて、和食レストランの看板もよく目にする。「来来軒」という中華店へ入る。長期間の旅行者や滞在者にとってはこの日本語の、「いらっしゃいませ」という響きがたまらないと思うのだが、店内はまさに日本そのもので、ホッとする。会計の際、カウンターにあった「日本経済新聞」を買い、ホテルに戻り貪るように読む。

ヴァンヴの蚤の市

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パリへ

朝食:ホテル(パン、ハム、チーズ、ジュース、コーヒー)
昼食:ワガママで(ヤキソバ、サラダ、水)
夕食:ユーロスター車内で(パン、鶏肉、チーズサンド、トマト、インゲン、コーヒー)
 
 朝、宿泊しているホテルのフロントに荷物を預けて街に出かける。今日、パリへ向かう電車の出発時間が、アムステルダム中央駅午後3時52分なのでまだ時間に余裕がある。出発までの時間を自分で立てたスケジュール通りに行動する。まず、トラムを利用して歴史博物館へ向かう。ダム広場近くのここは小規模な外観に似合わず、内部は回廊状の建物で、かなり展示物も充実している。アムステルダムが都市として成立するまでの発展状態を解りやすく模型やスクリーンを使って、ビジュアルにアプローチされる。

 外に出て空を見上げる。空は暗く、黒い雲が垂れ込めている。今にも雨が降り出しそうな気配がする。わたしの今日の予定に、ローイールの「美術骨董センター」へ行く事があったが、行けるだろうか。雨除けのハットを目深に被り、地図を片手にスパイ通りを越えて、運河を渡る橋を4回過ぎると、5本目の橋の手前に目指す骨董センターはあった。が、どういうわけか扉は閉まっている。

 84もの骨董店が集積しているセンターなので、さぞやと期待をしていただけに残念。と、そこに大粒の雨が降り始めてくる。おまけに雷まで鳴り出す始末。傘を持ってきていなかったので、シャッターの閉まった店の前でひたすら雨が止むのを待つが、見上げる空にその気配はまったく見られない。そうしている間にも、骨董センターを訪れる客が引きも切らない。みんな諦めて帰っていくが、市民にとっても人気店なんだと感じる。

 さて、どうしよう。アムステルダム最終日でパリへの移動日。美術館は混んでいるだろうし、傘もないのにウインドウショッピングもままならないし、としばし頭の中で次の目的地探しが逡巡する。やみそうもない雨空を恨めしそうに見上げて、とぼとぼと歩き出す。橋を渡り、ナッサウカーデ通りに出る。水面を射すような雨滴が作り出す大量の水の窪み。唐突に、浜田真理子の歌う「水の都に雨が降る」が頭の中をゆっくりとリフレインする。松江とは違う異国の水面だが、そこだけ見つめれば、同じような色をした川の流れがゆるゆると行く。



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 で、足を向けたのがそうです、御明察のとおりの「カジノ」というわけ。滞在中3回目になるが、果たして勝敗の結果は?しかし、残念なことに24時間営業と思いきや、昼間はスロットゲームやキノとかのマシンゲームオンリー。で、なんとなくの時間つぶしに終始する羽目に。が、結局ここのマシーンゲームに挑戦してみる。結果は、トホホの20ユーロのマイナス。こんなことならホテルに戻ろうと思う。で、パリやロンドンでもよく見かけるチェーンレストランの和食、「ワガママ」で昼食をすませてから、ホテルロビーにて時間調整をする。

 ユーロスターの一等席は快適。パリまでの間、かなり混雑する車内を座席指定ゆえの特権でリクライニングシートに揺られて読書三昧。が、途中でトータル2時間遅れの停車。8時の予定が夜の10時にパリ北駅に到着する。(じつは、遅れた時間は途中のハーグで電車が止まっていたからなのだ。理由はわからない。ただ、このハーグにはフェルメールの有名な絵画「真珠の首飾りの少女」と「デルフト眺望」「ダイアナとニンフたち」の3点が、マウリッツハイス美術館に納められていて、こんなことなら途中下車してでも見ておけばよかったと後悔した)

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マリファナと飾り窓の女

朝食:ホテルビュッフェ(パン、チーズ、ハム、ジュース、コーヒー)
昼食:アムステルダムの中華街(湯麺、北京ダック)
夕食:ライツエ広場のカフェで(パン、クリームスープ、シーザーサラダ、コーヒー)

 ホテルを出てトラムに乗り、5番線でオランダのアムステルダムのセントラルステーションまで行く。駅前からカナルバス(運河周遊船)で水路を使い、「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクの家の前まで行く。船というよりボートと呼んだほうが近い感じのこれは、一昨年息子と行ったコペンハーゲンの運河巡りにも似ている。

 船を降りると、なんとまだ11時だというのに故アンネ・フランクの家の前は観光客の作る行列でズラリとすごい人だかり。世界中からの観光客たちだ。圧倒的な人気のほどをうかがわせる。1時間以上の行列の覚悟が必要だ。うーん、こりゃダメだとばかりに諦めて外から見学をする。中学生の時に読んだことのあるこの本は、ナチのユダヤ人狩りから逃れるために、アンネが家族と一緒にこの家の4階の扉の裏に隠れ住んでいた時の様子を綴ったもの。後年発見されて有名になった。丁度、日記にも出てくる隣りの西教会の鐘の音が鳴り、ああ、アンネたちもこの音を毎日聞いていたに違いないと思うと、戦争の無残さが身に染みて感じられる。

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 ラートハウス通りを歩いて、ダム広場に行く。13世紀にアムステル川をせき止めてたダムの跡地。で、アムステルダムと呼ばれようになり現在は市民の憩いの広場になっている。ここから少し歩いた運河沿いに政府公認の公娼制度のある、「飾り窓の女」街がある。入り組んだ小路の両側の壁にいくつもの窓があって、ガラスの向こうから下着姿の様々な女性が、道行く私に向けて誘いの微笑を送ってくる。後ろには真紅のベッドなどが垣間見れて、いきなりここでなんだと少し驚く。しかも、乳児を乗せた乳母車を押す一般市民などが日常的にこの道を使っている。スゴイというべきか、ナンというべきか。

