2005年03月

カンボジアから帰国

朝食:カンボジア航空KT-8540便機内食(オムレツ、パイナップル、コーヒー)
昼食:佐倉PA(立ち食い天ぷら蕎麦) 
夕食:納豆 ほーれん草の胡麻和え 味噌汁(ナメコ) 沢庵 ご飯

 午前10時に成田着。飛行機が夜中の出発だったせいか家についてから眠くなる。シャワーを浴びてからベッドに潜り込む。3時間ほどぐっすりと眠る。夕方、外に出かける気がしないので夕食をキッチンで作りながら録画しておいたビデオを観る。

 旅を振り返る。あっという間だった感がするが、今回のようなケースではツアー旅行が便利。個人旅行ではなかなか面倒なことも多く、毎日3食ついて、ガイドさんの適切な解説もついてしかもポイントをはずすことなく添乗員たちの快適サービスを受けられる。場所にもよるが、今回のような場合は大正解と感じた。とくに旅行社の若い女性添乗員のKさんはわたしの息子と同い年で、見ていてまるで自分の子供を見ているような気がした。明るく、活発で、いつもニコニコ、年寄り客の面倒見がよくて感心した。願わくは、ういういしいこの気持ちを忘れることなくそのまま成長すれば素晴らしい添乗員になること間違いがない。感謝。

 また、他の参加者のいろいろな人間模様も楽しめてとても有意義だったと思っている。殆どの参加者がわたしの知らない土地に出かけているベテラン。中年以上の人たちの旅行熱といったものを初めて知った気がした。わたしも世界中を旅してきたつもりだが、、とんでもないところへ行っている人たちも多く驚いた次第。今回、多くの人と知り合いになりホント愉しませてもらいました。そう、ここでありがとうございましたとお礼をしておきます。さて、お次はどこに出かけましょうか。

トンデ・サップ湖

朝食:ホテル内ビュッフェ
昼食:市内日本料理(野菜鍋、ビーフン炒め、さつま揚げ、バナナの天ぷら)
夕食:市内カンボジア舞踊レストラン(炒飯、ビーフン蕎麦、ビーフ甘煮揚げ、他)

 最終日の午前中、アンコール築都以前のハリハラーラヤの都跡・ロリュオス遺跡観光。現在では水は枯れているが当時は、大貯水池(インドラタターカ)の中央の小島の上に建設されていたこの寺院は4基の祠堂に十字型に配置された、砂岩の長い水を送る樋が残っている。樋の交点にはリンガ(男性性器の象徴とガイドさんは説明)が設置されて、その上に聖水を注ぐと、四方に流れ出す仕組みになっている。これはクメールの農業を支える原点であった治水技術を民衆にアピールする狙いがあったという。

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                なぜか遺跡の中に一人でいた女の子

 さて、遺跡跡を巡っていると当然の如く物売りやら、物乞いが寄って来る。殆どがまだ小さな子供たちだ。つい、可哀相になり買ってやったり恵んでみたりする人も多いがどうなんだろう。果たしてそのことが彼らの自立を妨げることにもなりはしないか?と気になるところ。一度、どこの遺跡だったかは忘れたが、少女の差し出す絹織物のテーブルクロスが一枚500円ほどだったので購入しようとするが生憎彼女にお釣りがない。仕方なく買わないで私はバスに乗り込み、次の遺跡に向かう。遺跡について、見学を済ませて外に出るとさっきの少女が自転車に乗り息せき切ってお釣りを差し出した。思わず、追いかけてでも売りたい気持ちの健気さにチョイ胸を打たれる。ねえ、いい根性してるじゃない。できますか?今の日本の子どもたちにこんなこと。

 オールドマーケットに行く。バスの乗客全員が買い物モード。買う気満々でマーケットに降り立つわれわれはみやげ物、雑貨、生鮮食料品などのごった返す暗くて、臭いマーケットの中をうろつく。わたしもここで先ほど買った絹織物と同じものをお土産用に追加で数枚購入する。

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 昼食後、ホテルで休憩。その後トンデザップ湖遊覧観光に出かける。小一時間ほどバスに揺られてやっと到着。なにしろ湖近くの道は整備などされていないので、バスの後部シートに座っていたわたしなど、昼に食べた食べ物が口から噴出してくるのじゃないかと思うくらいに揺れた。上下に。ホントに、まったく。

 だが、市内を出ると数キロに渡り道の両側に立ち並ぶ椰子の葉で葺いた粗末な高床式の住居がびっしりと建ち並んでいるのが目に付く。もちろん電気、水道などない吹けば飛ぶよな小さな小屋は、それでも人が住んでいて、小屋の前では僅かな収入源である砂糖椰子の樹液を金盥で煮詰める光景がそこかしこで見られた。裸で裸足の子供たちは水を運び、日本人ボランティアが掘ってくれた井戸の水で身体を洗う。時には娘の頭の虱取りの光景も目にする。開発途上国という言葉が浮かぶが、この国が成長するにはもう、子供たちの教育しかないと感じる。