 運河と併行している道の途中にある中華街で食事。この辺り、ポルノショップ、マリファナショップなども多い。マリファナは1人30グラムまでは公認なので、道に腰掛けて若い女性2人でマリファナの手巻きタバコを楽しそうに回し飲みしている。店の前には鉢植えのマリファナが置かれて、英語では「キャナビス」というが、まるで紅茶のティーバックのようにブランドに小分けして販売している。モチロン栽培セットのようなものも売っている。ここで言う「コーヒーショップ」はつまりキャナビスショップのことで、喫煙具なども売っているし、カップルなど歩きながら仲良く交互に吸い回しをしている。もちろん、日本では考えられない光景。スゴイね。

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 ワーテルロー広場の蚤の市に行くが、ここでもキャナビスを売っている。なにしろ、店先で盆材のように栽培までしているのだ。しかもクッキーにしたり、飴にしたりして売っている。わたしもグリーン色したキャナビスキャンデーを買ってそれをしゃぶりながら近くの「レンブラントの家」を見学。大邸宅と呼ぶほどでもないこの家、レンブラントはここで世界的名作「夜警」を描いたそうだが、あの大きな絵をどうやってここから運び出したんだろう、と幼稚な疑問が湧く。

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 それにしても、「マリファナ」「飾り窓の女」「レンブラント」の三題話など日本では考えられない。そうそう、キャンデーですが幸か不幸か「飛びます、飛びます」、にはならなかった。

 ホテルに戻る。夕方、アンティーク街でフェルメールの絵の中に描かれているのと同じタイプのデルフト焼のタイル(1675年製)を一枚記念に購入。75ユーロ。その後、またカジノへ向かう。150ユーロの投資で240ユーロを稼ぐ。かなり楽しい。勝ったから言う訳ではないが、ギャンブルにおけるわたしの信条は、「深入りしない、大金を賭けない、ゲームを楽しむ気持ちで」を心がけている。

アムステルダム

朝食:ホテルビュッフェ(ベーコン、卵、レーズンパン、コーヒー)
昼食:ゴッホ美術館前の屋台のホットドッグ
夕食:パック入り寿司 野菜スープ コーヒー

 ブリュッセル南駅から電車でオランダ、アムステルダムへ。12時前に無事アムステルダム駅に到着。タクシーでホテルまで行く。荷物をホテルに預けて、早速目の前のゴッホ美術館へ行く。が、観光客が作る長蛇の列をみてこの様子だと30分以上は並ぶことになりそう、と前の屋台でホットドッグを買い頬張りながら考える。近くのアムステルダム国立博物館の様子を見ることにする。こちらのほうは10分くらいで入れそうなので先行させて、入館する。

 いきなり、「つかみ」というべきかバルトロメウス・ファン・デル・ヘルストの、「ミュンスターの講和を祝うアムステルダムの市警団の宴会」がデーンと正面に飾られている。このミュージアムの目玉はレンブラントの、「夜警」だが、それよりこちらのほうが上手ナンじゃあないの、と言う作品。オランダ共和国が独立を認められて、そのための祝宴を描いているが、描かれている実在した人たち25人のそれぞれが小物を含めて実に細かくよく描けている。

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 そしてやはり、「夜警」だ。絵の中の人物が今にも動いているように見える名画。昔の人はすごい!ところでここのイチオシ3枚は以上の2点とフェルメールの「牛乳を注ぐ女」でキマリ。フェルメールのほうも精緻にして構図の確かさとモデルの安定感を強く感じる。オランダの光の中で日常の生活の永遠を感じさせる作品として絶品!

 【謎解きフェルメール」小林頼子・朽木ゆり子著、にこうある。『モティーフ、構図構成、色彩といったすべての要素をすっきり整理したミニマムな室内空間を、さらに独特の“光”で満たしてゆくことで、どの画家ともちがう深々とした世界をフェルメールは現出させました。光の表現だけが、禁欲的な画面の中で唯一、強い自己主張を感じさせます。自分の絵の見せどころがよくわかっていた人なんだと思います。

 やろうと思えば何でもできる技術を持っていたのに、求める絵画世界の実現に必要な才能を自分のなかから取捨選択し、ぞれをコントロールして使うことが出来た。同時代のほかの画家たちは自分の才能を全部吐き出すんですよ。だから総花的な、まるで技巧のショールームみたいな絵になる。それとは対照的な“引き算の美学”がフェルメールの魅力でしょう。

 《牛乳を注ぐ女》にはちょっとした仕掛けがあって、いつもは幾何学的透視法に厳格にのっとって描くフェルメールが、ここでは透視法的正確さを無視しているんですよ。牛乳を注ぐ女性を主役としたシンプルな画面構成を実現するためには、透視法上の整合性を無視してみせる大胆不敵さもフェルメールは持ち合わせていたわけです。このオランダ人画家が描く静謐な室内空間が、写実のようでいてどこか不思議な非現実感を孕んでいるのはそのせいじゃないでしょうか。ほんと、驚くべき才能ですね。】と。

 館外に出て、名画で満たされた充実感にうっとりしながら歩いていると、ゴッホ美術館の行列が先ほどよりは少なくなっている。これなら4,5分で入館できるかも、と思い並んでみる。すぐに入館して対面。ああ、ゴッホだ。やっとゴッホだ。ついにゴッホだ。という気分。当たり前だが館内、ゴッホの作品で一杯。再び新たな感動に包まれる。なにしろ、ゴッホだけでも読んだ本がこれまでに沢山ある。書き出せばきりがないので、ここでは書かないが、この美術館、イチオシは「ひまわり」、「花瓶に生けたアイリス」、「烏の飛ぶ麦畑」、「収穫」、「自画像」とどれもいいのだが、ここで実物を見て、なんて綺麗なんだと感激した作品は、3部作の「花盛りの桃の木」、「花咲くスモモの果樹園」、「花咲くアンズの果樹園」に決定。

 二つの大きな美術館をたっぷりと堪能して、熱くなった頭を冷やすためにホテルに一旦戻り部屋で小休憩。しばらくして落ち着いたところでまだ街中を歩いていないことに気がつき、支度をして外に出る。運河の街、アムステルダム。ライツエ橋を渡ったすぐのところにカジノがある。たまたま持っていたパスポートを見せると中に入ることができる。気分転換に少し遊んでいこうと思いまずはルーレットで運試し。が、チップに替えた100ユーロがあっという間にパー、となくなる。フン、これだからルーレットは嫌いだ、などとぶつぶつ呟きながらブラックジャックの台に座る。これがよかった。

 手始めに50ユーロをチップに替えて挑戦。どういうわけだか連勝連勝で一時間くらいで200ユーロになる。いい腕だね、と自分を褒めて深入りはしないで現金にチェンジ。外に出る。運河に架かる橋を渡り、ニュースピーグル通りを歩く。さすがに夜の7時半を回っているので店は閉まっているが、ここは骨董街と呼ぶべき通り。ウインドウに越しに見る品は骨董と呼ぶより美術品と呼ぶのにふさわしい品も多い。

 突き当りをUターンして、ライツエ通りを通ってホテルに戻る。途中、大道芸人が楽しい芸を見せて、道行く観光客の目を引いている。夜といっても明るく、街中がお祭り気分に満ちている。広場を囲んでカフェが取巻いていて、世界中から集まる観光客たちはビールやエスプレッソを飲みながらそれらを眺め楽しんでいる、和やかな光景。それにしても、なんて外国からの観光客が多いんだろう。小泉首相が外国からの観光客の誘致をテレビでPRしていたが、我が島国ニッポンは海外にどう映るのか。

広場のストリートパフォーマー
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サブロン広場のフラマン

朝食:ホテルビュッフェ
昼食:エクモン庭園カフェで(サンドイッチ3種、エスプレッソ)
夕食:牛肉ヤキソバ 八宝菜 ジャスミンティ

 なにしろ言葉がわからない。ホテルのフロント嬢は英語で可愛く挨拶を交わしてくれるが、タクシーではフランス語か、ベルギー語以外にはなかなか通じないようだ。で、地図を見せて「パレス・ジュ・ド・バル」と言う。どうにか通じたようでわたしをブリュッセルの南駅に近い蚤の市に連れて行ってくれる。

 イマチューレ・コンサブション教会の前の石畳に展開されているガラクタ市。食器、家具、ガラクタ、いろいろ、などが広げられている。売れそうなもの、使えそうなものがほとんど見当たらない。が、安くて楽しい雰囲気が充満している。自分では掘り出し物と思ったいくつかをゲットする。

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 広場から続くプレ通りが、いわば骨董通りに当たる。そこを歩くとなかなかいいアンティークショップや雑貨の店がいくつかある。安くて、売れ筋のものも見つけ出すことも出来そうで、商売にはなりそう。

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 真っ直ぐに歩いてシャペル駅近くの小さくて雰囲気のある教会を覗いてから、グラン・サブロン広場へ。この辺り、気の利いたショップやらカフェが多いところ。フランスにあるわたしお気に入りのインテリアショップ「フラマン」がある。店の中に入る。右手にインテリアとガーデニングの本を売るコーナーがあり、独立しているショップの作り。隣にはオープンガーデンがあり、正面にその庭を眺めながら食事の取れるカフェが用意されている。インテリアのほうはいくつかの部屋に分かれてディスプレイされていて、茶色とアイボリーの色使いで統一されている。まるで知り合いの家庭に招かれたようなつくりになっていて、寛いで商品選びが出来る。多分、この売り場のセンスは世界一だろうと思われる。是非、ブリュッセルに行かれた方はお立ち寄りを。隣にある、キッズの「フラマン・ジュニア」の渋くて可愛いインテリアにも泣かされます。

 エグモン宮殿隣りの庭園カフェで昼にする。陽が出てきて暑くも無く、寒くも無い陽気。快適気分での食事を終えて、ワーテルロー通りに出る。ブランドショップが林立する通りを通って「ベリギー王立美術館」へ行く。やはり王立というからにはすごいんだなー、と感心する。古典部門は15世紀から始まる。ハンス・メムリンク(1440-1494)、ピーテル・ブリューゲル(1627-1569)、子のピーテル・ブリューゲル(1564-1638)、17世紀のルーベンス、ヴァン・ダイクと続く。

 が、さらに良かったのは隣接する近代美術館だ。レベルが高いコレクションで、シスレー、ゴーギャン、ピカソ、ブラック、マルグリッド、ミロ、ダリなどキラ星の如く展示されている。イチオシの選択は難しいがシャガールはどうだろう。ここにあるシャガールの3点はどれも素晴らしい。同じ作家でも出来不出来の差はあると思うのだが、この3点は当たりと確信する。

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 付け加えたいのは、ここの若い女性キューレーター(研究員)だ。館内の特筆すべき絵画の前の10人くらいの人たちを相手に、かなり熱の入った説明をしていた。モチロン、言葉はわからないが、30分近くをかけて一つ一つの絵について解説している。うらやましい環境。このグループが立ち去った後、熱心だった絵の前に行ってプレートを見ると「Anna BOCH」コート・ダジュール1901(印象派)とあった。

 さて、美術館を出てから高台にある最高裁判所前のビューポイントで、ブリュッセルの市街を一望する。そこからシースルーのエレベーターで下に降り、オート通りのカントリースタイルのアンティークショップを見つける。店内に入ると日本人の若い女性3人がカフェ・オレ・ボールの品定めの最中。やはりブームってすごい、と感じる。わたしも彼女たちが立ち去ってから、カフェ・オレ・ボールをチェックするが、フランス製とオランダ製のものだった。安かったが、買えば重い荷物となってパリまで運ばなければならないし、もう充分買い込んでいるので諦める。これからまだフランスとオランダにも行くわけだしね。

 ブリュッセル公園近くのデュカール通り43番地をチェックする。ここはローラ・アシュレイが事業に成功してから買って別荘として使っていたところ。現在の所有者は違うのだろうが、近くにアメリカ大使館などがある落ち着いた佇まい。

 ア-ルヌーボー様式の建築で有名な、ブリュッセル中央駅を通り抜けてホテルに戻る。6時半。ナンと9時間もの間、市内を歩き回っていた勘定になる。で、少し痩せてきたみたい(本当に)。シャワーを浴びて素裸でシエスタを貪る。

 夜、ギャラリー・サンテュバール近くの中華料理店で食事。綺麗な店内だが客は他に誰も居ない。ウエイトレスにスプーン、フォークではなくて箸を貰う。「チャイニーズ?」と訊くので「ジャパニーズ」と答える。若い笑顔がいい。店内のBGMに中国人歌手の歌う歌。さしずめ日本の演歌に近い。歌詞はわからないがなぜか、切々と胸に沁みる。郷愁?哀愁?わたしはやはり東洋人なのだ。