 湖の上では、やはりここも一万人ほどの貧しい水上生活者の場。筏のように浮いている粗末な船で生まれて、生活をして、死んでいく人生もあるとのことでいろいろと考えさせられる。水の上を金の盥に乗って木の棒を上手に操り器用にも我々の船べりに寄って来て無心をする子供たち。どうにも最終日にこんな光景気にしても仕方がないのだが、チョイ胸につき刺さる。

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 ホテルに戻り休憩後、民族舞踊を見ながらのビュッフェ式夕食。食べるもの豊富、食材様々、舞台の上は華やか、昼間の光景チョイよぎるが食べ過ぎて満腹。ホント人間ってヤツは。

東洋のモナリザ

朝食:ホテルビュッフェ
昼食:市内中華料理店(ライギョの唐揚、小松菜炒め、マーボ豆腐、ご飯、ビール)
夕食:市内のカンボジア舞踊レストラン(青菜の炒め物、小海老の炒め、ココナツカレー)

 バンテアイ・スレイ遺跡の観光。「女の砦」の意味を持つこの寺院は、当時のアンコール王朝の王師ヤジャニュバラーハの菩提寺として建設されたといわれている。シヴァ神とヴィシュヌ神に捧げられた、周囲が400mの小さな寺院で、外壁は赤色砂岩とラテライト、屋根の一部はレンガも使用された美しい遺跡である。

 優雅なレリーフ「東洋のモナリザ」を観る。かって、作家のアンドレ・マルローは、祠堂の壁面に施されたデパダー像に魅せられ、盗掘して国外に持ち出そうとして逮捕されたことがあり、後に「王道」という小説に話を著したことで有名。

 昼にホテルに戻るが、あまりの暑さに着いてすぐに水着に着替えてプールに飛び込み身体を冷やす。その後、ベッドの上でテレビを観ながらごろごろ。ちなみにNHKが2時間遅れで観られて、新潟では雪が振り続いているなどというニュースに接するとなんだかとても遠いところに居るんだという実感が湧いてくる。

 午後、タ・プロム、タ・ケワ、スラスランの遺跡三箇所を観光。なかでも、タ・プロムは東西1000m、南北600mものラテライトの壁に囲まれた広大な敷地にあり、1186年頃の僧院には5000人あまりの僧侶と615人の踊り子が住んでいたと伝えられている。しかもこのラテライトの住居や周壁の内部は迷路のように入り組んでいて、巨大に成長したスポアン(溶樹)に押し潰されながらもかろうじて寺院の体裁を保っている。熱帯で管理を行なわないとどのようになるかという自然の脅威を身に染みて感じる。

 アンジェリーナ・ジョリーの映画「ツーム・レイダー」のロケ地にもなったところ。さもありなんと思う異次元の世界に迷い込んだ気分。


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アンコール・ワット


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朝食:ホテルビュッフェ
昼食:市内レストラン(和食:大根の煮物、若布スープ、日本蕎麦、ビール)
夕食:市内レストランでショーを見ながら屋外のテーブルで(青菜の炒め物、ビール、他)

 さて、今日は世界文化遺産にも登録されている待望のアンコール・トム&アンコール・ワットの二大遺跡巡りの日。ホテルからホンの数十分で遺跡の入り口に到着。いきなり、背の上に人を乗せた数頭の象がのしのしと我々の前を通り過ぎていく。聖人だの猿だのの石仏群(神々と阿修羅がナーガの胴体を引き合う54対の像)がいとも簡単に登場してきて、我々は一気に約1000年前の世界に取り込まれてしまう。まず、高さ8mのラテライトの城壁に囲まれた王と神の都市、アンコール・トム(大きな町の意味)のバイヨン寺院へ向かう。

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 ガイドブックによると、アンコール・ワットに象徴される大伽藍の造営によって国内の精神的統一を図ったスールヤヴァルマン二世は、外征も積極的に行なった。その後、1177年のベトナムのチャンパ軍による王都略奪からアンコール地域を開放したのが、クメールの覇者と呼ばれるジャヤヴァルマン七世であった。このときに新たに建設されたのが都城アンコール・トムであり、同時に領土内各地で寺院建設、道路網の整備、102ヵ所の宿駅などが整備された。いわばクメールの帝国的支配の枠組みを造り上げたのである、とある。

 回廊の一大絵巻のレリーフ(浮き彫り)が有名だが、なるほど砂岩で出来た壁は彫りやすく様々な当時の暮らしぶりやら戦いの場面などが描かれており、美しく、解りやすい。が、なにしろ柔らかな砂岩の上に彫刻されたものだけに1000年もの間よくこうして保存がされたものだと感心するやら心配になるやら。保存が必要なのは当たり前だと実感で理解する。