小便小僧

朝食:バルパス空港内キャフェテリア(チョコパン、生ハムサンド、コーヒー)
昼食:SNブリュッセル航空機内食(ピザパン、ケーキ、ジュース、チョコ、コーヒー)
夕食:ムール貝(鍋一杯) 生牡蠣(半ダース) オリーブ パン ビール

 朝、マドリッドのベストウエスタン・アロッサホテルをチェックアウト。地下鉄グランビア駅から乗り換えてバラバス空港でチェックイン。SNブリュッセル航空3720便で、11時近くには離陸して1時過ぎにはベルギーのブリュッセルに到着する。早い。

 降下する飛行機の窓から眺めるブリュッセルの景色は、緑濃いイギリスに似ている。気候は先ほどまで居たスペインとは大違いで寒い。飛行機でたったの2時間しか離れていないのにね。市内中心部のホテル・クイーン・アンへチェックイン。近代的ホテルの白い色の部屋。荷物を置くと長袖シャツ、セーターに着替えて早速市内探訪に出かける。

 歩いて近くに高級ショッピングモールの「ギャラリー・サンチュベール」があり、ガラスの屋根の明るい空間。横切るように多様なレストラン街が存在する。ベルギー名物ムール貝の料理や、魚介類、チョコレート、ワッフル、ビールなどなどと各国からの観光客で混み合っている。市民と観光客の集いの場、グラン・プラス広場に出る。

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 ガイド本には『市庁舎をはじめ王の家(市立博物館)、ブラバン公の館など、ベルギーで商工組合(ギルド)が台頭した時代の建物が丸ごと残る広場。この一帯は世界遺産に指定されている。かってフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーは「世界一美しい広場」と讃え、ジャン・コクトーは「絢爛たる劇場」と称した』とある。

 観光客が買って食べているワッフルを買ってみる。さくっ、モチモチッとした生地の上に山盛りの生クリームが載っている。間にカラメルがかけてあり、甘いがしつこくは無い。これをハフハフ、もぐもぐやりながら小便小僧の像があるところまで歩く。

 本には、ブリュッセルの街が包囲されて爆薬を仕掛けられた時、爆破寸前に1人の少年がおしっこで導火線の火を消した。その勇気ある行動を称え、銅像が建てられた。とあるが思ったより実物は小さい。像の前で観光客が写真を撮る姿は世界中どこも同じ。

 グラン・プラス広場まで戻り、角にある英雄「セルクラースの像」の前に立つ。この像の肩をなでると幸せになるという言い伝えがあるそうだ。モチロン迷わず、なでなでする。

 反対側にある「ビール博物館」へ入り、地ビールを振舞われる。無料。喉も渇いていたのでひと息で、グビッと飲る。とても美味しい。ホロ酔いでホテルに戻り、シエスタ。

 夜、グラン・プラスの近くのシーフード・レストランの呼び込みにつられて入店。生牡蠣、クリーミーで美味しい。ムール貝も身がプリプリで美味しい。

マドリッドの闘牛、ラストロ蚤の市

朝食:ホテルビュッフェ(クロワッサン、ハム、玉子、バナナ、コーヒー)
昼食:バルで(パエリア、蛸と野菜のマリネ、ビール)
夕食:春巻き フカヒレのスープ 蟹炒飯 ビール ジャスミンティ

 日曜日なのでラストロ蚤の市に出かける。まず、ホテルから歩いてマヨール広場まで行く。ここでは切手市が開かれていた。切手は勿論、様々なラベル、コイン、葉書、シールなどが売られていたり、交換したりされている。広場の回廊をぐるりと囲んだ状態なのでかなりの規模。掘り出し物、ありそう。ワイン、葉巻のラベルなどを数点買い求める。この広場、昔は闘牛や、宗教裁判なども開かれていたと聞くが、さもあらんかなり広い。

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 ここからトレド通りに続くゾロゾロとした人混みの後をついて行くと、自然とラストロ蚤の市につながる。500年も続いているマドリッドの名物市だけあって、かなりの規模。しかもどこから湧いてきたのか物凄い数の人々。大混雑。蚤の市の売り物は新旧混在で、衣類、アクセサリー、靴、電化製品、その他玉石混合なんでもありの状態。勿論、高級なアンティークあり、ジャンクありの楽しい市。わたしもここでいくつかのジャンク品を買い求めた。

 古い写真、プラスチックのマリア像、小さな油彩の絵、古いコイン、シール、どこのものだか知れない装身具など。これらは後で、小さなフレームを作り、今回の旅の思い出の
小物を集めたコラージュを作るつもり。「コーネルの箱」を気取りたいのだ。

 「コーネルの箱」チャールズ・シミック著を評した池内紀はこう書いている。「パチンコ台ほどの大きさの木箱。中に古い写真や広告の切れはしが貼り付けてある。ゼンマイや歯車、模様入りの小石がくっついていたりする。糸が巻き込んであったり、ガラスの破片がはめこんであったり-。幼い頃にボール紙でつくった工作と似ているだろう。アメをなめながら見つめていた紙芝居の箱とも似ている。中にオハナシがひそんでいるぐあいなのだ。コーネルの箱である。アメリカ人ジョセフ・コーネル(1903-1972)は、このような箱をつくりつづけた」。

 
 「ティッセン・ボルネミッサ美術館」で見た、コーネルの箱(コンストラクション)の実物に影響されたかもしれない。わたし好みの箱である。子供の頃、学校からの宿題と嘘を言っていくつもこのような箱を作っていたことを懐かしく思い出す。ラストロの市からホテルの部屋に戻って、さすがに疲れた身体を休めようとベッドに横になり、そんなことをうつらうつら考えた。

 さて、闘牛である。夕方になり、ツアー会社に申し込んでおいたので、集合場所のホテルに出向く。驚いたことに、先客の中に知り合いがいた。わたしの以前の会社の間接的な上司である。現在ではその会社(年商500億円)の社長になっていて、その人もわたしとの偶然の出会いに驚いた様子。息子と一緒に夏の旅行に来たとかで、完全にプライベートだそうだ。が、なにしろ、顔を会わせるのは10年ぶりのこと。ラス・ベンタス闘牛場にバスで向かう間、お互いに近状を語り合う。

 
 闘牛場で、席が違うのでその人と別れて観戦。2万3580人収容のスペイン最大の闘牛場。入場前にガイドが闘牛についての手短なガイダンスをくれる。いわく、主役のマタドール入場までのプロセス、様式などだ。①ファンファーレ(入場)②パセイジョ(行進)③ノビリェーロ(闘牛士の卵)がカポーテ(色別の布)での牛のあしらい④ピカドールが牛の首が上がらないように槍を刺す「槍の場」⑤背中にパンデリリェーロが刺す「銛の場」で、やっとマタドールの登場。

 マタドール登場のクライマックス「メレタの場」で観客の歓声も一段と大きく盛り上がり、手負い牛との真剣勝負に「オレ!」「オレ!」の声が会場にこだまする。そして最後の一突き、エストカーダ(真実の瞬間)がやってくる。地面を真っ赤に血を流して牡牛が息途絶えて、闘牛ショーの一回分が終了する。これを6回繰り返す。初めて闘牛を見たわけだが、そして見応えもあったが、まっ、これ一回で充分と言う気がする。残酷で、わたしは闘牛に入れ込んだヘミングウエイには、なれそうにもない(もちろんなれないが)。

                 闘牛シーン(美しいんだけどね、残酷だ)

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古都トレド

朝食:ホテルビュッフェ(ハム、ソフトサラミ、炒り玉子、レーズンデニッシュ)
昼食:スパニッシュオムレツのサンドイッチ コーラ
夕食:シレーナ・ベルデで昨日と同じ海鮮プレート サラダ コーラ

 今日も一日暑い日の始まり。東京で言えばマドリッドの銀座に当たるセラーノ通りに行く。途中、コロン広場近くの国立考古学博物館に立ち寄るが見るべきもの少ない。

 セラノ通りにある、インテリア、服飾の「シビラ」本店をチェックしたかったのだが店内改装中につきクローズで残念。この辺りはブランドショップが多いが、ブランドに興味のないわたしはいっさい無視して、ユニークな雑貨店などをチェックする。

 レディーロ公園から地下鉄に乗り、王宮へ行く。贅を尽くした広大な王宮内部を眺めていると、この時代に税を納める側の庶民の生活などに想いがいって少々やるせない気分。それほど、贅沢な作りになっている。入り口近くのアルムデナ聖堂に入り、正面のキリスト像に見入りながらしばし休憩。

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 近くのオープンカフェで昼にする。ここは夕べ、フラメンコでご一緒した女性のお勧めカフェ。パイレン通りに面した木立の中の絶景レストランで、渓谷のような窪みを正面に王宮とアビラ方面の街並みが遠望できる穴場。木陰なので涼しい。

 スパニッシュオムレツ、茹でたポテトをベースにしたオムレツをバゲットのパンに挟んで巨大。とにかく大き過ぎて半分も食べられない。で、飲み物はコーラ。とにかく、この燃えるように乾燥した気候では、コーラが一番。喉の渇きを清涼感が癒してくれる。日に5、6杯は飲んでいる勘定になる。日本ではほとんど飲まないのにネ。旅の疲れを少し感じる。腰の痺れや痛みはあまり感じない。わたしの興味や関心が外に向かって全開なのであまり感じないのかもしれない。

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 ゴヤもウエイターとして働き、ヘミングウエイも絶賛したレストラン「ボディ」を横目に、小走りに慌ててマヨール広場を駆け抜ける。うっかりして今日の「トレド半日観光」と言う、日本でネットから申し込んでおいたバス旅行の集合時間にぎりぎりになってしまった。が、何とかバスに間に合い11人の日本人参加者と共に1時間半かけて世界遺産の古都トレドに向かう。

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 マドリードの南、約70kmに位置するトレドは、1500年以上の歴史があり、中世の面影を今も残している。タホ川に囲まれた高台にある美しい街は、ローマ時代からの城塞都市として、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教文化が混在する。4時過ぎの到着だが外はまだまだ明るい。日本人女性のガイドの案内が、とても詳しくて楽しい。こういう場合ツアーをチョイスして大正解。

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 カテドラルの巨大な祭壇のガイドなど物凄く興味深くて、思わず日本へ帰ったら聖書をもう一度読み返したいと真剣に思う。やはり西洋美術を理解するにはキリスト教についての知識は不可欠。この世界、なんとも興味深くてはまりそうな気分。グレコとゴヤの祭壇画が掛かっていて、絵を前にガイドの説明を受けるとこの二人の宗教に関する考え方の違いが明確に理解できる。

 続いて、ユネスコが世界三大名画と決めた、グレコの最大にして最高の傑作「オルガス伯爵の埋葬」をサント・トメ教会へ見に行く。この絵はこの教会のこの棺の前に掲げられるようにして描かれており、天上界と地上界の二つに分かれて描かれている。400年前から一度もこの部屋から出たことも無く、今後も出る予定はないとの事。しかも、教会はこの絵一枚を見に来る世界中の観光客のために壁を仕切ってしまう。

 ちなみに、三大名画のうち他の二枚は昨日見たプラド美術館の「ラスメニノス家の肖像」ベラスケスとこれから行く、オランダのアムステルダムにある国立美術館所蔵の「夜警」レンブラントの二枚。くしくも、今回の旅行で3枚とも眼にすることになる。

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 やっと暗くなる頃、バスは市内に帰り着き解散。ホテルに戻り、一休みしてから昨日と同じシレーナ・ベルデで夕食。10時半になりホテル近くの映画館でユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンのスペース・ファンタジー映画「ISLAND」を観る。スペイン語に吹き替えてあるが、ストーリーは単純で解りやすく充分楽しめる。それにしても、わたしは結構元気だね。


プラド美術館

朝食:ベストウエスタン・アロッサホテルのビュッフェ
昼食:シレーナ・ベルデで(炭火焼シーフードの盛り合わせプレート、白ワイン、パン)
夕食:フラメンコショー会場で(サングリア、パン)

 巨泉本にはプラド美術館についてこうある。『最初に訪れた時、「ルーヴルやロンドンのナショナル・ギャラリーと違って、ここには一点の戦利品も略奪品もありません。すべてはスペインの王室が描かせたか、買い集めたものです」と言われた。それは事実で、さすが16-17世紀に世界最強を誇った王国だっただけのことはある。その上この国には、ゴヤを筆頭に、ベラスケス、リベーラ、ムリーリョなど、世界的な一流画家が生まれており(ギリシャ生まれだが、エル・グレコもここで一生のほとんどを過ごした)、彼らの作品だけでも一流の美術館たり得る。その上、美術に理解のある王様や王妃が多く、イタリア、フランスから、かなりの名作を買い入れている。じっくり見て廻るなら、一日では足るまい(小宮悦子さんは真ん前のホテルを取って、一週間通いつめたそうです)』