 バイヨンのデバター(女神像)は有名な四面仏の観世音像で、これらの林立する空間に立つと自分が異次元の世界に迷い込んだ気になり、あまり普段味わえない気分。

 が、とにかく暑い。バスは一旦市内に戻り昼食ということになる。このツアー、毎食込みになっていて便利この上ない。しかも、スケジュール表を見ると必ず昼間の休憩時間が2時間ほど取ってありかなりのゆったりツアー。もちろん参加者の年齢を考えてのことなのだろうが、余裕があって快適な気分。自分でプランを立て、手配をしているいつもの旅行と違って一切を任せての旅行も素晴らしいと感じる。ホテルのプールで泳ごうかとも思ったが、その元気もなくベッドでうとうとして時間を過ごす。

 午後、アンコール・ワットへ。ガイドブックによると、この寺院はヒンドゥー教三大神の中のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、スールヤヴァルマン二世を埋葬した墳墓でもあった。一見矛盾するようだが、死後に王と神が一体化するデーヴァ・ラジャ(神王)思想に基づくもので、寺院には信仰の対象物である以上に、王が死後に住むための地上の楽園を意味していたのである、とある。

 日本との関係で言えば、徳川三代将軍家光より仏教の聖地「祇園精舎」視察の命を受けて、オランダ船に乗って出かけた日本人通訳の島野兼了がいて、アンコール・ワットをインドの祇園精舎と勘違いをして1715年に一枚の見取り図を作成している。が、これより80年も前に森本右近太夫という日本人が残した落書きもあり、実物が保存されているのでガイドさんの指摘で見たがまあ、よくそんな昔にこの地を訪れたものよと驚くやら感心するやら。

 夕方、アンコール三聖山の一つプノン・バケン山に登り夕陽を眺める。名所なのか世界中からの観光客が集まり西の彼方に沈みゆく夕陽のドラマチックな様子をそれぞれ想い想いにうっとり。カップルにぜひオススメ。世界中の言語の入り混じるBGMを背景に夕陽を見つめているとわたしのような中年おじさんでも妙にしんみり、ロマンチックしてしまう。どうしたわけだろう、急に「You belong to me」の歌詞が浮かんできて頭の中をリフレインする。

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シュリム・アップ

朝食:コーンチーズパン メイプルシロップ ヨーグルト 紅茶
昼食:カンボジア航空KT-8541便機内食(ポークライス、マフィン、プディング)
間食:機内食(ホットチーズサンド) コカコーラ
夕食:市内レストラン(空芯菜炒め、揚げ春巻き、オムレツ、焼きソバ、ご飯、ビール)

 12時に成田空港を飛び立ったカンボジア航空機がシュムリ・アップの飛行場に着いたのが7時10分なのでそれだけの時間を飛行機のシートに座っていたことになる。飛行機の窓からまだ明るい眼下を俯瞰すると、緑の田園風景とその中に佇む椰子の木々がアジア特有の風景を作り出している。細長く流れるキャラメル色の川面が、昼間の残光に照らされて大きい蛇の身体のようにくねって見える。シュムリ・アップの飛行場はまるでどこかの小学校の校庭を思わせるほど小さく、あっけなかった。時差2時間、現地時間の5時10分にタラップを降りる。むっとする熱気が身体中に早速まとわりついてくる。

 用意されたバスに乗り、今日から5日間行動を共にする約30名ほどのツアーメンバーが、主催旅行社の添乗員、現地の日本人ガイド、現地ガイドの3人の紹介をされる。客のほとんどは初老のカップルないしは一人旅の中年客が主で、意外と若い客は一人もいない。そうだよな、遺跡巡りだものと一人納得する。が、そのせいか行動のパターンがスローなモードで楽と言えば楽なのだが少々まだるっこい気もするときがある。

 シュムリ・アップの街中はまだインフラ整備中でいたるところが掘り返されている。土埃が舞い工事中の建物が多くまさに開発途上国そのもの。そういえば、乗ってきた飛行機だがチャーター便とはいえボーイング757機と言う日本では飛んでいない機種で、聞けば機種自体は新しいのだが中の備品はがたがたでモチロンお楽しみのビデオなどの映像も無いシンプルなものだった。

 バスから眺める外の光景はバイクが多くて車は少ない。しかもバイク自体はナンバー無しの、バックミラー無しの、何人乗ってもOKという怖い代物。街中は雑多でアジア特有の活気に溢れてはいるが、どことなく気だるさも漂う。夕食のため市内レストランによってクメール料理の食事(ご当地ビール・アンコールビール美味しい)を済ませて、今回の宿泊場所の「ノコール・プノン・ホテル」に到着。
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