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 さて、本日のメインイベント「プラド美術館」に午前中に入館。ゴヤ門から入ると正面の壁に見たことのある顔が掛かっている。ボッテチェリだ。去年のフィレンツェのウフッツイ美術館以来のご対面。そうここには、フェリーペ2世が集めた14-16世紀のイタリア絵画がたくさんある。現存作品が30点にも満たないボッシュの「悦楽の園」、色彩の魔術師ティッアーノ描くところの官能的裸体「バカナール」などである。そして、オオッいきなりエル・グレコの「胸に手を置く騎士」だ。意図あって(かどうかは知らないが)手を詳細に描くことで表情を際立たせた絵。見つめると吸い込まれそうになる。とにかく、名画がごろごろ。興奮して、いてもたってもいられない不思議な気分に襲われる。

 2階へ上がる。ナンと、最初の部屋にゴヤが登場。しかも生涯たった2枚しか描かなかった妻の肖像画の一枚「ホセファ・バイユー像」だ。これがすごい。既婚もしくは恋人の居る男性で、この絵をじっと直視できる男はそうはいるまい。諦観、侮蔑、非難、後悔のすべてがこの化粧っ気の無い彼女の表情(感情は眼に、意思は口元)に見て取れる(超こわいよー)。すべて見すかれていそうでおもわず、ごめんなさーいと叫びたくなる。

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 伊集院本にはこうある。『妻の兄、フランシスコ・バイユーの推挙でカルトン画を描き、アカデミーの会員にもなれたし、異端尋問に引っ張り出されそうだった時も助けたのはバイユーである。なのにゴヤは妻に対しては冷淡であったらしい。愛称をペパと言う。ペパは生涯20回妊娠した。無事成人したのはハビエールひとりだ。公爵夫人と浮名を流し、遊び回っていた精力家の夫を、この妻はどう見ていたのだろうか。スペインの一般の女性は質素である。家を守り、子供を育て、一日中働いているのがスペインの女だ。カソリック精神を背負って男に仕え、敬虔に生き抜く。男のほうは外で遊ぶわ、喧嘩をするわ、騒動があれば棍棒を、ナイフを手に命懸けで渦の中に飛び込む。それが何百年も続いたのがスペインだ。』

 この「ホセファ・バイユー像」の隣りの21室に「裸のマハ」と「着衣のマハ」の2枚が並べて展示してある。告白すれば、わたしは女性の裸体(陰毛つき)を初めて意識したのがこの絵だった。小学生の頃だよ。ご多分にもれず、切手収集が趣味の少年だったわたしが、この2枚の「マハ」の切手を見て(実物を持っていたわけではない、カタログかパンプレットで眼にしたのだろう)、何か見てはいけないものを見たような気恥ずかしい思いで眺めていたのを懐かしく思い出す。50年近く経ってホンモノとご対面。思っていたより大きな絵で、200年も経っているのに瑞々しい。少年の頃のように胸がときめく。思わず、見とれてしまう。

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 それにしても、このプラド美術館。西洋絵画(特に宗教画)の、こってりした饒舌な味わいを堪能したい人にはもってこいかもしれない。が、旅行中にチョイ軽く覗いてさっと通り過ぎる程度では、到底無理。歴史や文化、宗教をもっと知らなければ、私のような東洋人の感性では太刀打ちできない。とにかく、濃い。観ていて、目眩がするほど濃いナニカを感じてしまう。

 とはいうものの、そこはさすがに名画。頭脳の底から湧いてくる知りたい、あるいは観たいという欲求を、一種の爽快感を伴って充たしてくれる。なので、決して食に当たったような不快感を感じることはない。

 「ティッセン・ボルネミッサ美術館」に行く。この美術館のわたしのイチオシ。ドガ、カンディ
ンスキー、ピカソ、シャガール、ホッパーなど好きな絵が目白押しだが、何といっても感激したのがゴッホが自殺する2ヶ月前に描いた多くの名作の中から「オーヴェールのヴェセノ」。ナンという明るさ、ナンという美しさ、これは写真やポスターでは決して味わえない実物ならではの力。なにしろピカピカ輝いている。遠くに描かれた小さな家の一軒だけの赤屋根の色と、麦畑を横切る明るいブルーとグリーンの色、こんなのゴッホでなければ描けない。こんな絵描いたら死ぬっきゃない、とヘンな納得をしてしまう。感動しますよ。

 ホテルに戻り、昼食を昨日のハムの店近くの海鮮料理店「シレーナ・ベルデ」で。冷えた白ワインが美味しい。ガブガブ飲りたいところだが、そんなことをしたらこの暑さ、たちまち酔っ払って大変なことになる。ここは水も追加して、炭火焼シーフード盛り合わせをオーダー。ハマグリ、ムール貝、海老3種、ロブスター、マテ貝、烏賊、そして半切りのレモンがごろごろ付いて来るのでたっぷりと絞りかけて食らいつく。ものすごく旨い!デザートのココナツ入りアイスクリームも美味しい(39ユーロで日本語メニューもありマネージャーの対応も気が利いている)。

 夕方、「国立ソフィア王妃美術センター」でピカソの「ゲルニカ」を見学。満足する。ホテルに戻らずに、その足でダブラオと呼ばれているショーレストランへ行き、本場のフラメンコを堪能。店は1956年にオープンした格式ある老舗の「コラル・デ・ラ・モレリア」。店の主人に案内されて、先に来ていた日本人女性とテーブルが同席になる。一人旅だというこの人、ラッキーなことにスペイン語が少し話せてフラメンコが詳しい。で、うれしいことに、いろいろとわたしに解説をしてくれる。チョイとしたデート気分を感じる。

 今夜のゲストは「ブランカ・デルレイ」という当地では有名なダンサーだそうで、なるほど最初に踊った若い女性ダンサーが踊り終わって肩で息をしているのに、彼女の場合息も切れていない。圧倒的な迫力を感じる。年齢は不詳だが、顔は越路吹雪と嵯峨美智子(古いねー)を足して2で割った感じ。迫力満点の美人でしたよ。ホテルに戻ったのが、夜中の一時半だった。夜遊び、大人の文化を感じた夜でした。

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イベリコ豚の生ハム

朝食:カプチーノ カットフルーツ レーズンパン
昼食:バルの料理2種 エスプレッソ
夕食:パン 生ハム サラミ 生ビール

 早朝、地下鉄のグレートポートランド駅からパディントン駅まで行く。ヒースローエキスペレスのホームにてチケットを買い、ブリティッシュ・ミッドランド航空のカウンターでチェックインを済ませる。空港のカフェにて朝食。美味しいカプチーノは禁断の味、はまる。

 BD481便にてマドリッドへ。12時着。飛行機の窓から見るマドリッドは、イギリスのそれとは違い砂漠の光景の中に飛び込んでいく感じ。晴天。いや猛暑だ、物凄く暑い。街中を歩くとたちまち汗が吹き出る。訊けばアフリカからの暑い風がスペインに吹き付けているとかで、昨日までの涼しいイギリスから来た身としてはこたえそう。

 荷物をホテルに置いてから、大通りのグランピアからスペイン広場まで歩く。途中、昼食にと勘で選んだバルに入る。勿論スペインは初めてなので言葉は皆目解らない。が、そこは観光地ゆえの便利さで、見よう見まねで食べ物を注文することが出来る。カウンターでは客がビールを飲み、料理をパクついている。目の前のケースの中に並んだ料理を指差して店員にオーダーする。一つは烏賊、ムール貝、たまねぎ、ゆで卵の白身とポテト、蒲鉾のようなものを酸味の効いたドレッシングで和えたもの。もう一つは同じような素材をマヨネーズで和えたもの。それほど旨いものでもない。が、量が多くて半分ほども残してしまう。

 スペイン広場でドン・キホーテと従者のセバスチャンの姿をカメラに収めて近くのデパート三越を覗く。客は1人も居ない。3フロアーあるが日本人の店員が書類に書き込みをしていて顔すら上げない。訊きたい事があって訊ねたが目も会わせず、木で鼻をくくったそっけなさ。気分悪い。ロンドン、パリの三越とは大違い。

 地下鉄に入り、回数券を買い、マップを頼りにオペラ駅経由ソル駅で降りて、王立フェルナンド美術アカデミーへ。ここにゴヤの自画像がある。それにしても、見学者はわたし一人だけでまことにノンビリとして閑散としている。ゴヤと対面する。かなりの長い時間をその部屋で過ごすが、ゴヤの顔は意外にも普通のオジサン風で肉屋か八百屋の親父といった表情に見えてしまう。これがあの精力絶倫、出世意欲の塊といった人間の顔なんだろうか。

 ホテルに戻り、近くにある大橋巨泉氏お勧めの生ハムの店「ムセオ・デル・ハモン」に行く。カウンターでセルベッサ(ビール)、カーニャ(生)と告げるとコクのある美味しい生ビールがジョッキで運ばれてきて、つまみの皿にサラミの薄切りが数枚乗っている。「ハモン」(生ハム)と注文するとややあって、どんぐりの餌で育てたイベリコ豚の生ハムがパンと一緒に運ばれてくる。一口齧ってはビールをぐびっとやる。ああ、スペインにいるんだという実感がここで湧いてくる。

                       ドン・キホーテとセバスチャン、後ろは作者のセルバンテス
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ロンドンの印象派展

朝食:冷やしトマト 林檎 葡萄 マフィン コーヒー
昼食:バーガーキングのハンバーガー コーラ
間食:和菓子 抹茶 エスプレッソ
夕食:焼き鵞鳥のヌードルスープ 蒸し野菜のオイスターソース掛け ジャスミン茶

 たまった洗濯物を宿近くのコインランドリーで洗濯。待ち時間を今日もホテル裏のリージェンツ公園で日和る。天気のいい一日の始まりだ。ベンチでのびのび、本当に気持ちのいい公園だ。わたし的には多分世界一好きな公園と衝動的に思い込んでしまう。右の写真はケンジントン公園。

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 ピカデリー通りにあるロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催中の米・仏からの特別印象派展を見に行く。馴染みの少ない宗教絵画や歴史絵画と違い、自然の中の移ろい易い光の捉える一瞬をキャンバスに描き出すその技はやはり日本人にも解りやすく、入館すると壁に掛けられている絵の一つ一つが輝きだす。

 浮世絵の広重もあったが、ドガ、ルノワール、ミレー、コロー、マネ、モネ、ベンソンなどの傑作がふんだんに鑑賞できる。充実の時間を過ごす。ここでのイチオシはジャン・シャルル・カザンの「Riverbank with Bathers,1882」。描かれた場所はたぶん、フランスのフォンテンブローの森近く、グレー村に流れるロワン川に掛かる石橋の前。水浴する若い女性二人を佇んで見守る着物を着た若い召使いが描かれている。この地に魅了されて画題とした画家は多く、バルビゾン派は勿論、ここを訪れた外国人画家も多い。彼らは外光派とも呼ばれセピア色の微妙な色合いの表現に、しのぎを削る。

 やはり1875年頃にここを訪れた小説、「宝島」の作家スティーブンソンはこう書いている。「それは可愛らしく、とても物悲しげな平野の村である。沢山のアーチを持ち、蚊帳吊草をぎっしりと詰め込んだ低い橋があり、広い牧草地には白や黄色の羊草が咲き誇っている。無数のポプラと柳の木々。それらの上を、悲哀とゆっくりとした時の流れを含んだ大気が覆っている」と。

 宿に戻り、買い溜めておいた荷物のパッキングをしてスーツケースに入れてヤマト運輸まで運ぶ。航空便にてワンボックス25キログラムを2万円で送ってくれる。親切にして丁寧、柔らかな日本語が日本人のメンタリティにフィットする対応。

 キングス・ストリートで定点チェックを済ませて宿に戻る。あっという間に夜の7時になってしまう。が、日本で言えば3時頃の明るさに等しく、まだまだ樹木の緑が陽光に照らされて目に眩しい。明日からはスペインなのだ。

 ロンドン最後の夜は、ジャズでと思い予約はしていなかったが去年楽しかった「ロニー・スコット」へ行く。が、8時30分の時点で店の前には長蛇の列ができている。しかも若い人がかなり多く、お洒落れなロンドンっ子が目だつ。諦めて近くの中華街で夕食を済ませて宿に戻る。

おおダイアナ

朝食:自炊(スライストマト、マフィン、コーヒー)
昼食:テートブリテン地下のカフェで(野菜スープ、パン、茹でたポテト、サラダ)
夕食:ハロッズの地下カウンターで寿司

 朝食はホテル一階にあるキッチンで作る。冷蔵庫や流しは共同で使うので、めいめいがスーパーで買ってきた食材に自分の名前を書いて間違えないように冷蔵庫にキープしておくのだ。食器は備え付けのものを使うのだが、さすが日本人同士だけあって同宿の人と会話など交わしながら和気合い合いで楽しい。

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 食後、何時もここに泊まるとするように近くのリージエンツ公園を散歩。広大な面積に広がる青々とした芝生、緑濃い樹木、よく手入れをされて花を今が盛りと咲かせている花壇、噴水、小鳥の声、そしてよく晴れて真っ青な高い空。ベンチに腰かけて、時折横切る勤務先に向かうロンドンっ子の早足をぼんやりと眺める。あるいは、芝生の上で運動の準備をしている2,3人のグループや、子供を乗せてバギーを引く若い母親などの姿を眺める。

 それらを眺めていると、難解な哲学書や宗教絵画などからよりは、よほど人生の深遠を感じてなにやら落ち着いた気持ちになってくる。それほど気分がいいのだ。いや、リラックスするのだろう、ふとこの世の仕組みや成り立ち、総ての目的を悟ったしまったような不思議な万能感にちかい感覚に襲われる。

 気分がいいので、宿に戻らずそのまま歩いて行く。しばらく歩くとメルボーン・ビレッジと呼ばれるこぎれいな商店街のなかにでる。コンランショップがあり、キャスキッドソンの店舗もある。それぞれウインドウ・ディスプレイは秀逸で洒落ていてとてもシックだ。インスパイヤーされること多し。

 美術にふれたい気分だ。地下鉄に乗ってテート・ブリテンへ行く。主にイギリスの絵画が主体の美術館。ターナー、コンスタブル、ゲインズボロなどだが日本ではなかなかお目にかかれないこれらの絵が、自由にじっくりと眺めることが出来る。水彩のターナーに至っては彼専用の展示室もある。

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 わたしの選ぶ秀逸作品:Ford Madox作、「ペテロの足を洗うキリスト」1821-1893、John Everet Millais作、「Ophelia 1851-2」1829-1896、題材をハムレットからとったこの作品は神がかりしているほど美しくておもわず見入ってしまう。絵の前のベンチに腰掛けてこの絵をズーッと見つめている若い女性がいる。「そう、絵に語らしめるより絵を媒体に自身を語れ」という気になる。もう一枚隣に、「Mariana'85」があり、その隣にはArthur Hughs(1832-1915)の、「April Love」と「Avrora Leigh's Dismissal of Rommey1860」の2枚。この5枚のためだけにテートブリテン訪れても後悔はしませんぜ。

 コートルード美術館へも行く。ここはヨーロッパ最高の印象派コレクションで有名。モジリアーニの「裸婦」、食べてしまいたくなるほど魅力的。今までポスターやら美術本などで幾度と無く目にしたことのあるこの絵も、実物となるとぜんぜん違う。そうなんです、名画はホンモノを絶対に見るべきだと今回つくづく感じました。このことはパリでルーヴル美術館へ行ったときにもガイドが言ってましたが、よく出来た写真でもホンモノとは月とスッポンほどの違いがあります。そうだろうということは訪れるまえからわかっていたとしても、絵の具の厚み、瑞々しさ、それになんといっても本物の放つオーラがたまらない。他にゴッホ、ゴーギャン、ドガなどの名作が綺羅星の如く展示されている。こじんまりとした館内は比較的空いていて、絵を独り占めできるのでどっぷりと入り込んでしまう。

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 この美術館、印象派好きには堪えられません。かなりの作品がどこかで見たことがあるものばかり。実物をたっぷり時間をかけて幾度も各部屋を行ったり来たりして鑑賞する。たぶん、終日ここで過ごしたとしても退屈はしないだろう。一つ一つの絵がまるで語りかけてくるようでうっとりしてしまう。

 身体中に名画のオーラを浴びて、ポーっとした気分そのままハロッズデパートに向かう。相変わらずの賑わいを見せるナイツブリッジ界隈。階下の寿司コーナーで器用に箸を使うイギリス人たちに混じり、久しぶりの寿司。日本人の職人が握ってくれるシェフズ・スペシャル(鮪刺身、海老の握り、アボガドと鰻の巻物、緑茶で9,50£)。ロンドンの水にあうのか緑茶が美味しくて何杯もお代わりしてしまう。

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 この階下に降りるエレベーターの踊り場に、故ダイアナ妃に恋人のドディが贈る予定だったダイヤの婚約指輪が展示してある。キラキラ輝く物凄くでかいダイヤ。そういえばハロッズのオーナーはドディの父親モハメッド・アルファイド氏だったな。

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 ハロッズを出ると、足は自然とハイドパークへ。故ダイアナ妃が好んで散歩したというダイアナ・ウオークへ向く。先ほどの故ダイアナ妃の写真の寂しげな面影がそうさせたのだろう。サーペンタイン湖の南側から歩いて橋の手前に今年出来たダイアナメモリアルパークがある。円形に池を囲んで水が流れている。子供たちが足を水につけて遊んでいるし、カップルの格好の寛ぎの場になっている様子。同じ道をダイアナも歩きながら何を考えていたのだろう?不幸だった結婚生活のことか?それとも世界中から地雷をなくすことか?(っな訳ないな、最近プライベートビデオが放映されていたが、その中でダイアナはあれは気まぐれのアイディアなのよと友達に電話してたし)わたしの息子に言わせると、ダイアナはビッチだと思っているイギリス人は多い、などと言うし。が、このメモリアルパークで遊ぶ人々を眺める限りは、幸せなはずだったよなー、と思い込みたい。

 しばらく歩き、左に今は主無きケンジントン宮殿を見て、アルズコートから地下鉄で帰る。と書くと簡単なようだがご存知の方ならその距離を考えただけで、もかなり歩いていることがわかるはず。旅は足が命だ。

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